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2007年08月15日
焼き万願寺とうがらし、小松菜と油揚げの煮浸し、いくらの醤油漬け、鮭茶漬け
昨夜うっかりクーラーを点けたまま寝てしまったせいで、今日は朝から気分がすぐれず、仕事はなんとかノルマを達成したものの、溜まってる色んな事務処理にまでは手が回らなかったし、料理をしっかり作ろうという気力もない。それにしても、この暑さは明日がホントにピークなんだろうか?土曜日から涼しくなるってホント?何せ今年は冷夏だといってた気象庁の発表(怒)だけに、イマイチ信用がおけません。
ところで終戦の日にちなんで、身近なお年寄りに「あなたは終戦の詔勅をどこで聞きましたか?」という質問をすると、意外な回答が得られるかもしれません。このHPで、たしか2年前にも書いた気がするが、敢えてもう一度ここに書くと、わが母親は福井県のどこかの村で聞いたらしい。母親の兄、つまり私の伯父が敦賀の基地から特攻で出撃するという連絡を受けて、別れを告げるために大阪から汽車で敦賀に向かったが、その汽車が途中で何度も止まって、基地にたどり着く前に終戦になった。やっと基地の近くにまで行くと、終戦になったにもかかわらず、基地から飛び立って海に突っ込んだ飛行機を目撃したという、非常にドラマチックな体験を語ってくれた。その伯父はいわゆる特攻崩れで、地道な暮らし方がとうとう最期まで身につかず、浮き沈みの激しい人生を送ったことは私もある程度は知っている。以前、なかにし礼原作/ビートたけし・豊川悦司主演のTVドラマ『兄弟』を見て、ああ、やっぱり伯父のような人がいたんだ、と妙に共感した覚えがある。
母親の親友は軍需工場でラジオを聞いて、とにかく音声が悪くて何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、同級生のだれかが「日本が勝った!」と叫んだので、皆が一斉にその気になってバンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!の大合唱になったという、まるでスラプスティックコメディのような体験を語られた。
父親はちょうどお盆だったので北陸の軍需工場から京都の実家に帰省しており、実家にはお坊さんが来てお経をあげてもらっていた。読経がひとまず済んだところで皆でラジオを聞いたが、坊さんは途中で顔色を変えて「えらいこっちゃ、こんなことしてられんわ」と慌てて帰ってしまい、父親の母親すなわち私の祖母があとで「あの坊さん、お布施忘れていかはったがな」とクールに言ったそうである。
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