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2007年01月01日

おせち、白味噌雑煮

おせちは祇園川上製。白味噌は京都石野製。




2007年01月02日

おせちの残り、お雑煮ほか

NHKの歌舞伎座生中継で勘三郎の『鏡獅子』を見ながら食事。
ちょうど去年の正月に歌舞伎座の特別舞踊会で見た勘三郎の『鏡獅子』は驚くほど不出来だったし、先月の京都顔見世の『娘道成寺』も見巧者の間でさんざんの評判だったから、この役者も今後は一体どうなることやらと案じられたが、今日はさすがに引き締まった舞台を見せられてほっとひと安心である。去年の『鏡獅子』は前から4列目のど真ん中で見たにもかかわらず気持ちがちっとも集中できなかったのに対し、今宵はTVの画像を通しても気を逸らす暇がないほど充実していて、「時しも今は牡丹の花の」以降で躰の使い方に少し品が無くなるのは気になるものの、全体としては間然とするところのない仕上がりだった。まあ、歌舞伎座の正月興行でこの人の『鏡獅子』がまずかったら歌舞伎はもうオシマイで世界遺産から外したほうがいいくらいだが……。
 ところでゲストの山田洋次監督が今後歌舞伎の映像化にかなり積極的に取り組んでいくらしい松竹の方針をアピールしたのはともかくも、現在上映中の『武士の一分』の映像まで流したにのはちょっとビックリで、以前のNHKなら一私企業の宣伝にひと役買うようなことは決してしなかったはずである。こうした点のモラルを甘くしつつ、なおかつ受信料支払いの国民義務化を目論むってどうよ!と正月早々私はその矛盾にいささか呆れてしまったのであります。 


コメント(2)

新年おめでとうございます。本年も「松井さんの食卓」を楽しみにしております。ところで、私は勘三郎の『鏡獅子』を客席で見ていましたが、昼の部の『喜撰』のときから「あれっ?」という感じでした。彼があそこまで張り詰めて勤めるのを、近年久しぶりに(あるいは初めて)観たかもしれません。こういう引き締まった舞台を、いつもの愛敬を失くさずに出来るようになってくれたらな〜とせつに思います。

投稿者 ふみ : 2007年01月03日 12:17

>こういう引き締まった舞台を、いつもの愛敬を失くさずに出来るようになってくれたらな〜とせつに思います。

同感です。この人は観客を舐めさえしなければそれが出来るはずの役者だと思います。

投稿者 今朝子 : 2007年01月03日 23:46



2007年01月04日

チキンとほうれん草のカレー

 毎年正月3日は近所の小さなカレー屋でテイクアウトすることに決めている。おせちのあとにどうしてもカレーが食べたくなるのはひと昔前に流行ったCMのせいだろう。
 食事後はやっぱり日テレの「物まねバトル」を見てしまった。これまた昔からどうしても「物まね」番組を見たくなるのはなぜなんだか自分でもよくわかりませんが(笑)、洋の東西を問わず「物まね」は演劇の原点とされており、私が知る限り役者さんは皆ふしぎと「物まね」がお上手で、インタビューや何でもない打ち合わせの中でも時にさらりと誰かの物まねが飛びだしたりするから、こっちはちょいと得した気分になったものである。ところで今日の「物まねバトル」の白眉はゲストの清水ミチコだろう。ネタは相変わらずだが、運びとオチの巧さで新年早々大いに笑わせてもらった。




2007年01月05日

バーニャカウダ風ホットサラダ、焼き餅ほか

 とにかくサラダが食べたくなって作ったオリジナルレシピである。ジャガイモ、カリフラワー、パブリカ、エリンギはそれぞれ電子レンジで加熱。ドレッシングは牛乳で柔らかくなるまで煮たニンニクとアンチョビとオリーブ油を混ぜ合わせて胡椒をきかせたもの。ベビーリーフをトッピング。




2007年01月05日

餅の鉄板焼き、蒟蒻すてーき、アスパラガスの練り胡麻和え、メカブ、鮎の甘露煮、

 餅はベーコン、長ネギ、椎茸と一緒に焼いて酒と醤油で味付け。甘露煮はもらい物。年末から拡張した胃をなだめつつなんとかダイエットをはかろうとしているのが見え見えのメニューである(笑)。
 フジTVの金田一耕助シリーズ「悪魔が来たりて笛を吹く」を見ながら食事。このシリーズはTV制作でも相当に凝った映像で見応え十分だし、榎木孝明の椿子爵は今や本格的な映画でもこれ以上は望めない絶妙のキャスティングだろう。
 もっともひと昔前はとても怖かった横溝正史だが、近ごろは現実のほうがはるかに恐ろしくて、年始早々またしても近親間で猟奇的殺人が起きるなど、本当にろくな事件がないのだけれど、私が個人的に一番ショックを受けたのは、英国の気象庁(?)がエルニーニョの発生を正式に認めたことである。かくして今夏は異常な猛暑が予想されるというのもぞっとするし、当面それ以上に心配なのはガラパゴスである。ガラパゴスはエルニーニョの発生源に近いからまともに打撃を受け、前回のエルニーニョでは海水温度の上昇によって大量の海イグアナやペンギンが死んでしまったという。2月に旅行を予定してるのでとても他人事ではありません(-。-;




