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2007年10月01日
サイン会ツアー始末記
9月27日は午後3時台の新幹線に乗って名古屋入り。ヒメからはその前に「晩ご飯はどうしましょう?」と訊かれていて、私は即「味噌煮込みうどん!」と答えたのであるが、「それはダメみたいです〜」との返事だった。なぜダメなのかといえば、サイン会場となる星野書店の会長が、もし食事をするならご接待をなさるし、そうでなくとも必ず駅でお見送りをなさるからという話なので、「なら名古屋に到着してすぐ駅ビルの中で食べない?」と持ちかけたところ、やっぱりそれも無理だったのは、会長がホームでお出迎えもなさっていたからである(-.-); 会長は往年の新派の名優柳永二郎とよく似た見るからに立派な紳士でありながら、あとから聞いた話によると、お見送りの際には、いつも電車のテールランプが見えなくなるまで頭を下げておられるそうだから、若輩駆けだし作家の身としては恐縮汗顔の至りというほかない。ただ返す返すも残念だったのは、せっかく名古屋に行きながら味噌煮込みうどんを食べ損なったことであります(笑)。
サイン会は6時半開始で、かつて興行会社に勤めていた私はイベントになるとやはり客入りがとても気になるし、ことに名古屋はこれまでさほど御縁のある土地でもなかったので案じられたが、幸いにも盛況でホッとした。ここに限らず今度のサイン会で嬉しかったのは、男女共に私よりずっと若い読者の方々が大勢おいでになっていたことで、これはとても意外だったし、時代小説の将来を考えて少しは明るい希望が持てたのだけれど、中でも安城市にお住まいの受験生の女の子からお手紙を直に渡されて、『吉原手引草』のヒロインの「必死さ」を学んで毎日をもっと頑張って生きたいという旨のご感想を頂戴したときは、ああ、小説はこんな風に人の役に立つこともあるのか!と改めて感じ入ったのである。
実家の料理店「川上」の後継者である加藤氏のご一家と、学生時代の寮仲間で名古屋在住の旧友キーコが現れたのはびっくりしたが、こうして人間どこで何をしていてもひょっとしたきっかけで他人の目に触れてしまうのは実にコワイことでもあり、また有り難く感謝しなくてはならないことでもあるのでした。
サイン会を終えたあとは8時台の新幹線で京都入り、宿泊先の京都ロイヤルホテルに直行してヒメと食事。鮪のタルタル、海老と帆立貝のソテー、シーザーサラダをたっぷり取って明日に備える。
9月28日は私の誕生日!だが、京都のサイン会がこの日に当たったのは全くの偶然で、54歳にしてこんなに大変な誕生日を迎えるとは夢にも思いませんでした(-.-); まず12時に母校の聖母学院に行って、中高の在校生1000名以上の前で講演をしたが、この日はまだ気温が30度以上もあったのに、場所は冷房のない体育館なので、話すほうも聴くほうも焦熱地獄である。今どきの中高生はきっとザワザワするだろうし、そしたらすぐ話を打ち切ろうと思っていたのに、意外にもわが後輩たちはマジメに静聴してるので結果こちらも汗だくで話を続けるしかなくなった。懐かしの同窓生も大勢来てくれていて、ゆっくり話したいと思ってもすぐにNHK京都での収録に向かい、鹿沼アナウンサーのインタビューを受ける。さらに続けて会場となる大垣書店で合同記者会見が設けられ、朝日や京都新聞等の記者の方々とお話し、それが済むといよいよ地元でのサイン会と相成った(写真上段)。
東京、名古屋、京都いずれのサイン会でも今回は事前に整理券が配布されて先着100人100冊限定というお話でお引き受けしたのだったが、あとから聞くとそれがしっかり守られたのはどうやら東京だけだったようで、名古屋、京都ともに定員冊数オーバーを阻止できなかったらしい。1人で何冊も差しだされる方が少なくなかったし、とにかく京都では、こちらも書いていて大幅にオーバーしているのが明らかにわかる感じだけれど、途中でヤメルわけにもいかず、手はこわばってくるし、もともと下手くそな字がさらに乱れていくのはどうしようもなかった(あとで見比べられないよう祈るのみである)。ため書きを頼まれた際は相手の名前を書き間違えてはいけないというプレッシャーでハンパじゃない集中力を強いられるから(けっこう珍しい苗字や難しい漢字があります)アタマもだんだんボーっとしてくるし、想像した以上に大変なお仕事である。もっとも、お昼に聴講した後輩たちがわざわざ来てくれて、講義の一部を復唱し「あそこがとても心に響きました」と言われたのは嬉しくもまた頼もしい限りだった。
ふだん情報だけで接していると、つい今どきの若い子は皆ムチャクチャになってるみたいに思ってしまうのだけれど、いつの時代でも、当たり前だが、人はやはりひとりひとり違うのである。わが後輩に限らず、今回のサイン会で直に触れた若い人は皆さんとてもちゃんとした方々ばかりで、日本もまだまだ捨てたもんじゃない!との意を強くした。もともとは大垣書店からの強い要請があって実現したという今度のサイン会ツアー自体は正直いって本当に大変以外の何ものでもなかったが、若い読者の顔がハッキリと見えたのは望外の歓びだったといえる。その意味では大垣書店さんに感謝もしたいところだ。
