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2007年06月11日

コクーン歌舞伎 三人吉三

 コクーン歌舞伎の、というよりも、中村勘三郎と串田和美のコンビがもたらした最大の功績は、歌舞伎を戯曲本位に上演することによって、シェイクスピア並の現代性を思いのほか引き出し得た点にあり、中でも2001年に初演された「三人吉三」は出色の舞台だった。当時私は読売演劇大賞の選考委員をしていて、これを強く推したが、歌舞伎研究者の某選考委員がさんざん貶して、理由はお坊吉三が双子の妹弟おとせ十三郎を殺す場面をカットしたことであったのを想いだす。私はその場面をカットした点を含めてテキストレジの巧さを認め、ともすれば七五調の口調の良さで流しがちになる黙阿弥ゼリフを役者たちが意味をしっかりつかんで客席に送り届けていたことに頗る感心した。併せて大川端の場で舞台に張った水の反射を利用した美しい照明や、ラストシーンの凄まじい降雪が強く印象に残ったものである。
 今回6年ぶりとなる再演は初演とそう変わり映えはしないが、特筆すべきはまず、おとせ十三郎を演じる勘太郎七之助の兄弟が役者としてかなり成長した点だろう(6年も経てば当たり前だが)。
 次に椎名林檎の音楽を入れた点で、これについては恐らく賛否が分かれそうだ。時おり効果音的に流されるシンセミュージックや抒情的な場面に用いられるそれは悪くなかったが、ラストシーンではテンポの緩い曲がネックになって立ちまわりの迫力を削いだ観が否めない。とはいえ今回の上演は幕末の「下流社会」が生んだ若者の刹那的気分や閉塞感を今日の世相と照らし合わせる意図が濃厚で、それゆえに椎名林檎を起用した点は理解できなくもない。
 最後になったが、土左衛門伝吉の役を前回の坂東弥十郎に代えて笹野高史が演じた点は、この戯曲の現代性をいっそう強調するかっこうとなった。土左衛門伝吉が一体どんな人生を歩んできた人間なのかという点を、笹野高史は丸ごとくっきりと描いて見せられる。歌舞伎役者は相当に巧い人でも「役柄」で演じるしかしないので、そうした人物描写的役作りとは無縁なのである。ただし因果じみた物語を陳べるくだりの笹野は緞帳芝居の役者じみて全く戴けない。役者の育ちによって、得手不得手があるものだとつくづく思った次第だ。
 ところで肝腎の晩ご飯は、芝居を見る前に、東急百貨店内の永坂更科で天丼とざるそばのセットをを注文。その前に近くのSクリニックに人間ドックの結果を訊きに行って、全く異常なしの健康体であることが証明された(^。^)/ので、ガッツリ食べたのであります(笑)。


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コメント (1)


ご健康、おめでとうございます!(^▽^)
コクーン、私も初日に観にいきました。笹野さんのあの長台詞、本人がそういう積もりでないことは百も承知ですが、進むにつれてどんどんダレてグダグダになっていって、もう止めてぇ!って感じでした。歌舞伎の人とそうでない人と、こんなに違うんだって(別のことをしていれば、巧拙という二元的構図に嵌らないのでしょうが)。でも、笹野さんは歌舞伎じゃないとこがよかったんじゃないの? 歌舞伎の人じゃない人にも出せる歌舞伎の世界があるんだって言いたかったんじゃないの? だから今さらうたっちゃだめなんじゃないの? 頭グルグルでした・・・。ひとつの演劇としては嫌いじゃないのになー。

投稿者 ふみ : 2007年06月14日 23:56

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