2007年01月06日

鱈ちり

 今日は寒いのでこのメニュー。地上波で見ていられそうな番組が皆無のため、スカパーの歌舞伎Chで前川さんが制作した「亀治郎の超まじカメ」を思わず見てしまった!が、第1回目の今日はまだ何がしたいのかイマイチ焦点が絞り切れていない感じがする番組だった。バラエティ仕立てにしたいなら、もっと笑いのツボをきちんと押さえた演出が望ましいし、それはそれでマジメにやるより大変なことだと思ってほしい。これは昨今の若手歌舞伎役者すべてにいえることだが、土台TVのお笑い番組が劣化してるから勘違いを起こすのだろうけれど、おふざけで身内を笑わせるのと、商売で笑いを取るのとは本来全く別のものであると認識したほうがいい。亀治郎は歌舞伎の若手役者きっての才人と信じるだけに敢えてこのブログを借りて前川さんに苦言を呈しておく。




2007年01月07日

蟹鮨、柚稲荷鮨、ブロッコリーとレンコンのサラダ

 新年初乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
ケータイで撮った写真だと絶好の乗馬日和のようだが、左に非ず。凄まじい強風で馬はナーヴァスになってるし、こっちは久々の乗馬で緊張してるとこへ寒風が吹きつけてもう躰はガチガチ。3鞍も乗ったがとても満足がいく出来ではなかった。おまけにJRのダイヤがめちゃめちゃで帰宅は午後9時近くに。で、NHKスペシャルの「プラネットアース」を見ながらの晩ご飯である。落ち目の紅白を裸で盛り上げようとした(?)NHKも、こういう番組を作ってる分には存続意義が認められる。それにしても地球温暖化の煽りをまともに喰らってるホッキョクグマの映像は気の毒であった。




2007年01月08日

ポトフ

今宵は寒いのでこのメニュー。
 歯科医と結婚して男児をもうけたわが妹が電話をかけてきて「歯医者の息子のイメージが悪なって迷惑や」と自分勝手な嘆きをもらしたが、これがまあ、子を持つ女の本音というところだろう。
 もっとも彼女はひとり息子を何がなんでも歯医者にさせる気はないらしい。今は駅前のコンビニよりも多いといわれる職業だけに、私大の莫大な学費を払ったらモトが取れないので、国公立がダメな場合はさっさと別の道に進んでほしいそうだ。ところが今どきはまた別の道というものを見つけられる子がなかなかいないようで、親の跡を継ぐつもりは全くなかった歯医者の息子が高2高3で進路を決めかね、慌てて歯医者になるべく猛勉強するようなケースが多いのだという。「お姉ちゃん、ほんま今の男の子はどの子見ても、可哀想なくらい、夢ないで。周りを見ても、女の子のほうにはまだ何かになりたいとか、コレをやりたいとかいう気持ちがハッキリしてる子がいるような気がする」とのことで、「少年よ大志を抱け」なんて言葉はもはや知ってる人のほうが少ないのかもしれないと思われたのでした。




2007年01月09日

タラ汁

2007年度の初QPであります(笑)。
生鱈は塩でしめてから霜降りにして、水っぽさと臭みをしっかり抜くのがポイント。鍋に薄い半月切りにした大根を敷いてその上に鱈を載せる。切り昆布を入れて水から煮て舞茸を足し、酒、塩で味付けして醤油で香り付け。白髪ネギをトッピングして出来上がり。TVはおぼろ昆布もトッピングしていた。シンプルなお椀だが意外にイケル。ことに大根が美味しく戴ける。結構オススメである。またしても「物まね歌合戦」を見ながら食す。




2007年01月10日

五穀米弁当

 整体治療の帰りに毎度の例で東横のれん街を通ってヤバッ!と思ったのは、次々とショーケースに目が奪われて、あれもこれも食べたいという欲望が年末来の胃拡張を物語ったことである(^。^;なんとか欲望を抑えて、これまたいつもの低カロリー弁当をゲット。
 ところで今年は電車に乗ってもまだ風邪引きサンが少ないのはありがたい。去年の今ごろはマスクをしないと怖くて電車に乗れなかった気がする。東京は寒くなったといってもあきらかに暖冬ぎみで、わが家のカメは冬眠から覚めてそのまま春モードに突入し、♂は発情して人様の足を噛みにくるし、♀は食欲全開でこれまた1日に何度も餌をねだって人の足下をぐるぐる回るのでウルサイ!カメは当たり前だが欲望を抑制できない「爬虫類脳」の持ち主であります(笑)。


