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2007年08月23日
第137回芥川賞・直木賞贈呈式
8/22は、いやはや本当に大変な1日でした!!そして猛暑日にもかかわらず、会場に足をお運び願った方々にも大変申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱいですが、とにかく想い出すままに顛末を記しておきます。
東京會舘には16:30に到着。そこからすぐに12階の控え室に向かい、まず幻冬舎発行の雑誌「ゲーテ」の撮影に臨む。そのあと菊池寛記念館に寄贈する(?)色紙のサインや何かがあり、次々と現れる文藝春秋社の方と挨拶しているうちに、早稲田の恩師河竹登志夫先生がはやばやと到着された。早稲田を卒業後も、河竹先生には事あるごとに何かとお願いしているが、今回は贈呈式の登壇を控える私の背後にご着席を願って、文字通りの後見人をお引き受け戴いたのである。
控え室は両賞の受賞者と選考委員が相部屋で、芥川賞系では黒井千次氏が比較的早くに入室をされたあと、小川洋子、川上弘美両新委員が相次いで姿をあらわす。現代作家にいくら無知な私でもお二人の本くらいは読んでるのであるが、そもそも作家の顔には全く無関心なので、部屋に現れた瞬間、どっちがどっちかわからなかったのだけれど、小川氏はとても小柄だし、片や川上氏はかなり上背のある女性なので、次にお見かけしたときはきっと判別がつくだろう。とにかくこの贈呈式に臨んで何が怖かったかといえば、作家の顔をほとんど知らないことで、要は芸能人の顔がインプットされ過ぎて顔に関するメモリーがフル状態だったので、ハナから憶えようとする気がなかったのだろうが、早や10年も文芸の世界に身を置きながら、A賞N賞の選考委員の顔ですら半分以上もわからなかったのは我ながら困ったもんである。文春の方のお引き合わせでご挨拶するつどリボンの名札に素早く目を走らせて、ようやくこれを機に何人かのお顔を憶えたけれど、次に道ですれちがったときにご挨拶ができる自信は全くありません(笑)。
ともあれ直木賞系では阿刀田高氏が真っ先に入室をされて、浅田次郎氏、渡辺淳一氏、北方謙三氏が次々とあらわれ、最後に平岩弓枝氏がご登場になった。平岩先生は時代小説大賞を受賞したときに初めてお目にかかって、以後、劇場などで何度かバッタリお会いして、作家の中では最もよくお顔を拝見してるほうなのだが、それでも毎度ご挨拶をする程度に過ぎず、お話をちゃんとした覚えは一度もない!のである。演劇界なら役者であれスタッフであれ、当然こんなに人づきあいをしないで済まされるわけはないのだけれど、文芸の世界はなにせ個人作業がメインだから、しようと思えば誰とも接触せずに覆面でも仕事ができるのは、私のような人間にとって何よりも有り難いところといえるだろうか。
そう、この〇〇賞とかいうものさえなければ、作家は仕事上の人的ストレスが非常に少ない素晴らしい職業なのだ!と私は声を大にして広く世間に訴えたいのであります(笑)。
ところで「そもそも何人くらいおいでになるパーティなんですか?」と、私が最初に主催者である日本文学振興会の方にお尋ねしたとき、「その時どきによって違いますが、まあ大体四,五百人くらいだと……」とのお答えを頂戴して、出版印刷報道関係者はほとんどフリーパスで入れるというもろに業界のパーティで、各賞の受賞者が個人的に招待できるのは50名前後の枠と伺った。こちらとしては、受賞直後に花や何かを頂戴した方々の中で、なにせ業界パーティだからオフィシャルな関係を優先するつもりで、歌舞伎界の坂田藤十郎、市川団十郎ご一家や松竹の重役連、能楽や舞踊の家元等々に一応ご招待状を送ったものの、お忙しい方々なので、まさかおいでにはなるまいと思っていたら、けっこう皆様おいでになっちゃった!のが、まず有り難いようなコワイような話であった。
おまけに控え室で「今回は本当に集まりがよくて」と日本文学振興会の方(?)が仰言るので、「何人くらい集まってらっしゃいますか?」と訊いたら「さあ、千人以上かと……」と聞かされてこっちはドッヒャーである。人数を倍も読み違えるなんてどうかしてる!と思ったが、もう文句を言ってる場合ではなく、導かれるまま会場に入ったとたん、ああ、ダメだ、こりゃもう誰にも会えない(- -);と諦めたほどのギュウギュウ鮨詰め状態で、こっちは酸欠を起こして目まいがしそうになる。
