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2007年02月07日
五穀米弁当、菜の花の辛子和え
整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。残念ながらもっちり豆腐は売り切れでした(笑)。
「足がむくまないようにこのシコリを取っておきましょう」と先生が仰言って押さえられたツボは飛び上がるほど痛かったが、これでエコノミー症候群対策はバッチリです。
今日は『吉原手引草』の再校ゲラも無事に戻せたのでホッとひと息。ガラパゴスは世界でも稀なドコモ携帯が使えない!エリアだから、出発前になんとか三校まで出してもらうとなると、再校戻しは今日がデッドラインだった。
ふつうは初稿で入念に赤を入れて、再校は割合さらっと済ませるのだが、今回は登場人物18人全員がインタビュースタイルの独白をする会話体で綴った小説なので、再校でも思いのほかしつこく赤入れをするはめになった。会話体で常に腐心するのは「リアル」を取るか「わかりやすさ」を取るかの二者択一で、これにギリギリまで大いに迷ったのである。
その昔、私は小説のカギカッコ内の文章を読んで、人がこんなふうに話すわけがない!とよく怒っていた(笑)けれど、もちろん今はそれが必ずしも人の話し言葉をリアルに再現するものではないのを重々承知の上で、自分が書く場合はなるべくリアルな話し言葉にしたいという欲求止みがたく、これはまあ小説よりも戯曲に親しんだ者のサガというべきだろう。ただ時代小説の場合はあまりにもリアルな語彙でまとめると現代人にはナゾだらけの文章になってしまうし、また今回のように全面会話体だとやはりどこかで適当に説明的な言葉も挟み込んでわかりやすくしなくてはならないが、それで尚かつ当時の「リアル」な口調にできるだけ近づけようとして大いに頭を悩ませたのであります。
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コメント (1)
唐突ですが、3?年前、私が高校生の時に南座で先代の中村勘三郎翁の「俊寛」を見た時、最後の場で涙と鼻水と勘三郎翁の熱演を見て大感動しました。でも・・翌日から肺炎の為に休演になったんです。一緒に行った友達と「あれはほんまもんやったんやね」と笑いました(不謹慎ですいません)
なぜこんな事を書き込んだかと云うと、明日に狂言の「千作、千之丈二人会」を見に行きます。毎回(この会も最後かな・・)と思って行くからです。(もっと不謹慎ですいません)
芝居に限らずその瞬間を見逃さない様にしたいもんです。
投稿者 ともちん : 2007年02月08日 20:59