コメント(5)

雄ガメが「発情して噛む」というのは、いたせない衝動を発散しているのですか? それとも今朝子さんを、何と言うか、お相手と思って噛むのですか? あほな質問で済みません。
関係ありませんが、昔実家で飼っていたホモのチンチラは、相手(同居猫)に襲いかかるとき背後から必ず相手の首根っこを噛みながら試みていました。それとは違うのでしょうね。動物って面白いです・・・。

投稿者 ふみ : 2007年01月10日 23:47

亀さんお目覚めとは可笑しい(^。^)
昔、繁殖牧場で本物の当て馬を見たことがありますが(あれは切ない生き物ですね)、メスはオスにあわせて発情したりはしないんですか?
メスをちゃんと発情させる、当て亀なんてのはいないですよね、もちろん。食欲は満たされそうなのに、性欲は満たされないのは…オスに幸アレ。

投稿者 猫並 : 2007年01月11日 00:13

>ふみサマ>猫並サマへ
おふたりの思わぬ反響に気をよくしてお答えします(笑)。
 ♂は発情すると♀を見てまず首をブルブル振りながら威嚇し(ホビングというらしい)、次に四肢を噛みまくって「いたそう」とするので、♀はこのDVに耐えかねて逃げ回り、可哀想なので別の部屋に移動させます。♀はもう♂よりも躰が大きいのに性的にはまだ未熟で、自然界だと♂は4,5年で成体になり♀は12,3年もかかるというのですから神様のデザインミスとしか思えません。おまけに爬虫類ごときが(笑)哺乳類を相手に不埒な行為に及ぶのはビックリで、以前わが家を訪問した若い女性編集者の足にいきなり抱きついて白い液状のものをふりかけたときはアチャー!でした。リクガメは♂♀とも完全な無臭物体ですが、人間の鼻には感知できない臭いがあって、それが人間の足の臭いと似ているのか、とにかく足フェチで靴やスリッパが大好きです。「当て亀」はともかく古くなったスリッパをダッチ◯◯◯代わりに与えており、それに抱きついてよく鳴いています。リクガメの♂はナニの最中に鳴くのです!♀は成熟して♂を受け入れても無反応のようです。

投稿者 今朝子 : 2007年01月11日 08:43

遅ればせながら、本を頂きありがとう御座いました。
さて、胃拡張?ですか・・・私も正月休みに暴飲暴食をしてまして、現在食欲を抑えるのに(ひもじさ?)一苦労してます。夕飯の買い物をしてると、何もかもがおいしそうで、昨日は朝食用のパンを山程買ってしまって・・・とほほ、どうする自分。
いっそ断食でもして胃を小さくするのが良いのでしょうか?

投稿者 北島悦子 : 2007年01月11日 09:12

>北島さんへ

私は現在タンスの奥からかなりきつめのジーンズを引っ張りだしてはいております(笑)。

投稿者 今朝子 : 2007年01月11日 18:35



2007年01月12日

コロッケ

 世田谷パブリック・シアターで『MANSAI解体新書』を見た帰りにスラッシュの進藤さん、守部さんと近所のお好み焼き屋でもんじゃ焼き等を食す。別にコロッケを食べたわけではありません。
 これで10回目を迎えた野村萬斎主宰のトーク&パフォーマンスSHOWのゲストはなんとあのTVでお馴染みのコロッケ!で、いやー、物まね好きの私にはたまらない新年の初舞台見物と相成りました(笑)。
 洋の東西を問わず物まねが演技の原点であるのはともかくも、萬斎が特にコロッケと話してみたいと思ったきっかけは、コロッケが自らの観察によって歌手は「押す声」系の人と「引く声」系の人に大別されるという話を何かで述べたことにあったらしい。萬斎自身は能の観世流と宝生流の謡い方に同様の違いがあるとして、自身でそれを物まねしてみせたのもそれなりに面白かったけれど、なんたってライブで見るコロッケは意外にもTVをはるかに上回るド迫力のおかしさで、萬斎が霞むほどの圧倒的な存在感を見せつけたのであった。五木ひろしのロボットバージョンなどはまるでSFXを見ているような錯覚を起こすくらいに表情筋が激しく動いて文字通り抱腹絶倒。さらにトークもなかなか達者で、物まねの出発点は何よりもまず対象の観察にあり、対象の切り口をいかに見つけるかという話を数々の事例を挙げて妙な理屈をつけながら喋るのがやたらに面白いし、しかもそれを実際にやって見せてくれるのだからもういうことなしの大満足。初笑いをプレゼントしてくれた世田パブに感謝!




