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2007年06月29日

担々麺ほか

28日の夜は世田谷パブリックシアターで『国盗人』を見た帰りにスラッシュの進藤さん、守部さんと近所で食事。
 『国盗人』は「リチャード3世」の翻案で、『間違いの喜劇』で成功を収めた野村萬斎が演出・主演で新たに挑んだシェイクスピア作品である。狂言の演技術を活かして「リチャード3世」を喜劇的に上演する試みだが、ひと口でいうと若い女性ファン向けを意識した「萬斎オン・ステージ」の感があって、萬斎自身の魅力は十分発揮され、蜷川演出の舞台に出ていたときよりものびのびと演じ、またリチャード3世の役柄を一種の「道化」として客観的に捉えた演じ方も悪くはなかった。それはそれでよしとしても、演劇作品として見たときは評すに能わずといったところで、私としてはあまり多くを語りたくないのだけれど、「芸能」と「演劇」とは何かが大きく違っていて、萬斎やはり所詮「芸能」のセンスの人だという気が頗るしたのであった。もっともシェイクスピアは近代戯曲ではないから今回のように萬斎一門と白石加代子の「芸能尽くし」といったかたちでの上演が許されないわけではないにしても、河合祥一郎の台本や演出のセンスは全く戴けないし、志向する客層のレベルが低すぎるのである。同行した進藤さんがいみじくも語った「古典芸能の人にありがちなことなんだけど、チャチになっちゃうんだよね」との指摘は当たっていて、現代において古典芸能に携わる人間は「啓蒙」したいという気持ちを常に抱えているために、孤高を気どらず自らが客のレベルに合わせようとしてしまう向きがどうしてもある。これはまた何をやってもそこに需要があってこそ意義があるとする「消費社会」がもたらした不幸ともいえるのであるが、古典芸能に限らずこうしてあらゆる文化がどんどんレベルダウンし、それを受け取る者がさらにまたレベルダウンしていく現象をどう考えたらいいのか、私は何やらうそ寒い思いで劇場をあとにしたのだった。


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