こうしてすべてのサイン会が無事に終了したあとは、ブログでお馴染みの「ともちん」さんが差し入れてくださった中村屋の助六寿司を書店の方々と一緒に戴き、皆さん口々にオイシイ!と叫んであっという間になくなってしまったので、さらにヒメと東京から駆けつけたスラッシュの進藤さん、Pメディアの三村さんと共に先斗町に繰りだして会食。リーズナブルな和食のフルコースを存分に食べて明日への英気を養った。
そもそもサイン会ツアーがこの時期になったのは、読売新聞社が主催する京都女子大学での講演会が9月29日に決まっていたからで、当日は12時に現地入りして土井学長と海老井文学部教授らと会食。この講演は現代において危機的状況にある活字文化をなんとか復権しようという試みのもとで企画されており、食事をしている間中、活字文化推進会議事務局長の新山氏がその意義について熱心に語られたのが実に印象的だった。従って私の基調講演もその趣旨に則り、「小説はインタラクィブ」と題して、文字による表現は享受者にとって映像よりもはるかに多様性があり、小説は読むこと自体がすでに表現に参加していることに近いという持論を展開した。講演のあとは海老井教授との対談になったが、初対面ながら拙著を深く読み込まれて鋭い質問をいろいろとなさるのに感心しきりでわりあい長時間の応対をさせて頂き、さらにまた会場でのサイン会があって、午後4時にようやく会場を離れたときは、さすがに倒れ込みそうな疲労感を覚えて、ともかく一旦ホテル戻り、5時半過ぎに実家の「川上」にたどり着く。「川上」にはすでに廣島屋の女将さんがいらして会場の準備をされていた。
N賞の受賞した今年は一過性ながら収入が例年とは段違いに増えるだろうし、当然そうなると税金もバカ高くなるわけで、いい加減な役人の給料に使われるくらいなら、今までお世話になった人たちに還元するのが筋だろうと思い、私はこれまでの担当編集者をほぼ全員わが実家に招いてご接待することにしたのである。ご参加頂いたのはデビュー作『東洲しゃらくさし』を世に出した熊谷氏、『非道、行ずべからず』で時代ミステリーというキャッチをしかけた中田さん、角川春樹事務所の原重役、筑摩書房の磯部さん、講談社から国兼ブチョー、堀さん、神保さん、新潮社から小林の姐さんと佐野氏、集英社から八代さん、伊藤さん、音田さん、ポプラ社から矢内さんと芝田氏、文藝春秋社から内山さん、山口さん、幻冬舎のヒメこと木原さん、さらには米朝事務所の大島さん、前日から合流していた三村さんと進藤さん、そして私の総勢21名が狭いわが家の座敷にひしめいて、まずは皆さんに座敷舞をご覧頂いた。
こういうことをするのは私も全くの初めてなので、ご当人が舞妓さんだった当時から存じあげている廣島屋の女将さんに諸事万端をお任せしたところ、地方にはベテランの恵美二姐さんが、舞い方は廣島屋抱えの小扇ちゃんと、貝田さん抱えの孝比呂ちゃんという可愛らしい舞妓さんがあらわれて、「あけぼの」と「祇園小唄」の2曲を披露。そのあと舞妓さんにお酌されて男性陣は大いにやに下がり、なかでも今月わが子が誕生してパパになったばかりの国兼ブチョーは相好を崩して舞妓さんとのツーショットをさかんに撮らせ、部下である堀さんから大いに顰蹙を買っていた(笑)。ちょっと驚いたのは17と19歳になったばかりの舞妓さんが共に『吉原手引草』を読んでしっかり感想を述べられたことで、気を良くした私が調子に乗って持参していた『大江戸亀奉行』をふたりに差しだすと、巻末に載せた「鶴亀音頭」のフリツケ図を見て踊りだしたので、これには原重役も大ウケ。そのうち祇園町中に「鶴亀音頭」が流行るのを期待したいところである(笑)。「川上」の料理も期待に違わぬ味わいで(と娘が言うのもなんですが)、名物料理の玉子宝楽で〆るまでたっぷり食べた後は「てる子」さんのバーに繰りだし、夜中の2時まで京のナイトライフを楽しんだ。
まあ、たまにはこんな豪遊でもしないと、活字文化の退潮で何かと厳しい出版界では作家にしろ、編集者にしろ、やってられません(笑)。
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コメント (2)
おつかれさまでした。
投稿者 ぱぐ : 2007年10月01日 18:17
お疲れさんどした。私も大垣書店で若いお嬢さんがたんと来たはって嬉しかったです。
「味噌煮込みうどん」は気を付けたほうが良いですよ。名古屋へ行って喜びいさんで食べてプチンとはねて、日帰りだったので着替えを持って行かなかったのに、べべの胸元にあのこってりした茶色の染みが飛んで帰るまで悲しかった思いでが有ります(涙)
投稿者 ともちん : 2007年10月01日 22:53