2007年01月12日

茸と生ハムのオムレツ

 QPで見た料理。QPの陰謀で(笑)茸と卵をマヨ炒めさせるのがポイントだ。卵には牛乳とパルメザンチーズを加えて塩胡椒で調味。茸はニンニクのみじん切りと一緒にあらかじめマヨ炒めしてから半熟状態の卵焼きに加える。最後に生ハムをトッピングして火を止めてから少し蒸して仕上げる。マヨネーズを使うので塩は控え目にしたほうがいい。
 きのう見た『MANSAI解体新書Vol10』に関してはゲストのコロッケにしか触れなかったが、毎度このトーク・ショーのゲストには「カブト虫のアフォーダンス」先生のようなフシギな学者センセイも招かれることになっていて、今回はわりあいまともなロボット工学の池内博士だった。まともいってもロボットに民謡の会津磐梯山に合わせて踊らせる研究をしている人で、ロボットが何度もコケながらようやく会津磐梯山が踊れるようになるまでの過程を映像で見せられて、やはり何かもうちょい気の利いたことをさせればいいのに(笑)と思ってしまったのであるが、この池内先生の発言で一番面白かったのは、ロボットがなんとか踊れるようになった現在、次に自分たちがやりたいのはロボットに「もっと巧く踊りたい」という欲求を持たせることだという話である。観客の皆さんはそうカゲキに反応なさらなかったが、私はええっ!と驚いたのである。それってスゴイことじゃありませんか。
 そもそも食欲も性欲もないであろうロボットに、巧くなりたいという欲求が生じるって一体どういうことなんだろう?と私は大いに考え込んでしまったのである。そういうことも確かにあり得るのかもしれないと思うのは、目下私は2月下旬に刊行する『吉原手引草』のゲラ直しをせっせとやっていて、この文章を直したいという欲求は自らの生存に深く根ざした欲望とそんなに深くつながっていないような気がするからである。正直言って、ゲラを多少手直したところで、本がスゴク売れるようになるわけでもないにもかかわらず(笑)、私はこの原稿の手直しというのが昔から大好きで、直していささかなりとも巧くなることに純粋な歓びを感じるのだけれど、それって別に誰かにわかって欲しいという気持ちも全然なくて、独り悦に入ってるだけの話なのであった。で、文章とか絵画とか音楽とかやってる人って大概こうしたパターンなんじゃないかと思うわけであります。果たして「巧くなりたい欲求」を持つロボットなるものが出現したときに初めてこの欲求が人間の何に根ざしているのかが解明されるのでありましょうか。


コメント(2)

ロボットにとっての「巧い」ってどういうことなのでしょうか?
この公演、見に行きたかったのに取れませんで残念、このことだけでも教えていただけると嬉しいです(^^ゞ
文章や絵画や音楽なら自己表現として、やる側が「こうありたい」っていう思いをちゃんと持ってると思うんですけど、ロボットの場合も「こんな風に踊りたい」というイメージを持ってからということになるんでしょうか。
ということは、まずロボットに価値観をもたせるということになりますよね…人間でも価値観を見失いやすい今日に…なんだか壮大かも。

投稿者 猫並 : 2007年01月13日 09:28

>ロボットにとっての「巧い」ってどういうことなのでしょうか?

現段階だとまだなるべく人間と近い感じに滑らかな動きを見せるというレベルなんでしょうが、絵画に黄金分割という考え方があるように、踊りにも手足の位置や動かし方がその個体にとって最も美しく見えるカタチというものがあるとする考え方に基づいて、ロボットにはそこを狙わせるのがよかろうと思います。むろん人間も「古典」の場合は本来はそこを目指して訓練を重ねるわけですが、人間はそれが完成に近づくとすぐに崩しにかかる、つまりはバロックする傾向が個人レベルでも時代感覚のようなものにでも抜きがたくあるような気がするので、近い将来ひょっとすると古典芸能などの伝承はロボットにお任せしたほうがはるかにきちんとしたカタチで残せるはずです。ただしロボットでそんなものを残すことにどんな意味があるのかといわれたら、ちょっと首をかしげるところですが(笑)
 ちなみに価値観が揺れるのは現象面に目を奪われすぎるからで、ことに消費社会の今日はその傾向が著しいといえるわけですが、現象を超越した「イデア」の想定をしない限り、上記の「古典」という考え方は成り立ちません。

投稿者 今朝子 : 2007年01月13日 22:21



2007年01月13日

ぶり大根

昼間近所の大島さんとイタ飯のランチをたっぷり食べたので夜は安上がりなこのメニュー。
 大島さんとは新年初の顔合わせである。落語家のマネージャーだからとにかく年末年始は超多忙で、これまでまともに食事をする暇もなかったらしい。事務所兼自宅でうどんの一杯も食べる余裕がなく、タクシーの中でやっと何か口にする程度というジャニタレ並の売れっ子ぶりで、「タレントは現場に行けばひとつの仕事しかないからいいけど、マネージャーは色んな仕事が待ってるから余計タイヘンなのよ!」とのことでした。


