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2007年06月15日
日本橋「たいめいけん」のメンチカツ弁当とミックスサラダ
三越劇場で俳優座公演を見た帰りにゲット。
前にも書いたが、幻冬舎のヒメこと木原さんの叔父上は商業演劇界で昔からよく知られた演出家の金子良次氏であることが、石川さゆり公演をお誘い戴いたときに判明した。今回お誘い戴いたのは、滝口康彦原作の「上意討ち―拝領妻始末―」で、主演は加藤剛と息子の頼三四郎で、劇中でも親子を演じている。
この作品は昭和40年代の小林正樹監督・三船敏郎主演による映画化以来、商業演劇でもしばしば上演されて、過去に何度か見ている。いわゆる「時代小説」原作の舞台化は意外と難しいのだが、これなどは数少ない成功例だろうと思う。
殿様の側室をむりやり妻に娶らされたあげく、その側室の生んだ子どもがお世継ぎとなれば、今度はまた召し上げられてしまうという理不尽な目に遭った家臣の父子が、あくまで筋を通してお上の仕打ちに挑戦し、無残な上意討ちに遭うという極めて救いのないストーリーだが、封建時代とはまさしくそうした理不尽に満ちた社会だとの認識が私の若い頃には大勢を占めていた。脳天気な「江戸ブーム」とはおよそかけ離れた認識であり、従って江戸時代を背景にした小説は封建制度の矛盾を鋭くえぐり出し、そこからいわば日本社会に通底する病理を抽出して描くものだと考えられ、私自身は正直今でそういう気持ちで書くことが比較的多いのだった。
この作品に即していえば、お上の理不尽さを訴えてなんとか抵抗しようとする父子に対して、上司はおろか同僚も親類も家族さえも全く理解を示そうとはせず、事なかれ主義と長いものには巻かれろ式の保身に徹して、逆に父子を追いつめてゆくところが、現代の日本社会でも大いにありそうな話だと受け取れる。映画の橋本忍シナリオに基づく今回の脚本はそこをうまく外さずに現代社会への警鐘を鳴らし、それをスピーディな転換で見せた金子演出は評価したいが、主演の加藤剛父子はともかく女優や脇役の顔ぶれがあまりにも戴けないので舞台の出来としてはイマイチだった。それにしても俳優座は本当にいい役者がいなくなったものだと思わざるを得なかった。俳優座に限らず旧新劇系にはもういい若手が集まらないのだろう。私の若い頃は新劇俳優といえば巧い役者の代名詞だったことを思うと、まさに隔世の感であります。
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