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2007年12月11日
親子飯
QPで見たのは「親子おこわ」だったが、ふつうのご飯でもOK。酒と切り昆布と塩鮭をそのまま入れてご飯を炊き、炊きあがってから鮭の身をほぐして、生姜の千切りと三つ葉と一緒に混ぜ込み、イクラをトッピングするだけ。塩鮭は酒に十分漬け込んでから入れること。味付け不要で美味しくできるのでオススメ。鮭は辛口を使うといい。極辛でもいいくらいかも。
きのう京都の妹と電話で、マスコミにさんざん揶揄された「吉兆」の「ささやき会見」をめぐって「あたしらやっぱり家を継がんでよかったな〜」という話になった。
他人様はよく知りもしないで「せっかくお店があるのに、もったいない」などと仰言るが、料理屋というのは本来そんなにウマミのある商売ではないのである。美味しいものを提供するには材料の使わない部分が沢山ある。それでちょっとでも古くなると捨ててしまうから、昔から「冥加の悪い」商売だといわれていたらしい。
つまり原料を少しも寝かせておけないから蓄財には全く適さないし、その日その日がなんとかまわっていればよしとするような商売で、好きでなければとてもやってられないということを両親はよく知っていて、私たち姉妹に無理に継がせようとはしなかったのである。
世の中には大変なわりに報われない稼業だからこそ子どもに継がせるしかないと判断される方もいて、それはそれで本当に頭が下がる話である。戦後の歌舞伎役者も本来はわが子に芸を伝えなければ滅んでしまうという危機感の下に、血縁世襲を蔓延させてしまったのであって、今どきの女性誌がいうような「お家柄」なんて感覚は、私の若い頃には微塵もなかった。料理屋にしろ、芸能人にしろ、およそ半世紀前までは今よりはるかに社会的地位が低かったはずで、それが近年とみに急上昇したように見えるのは、社会全体の産業構造の変化とも関連する。すなわち、カタチあるものから、カタチのないものに経済価値の比重がスライドしたせいだろうと思う。
割に合わない、けれど大切な仕事や技術を子孫に伝えてらっしゃる方々には非常な敬意を払うものだが、親の七光りでただいい目を見たいというようなおバカな跡継ぎと、おバカに群がってうまい汁を吸いたい取り巻きによる安易な血縁世襲は本当にこの国をダメにしてしまうとしか私には思えない。料理屋や役者はまだ罪が軽いほうで、何より許し難いのは政治家であります。
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コメント (3)
私はたまたま寿司屋の三代目に嫁いで来ました。跡継ぎは居ません。申し訳無いのですが、嫁に来ただけでそんなに愛着が有りません(言い過ぎかな・・)だから子供達に継いで欲しいと言うすり込みをして来ませんでした。それに比べ吉兆さんは娘さんが継いで「何がなんでも吉兆を大きせんと・・」と思わはったんでは無いでしょうか・・
今朝子さんも書いておられる様に、食べ物商売は誠実にやれば旨みなんか無い商売です。因みに息子が中学ぐらいの時に「僕は嫁さんにバーチャンやお母さんみたいに働かすのは嫌や」と云われた事が有ります。
投稿者 ともちん : 2007年12月12日 11:04
私も料理店の三代目でございます。我家ではたまたま料理好きが三代続いたものですから、細々と身の丈をわきまえた大きさで店を続けてきました。実は今日初めて松井さんが祇園のあの板前割烹の名店のお嬢様であることを「料理王国」の記事で知り、このサイトにもお邪魔しました。以前よりご実家が祇園の料理屋さんであることは存じ上げていたのですが、「まさかあの!」とサラブレッドにさらに箔が付いたような思いで拝見しました。考えてみればお父様は松井○七さん(お父様の料理本は私のバイブルです)でしたものねぇ。 私の父と同じ年、私も松井さんと同じ頃に同じ学び舎でウロウロしていた(文学部の片隅、音楽長屋に生息していました)ことを思うと、同じ親子二代でも親子して格が違うものであるなぁぁと嘆息しています。因みに私の店でも四代目はなさそうです。
投稿者 板前 : 2007年12月12日 19:11
>私のバイブルです
ありがとうございます。妹はこれをプリントアウトして親に見せたそうです(笑)。
投稿者 今朝子 : 2007年12月13日 12:07