コメント(1)

お〜〜〜こわ
親しき仲にてチョイト愚痴をこぼしたら・・・・
今後はオ・コ・ト・バ・も、お・え・ら・び 致し申さねば!!(笑い)

投稿者 近所の大島 : 2007年01月14日 02:48



2007年01月14日

五穀米弁当、もっちり豆腐

 今日は天気予報でいってたほどに寒くはならず、まさに絶好の乗馬日和とあって馬も私もご機嫌で2鞍騎乗。それにしても1月中旬でこの陽気はただごとではない。ナイターで乗ってる人も大勢いたが(写真下段)が、私は親しい仲間のひとりと「今夜は『華麗なる一族』を見なくちゃねえ」といい合って(笑)8時半過ぎに帰宅。例によって東横のれん街でゲットした弁当を食べながらしっかり見たのであります。
 まず冒頭シーンにイノシシが登場したのは意表を突かれたけれど、これって今年が亥年だからなんでしょうか(笑)。それともそこまで憶えてないけど、原作で狩猟のシーンはあったはずだからそこにイノシシが出てきたんだろうか。で、ラストシーンにまるで人面魚のような作り物の鯉が出てきたのはビックリでした!この原作が週刊誌に連載されてた当時をリアルタイムで知ってる世代の人間としては、ああ、今どきはここまで平たい脚本じゃないと若い人にはわからないのかもしれないなあとは思いつつも、当時の若い子すなわち私は佐分利信と仲代達矢が主演した当時のリアルな大人の映画をを非常に面白く見たのだから、日本人はこの間あきらかに幼稚化したのである。いい年をして何にでもマヨネーズを塗って食べる人が増えたのとよく似た現象ともいえます。で、上海ロケ等によるレトロな背景作りにえらく凝っていながら、肝腎の登場人物がマンガチックに描かれるのは『三丁目の夕日』の影響なのかもしれないが、あれはそもそもマンガが原作なわけで、太陽神戸銀行合併劇の内幕を描いた実録小説をこうもマンガチックにしてしまうのは如何なものか。キムタクはともかくとして、北大路欣弥の風格はさすがだし、女優陣はそれなりに古風な味を出せてる人もいるのだから、脚本と演出をなんとかもっときっちり出来なかったのだろうか、などとブツブツ文句を垂れながらも結局最後まで見てしまったのであります。




2007年01月15日

小松菜と人参と油揚げのさっと煮、塩鮭

 QPで見た料理。千切りにした人参とざく切りにした小松菜、細切りにした油揚げを胡麻油でさっと炒めて酒、塩、味醂、醤油で味付け。仕上げにすりゴマをふる。和製ナムルといった味わいである。
 ひと仕事終えてからいつものように近所を散歩をして、いつも通る道で見かける梅がもう満開になってるのでドキッとした。この分だと今年の東京は3月になるとすぐに桜が咲き出して月内に散るかも!江戸時代の小説を書くときは現在の暦とほぼひと月ちがう陰暦を用いるが、だんだんそれと変わらなくなってくる感じだ。京都も恐ろしいくらいの暖冬だというメールが来た。
 そんなわけで今日はとうとうアル・ゴア元米副大統領の著作『不都合な真実』をアマゾンで買ってしまいました。




2007年01月16日

ワタリ蟹のパスタ、アボガドと海老のサラダほか

 池袋の東京芸術劇場中ホールで『桂小米朝のモーツァルト!モーツァルト!』を見た帰りにスラッシュのおふたりと近所で食事。
 上方落語家の桂小米朝は知る人ぞ知るモーツァルト通で、彼のオペラを落語を交えて紹介するという試みは以前から関西でやっていたらしい。生誕250年祭の掉尾を飾る企画として今回その東京公演が実現し、意外なくらいギッシリ詰まった客席を見て、ハテこの客層のメインは果たして落語ファンかオペラファンか、さあ、どっち?と考え込んだのは私ばかりではないだろう。ともあれオペラやクラッシックにそう馴染みのない人にとっては親しみやすくて非常に良い入り口となりそうな好企画だった。
 小米朝がまずクラシック音楽やモーツァルトをネタにした落語を2題演じて客席をほどよくほぐした後に、曲を聴けば誰でも、ああ、とうなずく『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』の弦楽四重奏を新日フィルのコンマス筆頭にそこそこ一流のメンバーが披露。そのあと二期会の歌手も加わって『フィガロの結婚』を超ダイジェスト版で見せる。二期会の歌手がひとりは柴田智子で、もうひとりは思わぬ芸達者な女性歌手で、有名曲のサワリを何曲か唱い且つ落語家の小米朝とピッタリ息の合った芝居もするし、小米朝のほうもまたしっかりと「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」を唱ってくれたりする。かくしてフィガロのちょっとややこしいストーリーがひと通りわかった上で、多少なりとも名曲のサワリが堪能できて客席は大満足のようだった。
 小米朝という人は正直いって落語はあまり買えないけれど、こうした企画物でMCをやったりする分には悪くない。花は十分にあってキュートだし、役者としても、役によってはそこそこ活躍できる人だろうと思う。いっそミュージカルにチャレンジさせてみるという手もあるような気がする。本業の落語をやると妙に萎縮してイッパイイッパイの感じなのが、今日はとても活き活きと輝いて見えたのが頗る印象的だ。




