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2007年10月05日

オセロー

10月4日はさいたま芸術劇場で蜷川演出の「オセロー」を見て、帰りに近所のバーガーショップで食事(いい芝居でも遠い劇場で終演が遅いのは本当に困りものです(--);帰りが午前様だったので、当日にブログの更新は出来ませんでした。
ところで「オセロー」といえば、その昔は松本白鴎や先々代松緑といった大物歌舞伎俳優が主演したりして、数あるシェイクスピア作品の中で最もスターシステムに則った上演が見られる演目だったので、今回の吉田鋼太郎主演は、いくら巧い役者にしても、如何せん地味な配役だなあという印象があり、正直いってあまり期待はしなかったのだけれど、意外やこれが面白くて、へえー、こんな芝居だったのか!という発見もあった。
吉田オセローはまず暗転直後に板付きで姿をあらわすという登場の仕方がいい。片肌を脱いで黒い皮膚(日やけサロンで焼いた?と思わせるリアルな感じ)を晒して門口に立った姿がいかにも異形で、この男が非常に有能な人物でありながらも疎外されている異分子だという現実を端的に物語り、且つこの人物が内側に尋常でない恐ろしさをも秘めていることを印象づける。
以後の展開も同行した内山さんがいみじくも「初めてこの芝居を見たときは、まだDVなんてコトバなかったですもんねえ」と洩らしたように、吉田オセローは徹底的に物狂おしい存在と化して妻殺しに至る。妻デズデモーナ役の蒼井優がこれまた、お世辞にも巧いとはいえない演技だけれど、妙に今どきの若妻っぽくて、芝居全体がトレンディなDV劇を見るような感じで実にリアリティに溢れている。ただしいかにオセローの狂気を増幅させる仕掛けだとしても、舞台の各所に設置された長い階段をやたらに昇降しながらセリフをいわせる演出は如何なものか。なんだかトライアスロンを強いているみたいで、役者たちが気の毒だった。
この芝居の真の主役ともいうべきイヤーゴーは内山さんが大のご贔屓の高橋洋だが、これまた今どきの何を考えているかよくわからない愉快犯ふうの暗い表情に徹し、内山さんのいう「端役から出発した人だからこそできる気配を消す演技」で日常に潜む悪意を描いて、この芝居をより現代的にリアルに見せてくれた。とはいえセリフ術の抽斗はまだまだ足りず、大きな声でセリフをいうと一本調子になって、いささか単調の観は否めず、この役の変幻自在なオイシサを物にするところまでは到達していない。舞台が今ひとつ弾まなかったのは、彼のせいもある。ただ、いわゆる「ニン」にない役を演じて大いに健闘したことは讃えたい。イヤゴーという役は本来なら吉田剛太郎のほうが「ニン」であろう。とにかく内山さんは「受験生を見守る母の心境でしたが、なんとかパスしてくれてうれしい」とのことでした(笑)。


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