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2007年09月05日

仔羊のソテーほか

『辰巳屋疑獄』の文庫新刊見本を筑摩書房の磯部さんがご持参になって、一緒に近所のフレンチR「プロヴァンス」で食事。
本は読んでも、小説は読めないという人が世の中には意外に沢山いらっしゃるので、小説が読めるということ自体、今や特殊な能力と認識したほうがいいような時代だと私は思うのだけれど、その話を磯部さんにしたところ、自己体験に基づいて大いに納得をされた。
 彼女は子どもの頃からずっと小説をメインに読み続けて、京大大学院博士課程でプルーストの研究をしていたというインテリ編集者で、筑摩入社後も、しばらくはミッシェル・フーコーの全集なんかを手がけられたのであるが、あるとき売れる本を作ろう!という明解なコンセプトの元に、『金持ち父さん貧乏父さん』の翻訳本を編集し、これがシリーズ総計370万部の超爆発的ベストセラーになったおかげで、以来ビジネス書ばかりを読むはめになった。すると「なんだかアタマの使い方がゼンゼン違っちゃったのか、最近は小説を読むときに、ちょっと身構えるようになったんですよ」とのことで、要は小説を読むには無意識に頭脳をかなり使ってるのだろうという結論に達した。なので皆さん、脳を鍛えるには任天堂DSを買うよりもどうぞ小説をお買い求めください(笑)


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コメント (2)


おもしろいですね。
わたしは文学専攻(日本文学。卒論は平家物語)でしたが、どうも正統的な小説読み?ではないらしく、特に純文学系は読むと疲れます。がまんして読むという習慣も身に付いていません。

松井さんがお書きになるものは、おもしろいのでそういう気遣いがなくて楽しめそうですが。

投稿者 ぱぐ : 2007年09月06日 09:49

読書好きの私が子育てをして思った事は、子供の時にマンガ好きで(本を読んで欲しい)と思った子の方が大人になって小説を読む様になりました。本を開く、字を読む、という習慣の方がマンガからでも培って行けるもんだなぁと・・・
そう云えば私は実家が産婦人科の開業医だったので常に待合室に置いて有る雑誌(マンガを含む)を乱読してたのが、今に至っても小説を読み続ける力になってると思います。

投稿者 ともちん : 2007年09月06日 23:50

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