2007年01月17日

上方寿司、ダッタン蕎麦

整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 昨日スラッシュのおふたりが『華麗なる一族』の話をして「たしかに演出もひどいけど、キムタクを主演にした段階でもうダメでしょ」と根本的な問題を告発した(笑)が、今日わたしは渋谷で映画『マリー・アントワネット』の駅張りポスターを見て、これがまた余りにも今っぽいカルーイ作りなのでいささか驚いてしまい、こういう傾向って洋の東西を問わないんだなあと思いつつ、それにしても今どき何だってこんな映画を撮ったんだろう?と考えて、ああ、そうか、これはきっと「怒れるワーキング・プアよ、今こそ起ちあがってセレブ妻をギロチンにかけろ!」という強いメッセージを込めたのだと拝察したのであります。


コメント(2)

『マリー・アントワネット』のポスターは、色調の淡い蜷川実花みたいな画だなぁ〜と思いました。パステル・トーンなので視覚的には余計にカルくみえるのかも知れませんね。松井さんの仰るようなメッセージが込められていればまだマシですが、どうもソフィアの映画は「孤独な(若い)女性」ばっかり出てきて、「要はお前さん(ソフィア)の自己投影かい?」という気がします。・・・みてないですけど(笑)
下手な役者を使うのは「ドラマのクオリティより数字が大事」というシンプルな理由のような気がします。ドラマでなくて木村が見たいから見る。どこかの役者が好きだから、下手くそだけど『勧進帳』は見る、というのと一緒で?

投稿者 ふみ : 2007年01月17日 21:34

>ふみ様へ

>どうもソフィアの映画は「孤独な(若い)女性」ばっかり出てきて、「要はお前さん(ソフィア)の自己投影かい?」という気がします。

あっ、なるほど。ソフィア・コッポラの映画でしたか。ピーター・ブルックの娘というのもちょっと困ったもんでしたけど(笑)。

>どこかの役者が好きだから、下手くそだけど『勧進帳』は見る、というのと一緒で?
  
 きつッ!(笑)

投稿者 今朝子 : 2007年01月17日 23:55



2007年01月18日

大根とツナのカレー

 前にQPで見た記憶をたどりながら作ったが、かなり美味しくできたし、なにせヘルシーなカレーなのでオススメ!人参、生姜、玉ねぎ、ニンニクをフードプロセッサー(私はミキサーで代用した)で細かく砕いてからサラダ油とバターで炒め、カレー粉と小麦粉を足してまずルーをこしらえる。そこに大根の角切りを入れてさらに炒め、トマトジュースとスープを注ぎ、杏ジャムを隠し味にしてじっくりと煮込む。最後にブロッコリーとツナ缶を入れて塩と醤油で調味。私は好みで胡椒とクミンシードをプラスした。大根が非常に美味しく食べられる。カラーはやっぱりルウから作ると自己満足できます(笑)。




2007年01月20日

白子の薫製、甘エビの薫製、豚の薫製の煮込み、蒸し野菜、ポルチーニのリゾットほか

 角川事務所の原重役と打ち合わせのあと近所の「薫製屋ヌーベ」で食事。ここは結構オイシイので三茶にお越しの方にオススメです。
 近ごろアウトドアに目覚めた私は周りの編集者で珍しいアウトドア派の女性である原重役とその手の話で盛りあがったのですが、四十路を迎えた彼女が自身でひとつ成長したと思えるのはなんと野球が巧くなったこと!だそうであります。チームにちゃんと所属して休日には試合にも出る彼女が電車の中でバットを持って立ってると「少年たちがみんなアレっ?という顔で見るんですよ」とのこと。そりゃそうでしょ、としか申しあげようがありません(笑)。


コメント(2)

本日の文とは関係は無いのですが、京都に在住してて、京都新聞を購読してます。
「そろそろ旅に」楽しみに拝読してました。終わって淋し〜いです。
一九さんよりも馬琴さんが好きになりました。

投稿者 ともちん : 2007年01月20日 23:51

>ああ、そんな風に仰言ってくださると作者冥利に尽きます。
新聞連載は一応300回のお約束だったので、後半かなりはしょって書き飛ばさざるを得ませんでした。相当に書き替えるかたちで単行本にして、今年の冬か来年初めには出版するつもりですので、またどうぞよろしく。

