トップページ > ちらし寿司、蛤のお吸い物

2007年03月03日

ちらし寿司、蛤のお吸い物

 雛節句の定番メニューであります。すし飯に混ぜ込んだのは酢レンコンのみじん切り、酢生姜のみじん切り、ちりめんじゃこ。具は海老、干し椎茸、菜の花、炒り卵。
  近所を散歩してたらなんと満開の八重桜が目に飛び込んだ!今年はソメイヨシノの開花もさぞかし早いだろうと思いつつ、取材で京都に行くのをいつにしようかと迷っている。せっかくなら久々に桜が見たいが、まず宿が取れるかどうかが大問題。なにせ京都は今やオフシーズンでもすぐには宿が取れないのは困りものだ。
 京都では必ずホテルを取るようにして、ここ何年も実家に寝泊まりしたことはない。そういうとフシギに聞こえるかもしれないが、実家に帰らないほうが親孝行なのである。わが家は客商売で両親共にまだ現役で働いており、高齢となった今ではお客様を迎えるのが精一杯だから、余計な負担はとてもかけられないのだ。ふつうの家庭だとわが子が久々に実家に戻ればお母さんが歓んで世話を焼いてくれそうに思えるのだけれど、私はそもそも子どもの時分から母親に日常的な世話をしてもらった覚えがまるでない。わが母親は料理も裁縫も全くできない!という昔の人にしては珍しい女性であり、自身ですら日常的な世話をだれかにしてもらっていた口だ。父も母も共に所謂ばあや育ちだから自身で子どもを育てるという感覚はないままに、私も妹もほとんど他人の手で育てさせていたのである。
 したがって私たちは別にそれでおかしいとは思っていなかったが、友人がわが家に遊びに来ると、親子でわりあい他人行儀なやりとりをするのにビックリするようである。絶えず他人がいる家の中で家族が暮らすわけだから核家族のようなわけにいかないのは当然で、昔はこうした家がもっともっと多かったのを思うと、人間関係の変わり方にも納得がいこうというものだ。
 近ごろは家族崩壊がさかんに叫ばれるし、子育ての父親不在が問題視されたりするけれど、近代の模範的な家庭に育たなかった私としては、いろいろな家族のあり方があっていいのではないかと思っている。もし共に子どものことばかりを一生懸命に考えている両親に育てられたら、私はそれを重荷に感じて参ってしまっただろうという気がする。幸いわが両親は商売を第一に考えている人たちだったので、私も妹も勝手にわが道を行くという感じで人生を送れるのが有り難いのであります(笑)。


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/340

コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。