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2007年07月31日
中華おこげ他
ラジオ番組で「ボンドガール」の浜美枝さんと対談したときに、人間長生きすると思いがけない人とお目にかかれるものだという気がしたが、『オール読物』の対談相手が林真理子さんに決まったときも同様の感慨が湧いたのである。
林さんはほぼ同年代で、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が一世を風靡し、コピーライターから作家に転身されたことが実に印象深くて、長らく心にひかかっていた。私と同世代で世間の注目を浴びた最初の女性はたぶんユーミンか中島みゆきで、林さんは3番手くらいだったと思うが、文筆面でのトップランナーであったことは間違いない。それもコピーライターという新進の花形職業で先頭を切って走りながら、なぜ女流作家などという古くさい道に進まれたんだろう?という疑問を当時の私は持ったものだ。今日初めてお会いして、そのことを率直に話すと「ああ、それは私が本屋の娘で、作家というもののヒエラルキーが高かったからでしょうね」と実にあっさりと答えられた。「ほんとに私が作家になった頃は若い女性の作家がほかに誰もいなかったんですよ」とご本人も言われた通り、その後に山田詠美さんや、桐野夏生さん、高村薫さんらが次々と現れたけれど、当時はポカっと穴があいたように女流作家が払底し、萩尾望都さんをはじめ女流の才能はマンガの世界に開花していた。一方で当時はまだ文壇の権威主義的な雰囲気が多分にあったのだろう、「私が直木賞を獲ったときは、これで賞の値打ちが下がったみたいな言われ方までされましたよ」とこれまた正直に話されたのは、その後もずっと牽引車な走りを続けてこられた自負と自信がなせるわざだろうと思う。
この方はいまだに原稿が手書きで、しかも物凄いスピードの仕上がりだという話を私は担当編集者から聞いているが、つまりはカラダで書くことのできる本当の意味で作家らしい最後の人ではないかという気がするほどで、お話を伺っていると言語型記憶のスゴイ人だというのが如実にわかる。片や私はそもそも言語型でなく映像型記憶のほうが強い人間で、鮮明な映像として見えている妄想を言語に移し替える作業に自信がないのは、言語型記憶の蓄えがないからだという話を正直にした。
歌舞伎や京都のネタでお互いに共通の知人をやたらと見つけて賑やかに談笑しながらも、時にマジメな顔で人からホンキの話を誘いだすところは、さすがに長年週刊誌の対談ページで鍛えられたプロの腕を感じさせた。速記者への気づかいや編集者とのやりとりを見ても実にプロ意識が感じられて、とにかく非常にパワフルな女性である。こちらも約2時間半にわたり例によってスキマ恐怖症的お喋りに徹して、さすがにお腹が空いたので、帰宅してすぐ大島さんを誘って近所の「銀座アスター」で食事をしたのであります。
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コメント (2)
始めまして。直木賞受賞をお喜び申し上げます。
29日付の新聞を拝見いたしまして、早速購買の予約をしました。大阪の「国際ソロプチミスト大阪ーなにわ」の会員ですが
文学を通して「女性の少子化」「女性と女児の向上」に関しての
講演をお願い致したく勇気を出して投稿致しました。
「大阪ーなにわ」は20年になるクラブで関西の文化に貢献したく歌舞伎や、文楽の公演事業を継続してきました。詳しくお話も聞いて頂きたく、ぶしつけなお便りいたしました。
あつかましいことですが、お答え戴けますでしょうか。
よろしくお願い致します。 本城布沙子
投稿者 本城布沙子 : 2007年08月01日 20:04
本城様へ
追ってまたこちらからメールアドレスのほうにご連絡を致します。
投稿者 今朝子 : 2007年08月01日 21:17