投稿者 今朝子 : 2007年01月21日 00:07



2007年01月20日

鰺の干物、こんにゃくのステーキ、アスパラガスの練り胡麻和え

鰺の干物は大家さんにもらった小田原土産。あきらかに昨日の過食を調整するメニューであります(笑)。
 昨夜遅くある方からの電話で、名前は伏せるが、古典芸能の伝承者として非常に大切な存在である某が「世の中の先のことを考えると不安だらけで欝になってしまう」と周囲に訴えたという話を聞いて、さもありなんと思いつつ、「まあ、先が見えないのは古典芸能ばかりじゃありませんから」と明るく笑って慰めた私である。
  愚物鈍感を絵に描いたような保守反動の政治家が能天気に「美しい国」を鼓吹して国粋文化の見直しがさかんになっている現象の陰に隠れ、そうした文化の現場レベルでは送り手側と受け手側の劣化、及びそれを支える基盤の崩壊が深刻で、ある世代以降の当事者はだれしも不安でイッパイだろうと思う。けれど今や先が見えないのはどの業界も一緒だし、出版界だってあと10年保てばいいほうだけれど、10年保てばまあいいやと思って手をこまねいている人がほとんどではないか。
 なんたって肝腎の地球そのものが保つかどうかもわからない感じがしている昨今だが、けさ見た情報番組で米軍のイラク派兵2万人強の増員は単なる撤退戦略ではなく、イラン侵攻の足がかりだと読み解くコメンテーターの発言にはドッキリでした!ブッシュの目、あれはホントにそんなこともやりかねないアブナイ人の目だ。


コメント(2)

今日、イヤホンガイドの企画で「衣装方さんにお話を聞いて観劇」というのに参加して、帰ってきたばかりです。衣装部屋に入れていただいて、実物を見ながらいろいろ貴重な話を聞かせていただきました。その中でやはり織物や生地、生地の間に入れる綿などが手に入りにくくなっていて、質も昔の物に比べて少しずつ悪くなっていると言われていました。人形の肩パッド(?)として昔からヘチマが使われているのにびっくりしました。人形に使われる鯨のひげと一緒で、代用が効かないんだそうです。このヘチマも手に入りにくくなっているとか。毎日生活に追われていると「何か変だな」とは思っても、日ばかりどんどん過ぎていきますが、振り返るとほんの数十年で日本文化の変遷(衰退)は、とんでもないものがあることに愕然とします。我々もその責任の一端はあるのですが、政治家の方々にはまず「美しい国」という前に「美しい政権・政治」をお願いしたいものです。とうてい無理かなあ?

投稿者 岩谷真知子 : 2007年01月21日 23:16

>岩谷様へ
 私も先年吉野に取材に行って『義経千本桜』「すし屋」のモデルになった店を訪ねて当代店主弥助さんのお話を伺い、江戸時代初期から連綿と作り続けていた例のつるべ鮨がわずか15年ほど前に製造中止を余儀なくされ、その理由が容器に用いる藤の蔓を採取してくれる人がいなくなったからだと知ってなんともいえない気持ちになりました。何百年も続けられたことがここ2,30年で消えたというような例はほかにも多々あろうかと存じます。

投稿者 今朝子 : 2007年01月22日 06:37



2007年01月21日

五穀米弁当、もっちり豆腐

乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
 昨日が寒かったので心配されたが、今日はまた暖冬にもどって快適な乗馬日和で、「こういう天変地異も考えたらちょっとコワイけど、でもラクに馬に乗れるし、今年はこのまんまでいいよね」と身勝手なことを仲間と言い合って2鞍騎乗。1鞍目はグレートガバナーという凄いネーミングの割に温和しくてとても乗りやすい馬でラッキーだったが、これが雨滴の1粒でも顔に当たるとパニック状態になって一目散に厩舎へ逃げ帰ろうとするチョー雨嫌いのユニークなお馬さんで、ホント馬の個性も多種多様だから、最近は馬場や厩舎を見てまわるだけでもけっこう楽しいのであります。
 乗馬を始めてから「馬にもこんなに色んな性格があるんだからと妙に悟って、他人に肝要になった気がする」と仰言った方もいる。彼女は雇用均等法第1世代のバリバリのキャリアウーマンだが、いろいろ話を聞いていると、女性勤労者は既婚未婚を問わず、均等法がなかった私たちの世代よりもかえって大変になったのかもしれないと思うこともある。私たちの世代だと、男性に伍して働く女性はまだ特殊な存在とみなされて、無視をされることがあったにしても、一方で同性を敵に回すことは今より少なかったのではないか。それに昔はまだどこの会社も割合おっとりとしていて、数字にあらわれる業績を今ほど求められることはなかっただろう。賃金格差の問題もさることながら、しっかり稼いでる勤労者もまた大変な思いを強いられているなかで世の中は否応なくギスギスし、かくして動物に癒しを求める人が急増したことを実感するのでした。




