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2007年08月11日
梅干しわかめうどん
直近の仕事が一段落して急に疲れがどっと出たのだろう、今日は朝から頭がガンガンするし、吐き気もするしで完全に夏風邪モード。なのにこの暑さだからクーラーを入れないわけにもいかず、入れたら寒気がするから、仕方なくパジャマにホカロンを貼って昼間はずっと寝ていた。夜は少し持ち直して、まず予約を入れていた美容院に行き、帰りに近所のうどん屋で食事し、またまたヨモギ蒸しで汗をたっぷり流す。
ところで昨夜はさいたま芸術劇場に着くなり「おめでとう!」と蜷川さんに声をかけられて、温かい握手で迎えられた。蜷川さんとは10月に同劇場の映像ホールで対談する予定になっていて、その節はどうぞうよろしくとご挨拶を申しあげたら、「今日の芝居は、まあ、長い悪夢だと思ってください。ホンが悪いからどうしようもない」と演出家自ら仰言るので「脚本に関しては私もなんだか嫌な予感がしてたんですよ」と正直にお応えするしかなかった。
案の定、芝居にとってはやはりホンがどんなに大切かを思い知らされたような上演で、それでも演出と俳優陣の頑張りでなんとか最後まで見届けられたけど、脚本家の人選に関しては制作者の責任を強く問いたい!同じガルシア・マルケスの作品でも『百年の孤独』を脚色するわけではないし、歌舞伎の台本しか書いてない私だって、これよりはもう少しマシな台本を書いて2時間超の芝居に収めてみせる自信があると言いたいくらいだった。
全体にとにかく『エレンディラ』の原作をほぼそっくりなぞる形でストーリーが進行するから実に冗長だし、エレンディラを恋した青年が後に同作家の『大きな翼のある、ひどく年老いた男』になる設定も舞台上のイメージとしては使えるけれど、原作の持ち味を活かしたものでは全くない。そもそも『エレンディラ』自体を若い男女のウエットなメロドラマ風に仕立てることにも、原作のハードボイルドなタッチとはおよそ相容れない感じがあって、そのため途中から「作家」を登場させて恋物語を異化しようとする試みもなされているようだが、これが完全な蛇足としか見えてこないのは、原作ストーリーをめりはりなくダラダラ追い続けたせいである。
蜷川演出もまたマルケス的雰囲気を醸し出すことにはそこそこ成功して、幕開きのイメージや何かはとても美しかったけれど、珍しくドラマの核心を押さえそびれたように見えたが、これもまあ「ホンが悪い」と演出家は手のほどこしようがないというわけだろうか。ただ救いは主演の若手中川晃教と美波が大健闘していた点で、中川はミュージカル的演技が達者だし、全裸を披露して身体的表現がとても美しい美波には目を瞠った。エレンディラの怪物的な祖母役を女装で演じた瑳川哲朗はこの暑さに分厚い肉襦袢を着て本当にお疲れ様といいたくなるが、一番の儲け役でもあったのは確かで、グロテスクさよりコミカルさを前面に押し出した演技で芝居全体のトーンを明るいものにしてくれた。
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