中央に低い壇が置かれ、その下手に受賞者、上手に選考委員が並ぶかっこうで、前方にはズラーっとカメラの砲列が並ぶという異様な光景のなか、ふと目の前を見れば整体の寺門琢己先生ご夫妻の姿があったので会釈した。どうやら誰にも会えないわけではなさそうなので、少しホッとすると、次に団十郎さんと目が合い、わざわざ向こうから近寄ってぐいっと坊主頭をこちらに突っ込んで挨拶をされるので恐縮したが、すでに式が始まりそうなので、こちらは軽く会釈するしかない。次いでちらちら見えたのが坂田藤十郎と扇千景ご夫妻の姿で、いずれも満員電車の中で肩をすぼめるような姿勢で立っておられるのがまことに申しわけないのだけれど、いよいよ式が始まってこちらはどうすることもできなかった。
これだけ大人数のパーティを催すと、芸能関係だと必ずプロの現役アナウンサーに司会を頼んだりして多少ともドラマチックな演出を用意するし、今どきは素人さんの結婚式や葬式だってそうするところだが、文芸の世界ではさすがにそんな下品な(?)発想はしないのか、発表の記者会見のときと同じ協会の男性がごくさりげなく、ゼンゼン盛りあげることなく(笑)贈呈式を淡々と進行させるのが、かえって新鮮に感じられたともいえる。もっとも松竹大谷図書館の須貝さんと伝統文化放送の前川さんらはかなり驚かれたようで、「こんなにエライ人たちがいっぱい来てるのに、誰にもスピーチさせないのはスゴイですねえ」と妙な感心の仕方をしていた。スピーチはともかくも、居並ぶ選考委員の紹介もしないことには私もちょっと驚きました。
まず日本文学振興会会長=文春の上野社長から芥川賞の正賞(名前が彫られた銀製の懐中時計でした)と目録が諏訪さんに手渡され、次いで直木賞のそれを私が受け取ったあと、川上弘美氏が芥川賞の、渡辺淳一氏が直木賞の、それぞれ回り持ちの総代として壇上で講評を述べられる。次いで諏訪さんの受賞者スピーチになったが、途中からマイクを握って細川たかしの「私バカよね〜」を歌い出したのはビックリで、「スゴイ度胸ですねえ」とあとでご本人に申しあげたら「けっこう震えてましたよ」と正直に告白された。
ついに自分がスピーチする番になり、千人以上の人たちにシンとして聞かれるとさすがに緊張したのか、酸欠のせいか途中でアタマがくらっとなり、若干ハショッタので十分に意を尽くせぬ憾みがあったが、要はデビュー作『東洲しゃらくさし』を上梓した直後に私が自ら初めて素朴に獲得した小説観を述べたのである。
それまで私は「小説」が西洋からもたらされた近代的自我の所産であるというふうな通り一遍な見方しかしてこなかったし、だからこそ「新劇」と同様に、いかなる優れた小説家が現れても、それは日本の伝統とは異質な近代のいわば「鬼子」だと考えていたのだけれど、実際に自分が小説を書いて、全く見知らぬ人びとの間に広がることを体験したとき、見方がガラッと変わった。
小説はけっして作家だけのものではない。作家は自らのイメージを文字によって伝えようとするが、その文字によって読者のアタマに広がるイメージが作家の真意とは全然別のものであっても、小説の流通は成り立つ。つまり作家と読者の関係は、実のところ芝居の役者と観客の関係よりもはるかにインタラクティブ(双方向)且つダイナミックであり、小説を書くか書かないかは、小説を読めるか読めないかよりもはるかに差が少ないことだと自覚した上で、小説の魅力を再認識したのだ。作家と読者の関係はいわばピッチャーとキャッチャーで、小説はボールの軌道のようなものかもしれない。今の時代はもはや屹立した自我としての作家の特権を強調するよりも、ピッチャーであれキャッチャーであれゲームに参加できる人間としての特権を意識したほうが小説の命脈は保てるという風に私は考えていて、〇〇賞なんてものを有り難がる風潮はなんだか時代の流れにそぐわない気がするのだけれど、そこまで言うと主催者にも招待客にも悪いので言いませんでした(笑)。諏訪さんほどの度胸はなかったのであります。
最後は上野社長のスピーチで、わが師武智鉄二先生の話を出されたのは嬉しかったけれど、武智先生がかつて文春の美人編集者と駆け落ち心中未遂事件を起こして、人生を棒に振られたというエピソードまでは語られなかった。これは当時かなり有名な事件として一流誌の「婦人画報」に連載で取りあげられたほどだったが、今や文春社員の間でも知る人はほとんどないだろう。その文春がもろにバックについてる直木賞の受賞を、泉下の武智師はどう見てられるだろう?と改めて思ってしまいました。
