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2007年05月17日
ピッツァマルガリータ、シーザーサラダほか
国立大劇場で前進座公演を見た帰りにスラッシュの進藤さんと近所のホテルで食事。帰京した進藤さんとようやく会って今後のことを相談をする。
前進座今回の公演は歌舞伎十八番の『毛抜』と真山青果・作『新門辰五郎』の二本立て。二代目市川左団次と深い縁のあるこの劇団の『毛抜』は松竹歌舞伎よりもある意味で古風な演出が残されていて、それなりに面白い。嵐圭史も往年のいわゆる二枚目役者を脱して河原崎長十郎ばりのメイクでおおらかな味を見せる。ちょっと足の具合が悪そうだが、それを押し隠して奮闘している。
『新門辰五郎』は中村梅雀主演。この人はTVで見るとそれほど似ているようには思わないが、舞台だと親父のクローンみたいである(笑)。さほど恵まれた容姿ではないけれど、それを補って余りある口跡の良さと芝居の巧さで人気役者たり得ている点は、翫右衛門以来三代続いた名血の証であり、そもそも歌舞伎界の門閥世襲を打ち破ろうとして結成されたこの劇団に、松竹でも滅多とないようなこうした名血が流れていること自体なんとも皮肉としかいいようがない。で、江戸弁でまくしたてる辰五郎の役にはその口跡の良さが打ってつけで、親父の梅之助がこれまた翫右衛門風の枯れた味わいで舅役に付き合っており、この親子の競演がある意味でひとつの見どころとなる。
作品の前半はあきらかに「め組の喧嘩」を踏まえたもので、青果にはこの種のパロディも珍しくはない。もっとも芝居の趣きは全然異なって、一種の侠客物であるにもかかわらず異様なくらい饒舌で且つ理屈っぽいのはやはり青果作品ならではだろう。同時代の新歌舞伎作家ではこの人と長谷川伸が対極的存在で、片や青果はいわば「思想」の人であって、それ故にどちらかといえばこうした庶民をベタに描いたものよりも叙事的な史劇のほうが得意な「時代物」の作家だし、片や長谷川伸は専ら庶民の人情を抒情的に描く近代の「世話物」作家だ。こうした全く資質の違うふたりが揃ったところで新歌舞伎の繁栄があったのだろう。何によらずジャンルの隆盛期にはふしぎと常にこの手の2極が存在しているような気がする。まあ、野球でいえば、王と長島みたいなものであります。
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コメント (1)
私も20日に前進座を見ました。歌舞伎は年に3回くらい見るのですが 前進座は初めてです。どこが松竹系と違うのか ちょっと違うんだが それがどこかはっきり分かりません。国立劇場にしては毛抜きの舞台装置が派手、安っぽい・・・・・。毛抜きも初めて見るのですが 最後の花道での六法を踏んで退場するときは大サービスも折込み済みですかね。
梅雀さんはテレビでしか拝見してなかったのですが さすが 歌舞伎役者、芸達者ですね。もっと 他の出し物も見てみたいです。
それから パンフレットはイマイチでした。これは劣ります。
投稿者 新里 美智子 : 2007年05月23日 15:30