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2007年06月29日

鰻丼、ナムルサラダ

整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 このブログで私はしばしば自民党をボロクソに貶すが(笑)、それは岸→福田→安部→三塚→森→小泉→現安部政権と続く右寄りのラインを日本でこれ以上のさばらしておくのはいくらなんでもマズイからであって、戦後の中道保守を代表する宮沢喜一氏は昔からけっこう好きだったので、なんとかして一度お目にかかれないものかと思い、友人に相談したこともあるくらいだったが(会って何かを頼もうとしたわけじゃありません(笑))、昨日とうとう他界された。去年だったかTVでお顔を拝見して、尋常じゃない窶れ方だったので、そう長くはないような気がしていたものの、やはりこういう時期だけにちょっとショックである。
 この方はもちろん極めて順調に立身栄達を遂げて最高位に就いた政治家だが、実力に比してイマイチ運に恵まれなかったという印象がある。そもそも87年の中曽根裁定で竹下じゃなくてこの人が先に総理になっていれば、以後のあんなメチャメチャなバブルは回避できたし、国民が今よりもう少しはお利口でいられたような気がするくらいだ。91年の総理就任は遅きに失する観があったし、93年の不信任決議案が可決して退陣に追い込まれたときは、愚人は賢者の心を知らずというが、賢者もまた愚人の心が読めなかったという感じで、私は宮沢氏のある種の限界を見る思いがした。
 歴史的に見てもこの国では泰平を謳歌しだすと利口な権力者はあまり歓迎されなくなるようで、育ちのいいボヤっとした人を優秀な人たちがしっかり支えるという特殊な権力構造を好むきらいがあるのだが、早大弁論部レベルの総理でも、東大出の官僚たちがしっかりガードしてるからニッポンは大丈夫だと思っていたのが大マチガイ!だったことに今さら気づいても遅いのであった。優秀な官僚に欠如してるのは想像力であり、つまりはビジョンのない人たちが数字の辻褄合わせだけをして、それを代読する程度の頭脳しか持ち合わせのない政治家を抱える国はとても不幸としかいいようがないのだけれど、かえすがえすも87年の中曽根裁定が痛恨の極みであり、あの時点が日本の不幸の始まりだと私には思えるのであります。


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