かくして贈呈式が終わるとしばらく諏訪さんと二人で壇上に立ち、お互い不思議なご縁ですねえと話ながらフラシュの集中砲火を浴びて目が痛くなる。壇から降りるといきなり人にどっと取り囲まれるかと思いきや、少しは余裕があって、右手にわが家族席を発見し、団十郎さんや藤十郎さんのご一家、松竹の人たちと早めに挨拶ができたのは何よりだったが、この間やたらと写真を撮られまくって落ち着かないこと夥しい。そこからはどーっと出版関係者の行列が出来てしまって、しばらく身動きがつかない。こういうパーティで背の高い人は有利だと思えたのは麻生香太郎さんで、アイン・ランド作『水源』の本を頂戴したお礼もきちんと申しあげられた。毎日の内藤さんには「その着物の生地はなんですか?」と訊かれて「竪絽に紗を霰ちらしにしたものです。絽は横に使うのが一般的だからけっこう珍しいんですよ」とお答えしたら、さすがに新聞記者でせっせとメモされていた。
人垣の中でやっとお会いできたのは林真理子さんで「来る前に歌舞伎座を見てて、それがちょっと長かったんで、遅れちゃったの〜ゴメンナサ〜イ。あ〜あ、でも松井さんはやっぱり着物似合うわよ〜」と言われて「内面性とは違うんですけどね」と笑ってお答えする。そこからまたドーッと行列が続いて次々と名刺を戴き配るなどして、途切れ目で進藤さんの指示を受けて、なんとか萩尾望都さん御一行と松岡和子さん、ミルキィさんらが固まってらっしゃるテーブルに行けた。
気が付けば乗馬クラブの仲間と花の会の方々が一つのテーブルを囲んでらしたり、観世銕之丞師と世田パブの高萩さんが一緒だったりして、ほとんどの個人招待客にはわずかでも言葉を交わすチャンスはあったのだけれど、残念ながら女優の中村まり子さんと俳優協会の浅原さんはいらしてた(と後から聞いた)にもかかわらず、ついにお目にかかるチャンスがなかった。本当にゴメンナサイ。その代わり初めてお会いできたのが北原亞以子氏と関容子氏で、もちろんお二人ともよく存じあげているが、お顔を見るのは初めてだった。
そぞろ散会となるなか、私は会場の一室で着物から素早くTシャツパンツに着替えて2次会場に向かった。2次会になるとようやく知った顔のほうが断然多くなり、なんとか食事にもありつけてホッとするも、幻冬舎見城社長のご挨拶に始まって、ヒメ曰く「1.5次会って感じですよね」で、オフィシャルな感じはまだまだ抜けない。もっとも河竹先生のスピーチは洒落っ気たっぷりだったし、2次会に駆けつけた勘定奉行こと中村京蔵や落語家の桂小米朝さんらも砕けた話術で大いに座をなごませてくださった。その後また浅田次郎氏や渡辺淳一氏、さらには北原亞以子氏が再登場になって温かいスピーチを賜り、渡辺氏とはどうやら定番らしきセクハラまがいの2ショット(笑)。さらには中村翫雀・吾妻徳弥夫妻も駆けつけるなか、2次会の〆で私はまたスピーチをするはめとなり、ちょうど前日に北島さんから頂戴したブログ投稿を紹介した。正直いって私はN賞が重荷以外の何ものでもないような気がしていたのだけれど、北島さんの投稿を見たときは、なんだか妙に素直に受賞が喜ばしく思えたという話を披露したのである。
3次会はようやく身内ばかりとなって、各社で私と古くから付き合いがある講談社の国兼ブチョー、新潮社の小林姐さん、角川春樹事務所の原重役、ポプラ社の矢内さん、筑摩書房の磯部さん、元文化出版局の福光さんらのスピーチが始まり、それらを聞けばいずれも私のヘンなところを十分ご承知の上で付き合ってくださってるのがわかってちょっとジーンとなった。小説にはどうしたって本人の正直な心が現れるものだし、それゆえ編集者との付き合いは正直な自分をさらした上でなくては成立しないというふうに私は考えるので、まあ今後もヘンな作家とお付き合い下さい(笑)と最後のスピーチで皆様にお願いして、怒濤の1日はめでたくお開きと相成りました。
ちなみに翌日は京都から来た家族へのサービスに充てたのでブログの書き込みが遅れました。パーティ会場ではほとんど話もできなくて、そのまま放っといて帰すのはいくらなんでも申し訳ないので、甥っ子の希望を聞いて、私も初体験の「六本木ミッドタウン」めぐりをしました。
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コメント (2)
贈呈式の模様、堪能しました。
松井さんはつくづく太っ腹な方だ
こんなおもしろいものを
惜しげもなく書かれて。
にやりとしながら、楽しく読ませて頂きました。
投稿者 天下井 : 2007年08月24日 07:36
直木賞受賞大変おめでとうございました。
実は先生に、直接ご連絡を取らせて頂きたいご用件がございます。
大変あつかましいとは存じますが、記入したメールアドレスまでご連絡願えればと存じます。
浅草吉原振興協会 理事 鈴木
投稿者 浅草吉原振興協会 : 2007年08月24日 18:43