2007年01月22日

鶏手羽と白菜の炒め煮

 QPで見た料理。鶏手羽と長ネギの薄切りをこんがり炒めて干し椎茸と戻し汁、酒、鶏ガラスープを加えてじっくり煮込み、そこにしんなりするまで炒めて取りだしておいた白菜を足してオイスターソース、醤油で味付けし、最後に春雨を加えて塩胡椒で調える。簡単安あがりな中華メニューでとろっとした白菜が美味しく食べられます。
 今日スーパーで買った長ネギは直径1.5cm以上もある明らかに育ちすぎのが3本まとめてなんと100円!で、ほかの野菜も一様に安いのは有り難いのだけれど、暖冬異変もここまで来ると本当にコワイ。きのう京都の妹が電話で「鯛がずっと居るんやて」というから一体なんのことかと思ったら、実家の料理屋に昔から出入りしている業者サンのお話で、瀬戸内海の鯛は(もちろん天然物です)例年冬に暖かい海のほうに行ってしまい、春3月にまた帰ってくるのだそうだが、それが今年はずっと居っぱなしなんだとか。極上の明石鯛が運動不足に陥っても困るとはいえ、きっとそんなことは些細なことで、各地に凄まじい海洋異変が起きているニュースも昨今は珍しくない。さまざまな危機が叫ばれるなかで、こうした自然環境の崩壊が私はいま最も深刻な問題だと思っていますが、さりとて具体的な取り組みは恥ずかしながらまだほとんど手つかずの状態であります。
 


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来月の(でしたよね?)ガラパゴス旅行で「何かしなきゃ〜!」という気持ちが強まるかもしれませんね。ちなみに私は八百屋の娘ですが、子どもの頃の記憶とてらしてスーパーの棚を見ると、たしかにラインナップがメタメタだと思います。先日大阪に行く新幹線の窓から空と山を眺めていて、これは秋(11月あたまくらい)の景色だ、と恐ろしくなりました。季節よ、お前はどこへいく・・・

投稿者 ふみ : 2007年01月22日 22:23

ほんまに暖かい冬です。我が家のパソコンルームは京都のそれも鰻の寝床の様な家(大正2年築)の北側に有って、冬は必要に迫られへんかぎりパソコンの前に座るのはかなんのに今冬は楽しく今朝子先生のホームページを見させてもろてます。
今も市場に行って来ましたが、春の山菜「たらの芽、蕗のとう、こごみ」と売ってました。温室とは言え季節感がさっぱり無くなりました。

投稿者 ともちん : 2007年01月23日 13:35

梅の花が大好きで、梅柄の付け下げを「1月限定になるけどなぁ」と思い切って買ったのですが…今年は東京でももう紅梅白梅共に咲いてますもんね。1月限定どころか、紗袷より着る期間の少ないものになりそうで…
おかげでコートの出番がほとんどないので、今年はクリーニングなしでブラシだけかけてしまってもいいかな、それで多少はCO2が減るかな?なんて。

それに、先日亀さんが起きてしまって…というお話がありましたが、普段冬眠するサファリパークの熊さんなども起きちゃって、餌代が例年よりかさんで大変だそうだと獣医の友人がいってました。寝る時に寝ないとカラダに悪くないのか?と聞いたら、そういう事例がないのでわからんとのこと。事例ができるような世にしないようにしなきゃなぁと合意したものの、言うだけで何をしたら良いのかサッパリ…

投稿者 猫並 : 2007年01月23日 19:04



2007年01月24日

コリオレイナス

 昨日さいたま芸術劇場で見た芝居だが、劇場を出られたのが10:40分で、三軒茶屋にたどり着いたのは12時をまわっており、それから軽い食事して帰ってきたら、もうとてもブログを更新する気力はなかった。しかしなかなか面白い舞台だったので見に行った甲斐はありました。
 日本では滅多に上演されないこのシェイクスピア最後の悲劇は彼の作品には珍しくシンプルな構造で、コリオレイナスの称号を得たローマの武人ケイヤス・マーシァス(唐沢寿明)のまさしく「性格悲劇」をストレートに描いている。人並み外れた勇気を持ち、戦術、武術いずれも凡人をはるかに上まわる能力の持ち主である彼は凡庸な民衆を徹底的に軽蔑し憎悪する傲慢な性格であり、それをまた全く隠すことができないという点で極めて純粋且つ真っ正直な男でもある。当時のローマは共和政をとるために、数々の武功によって執政官の地位に推挙されながら民衆の支持を得られず、むしろ民衆に国を逐われるはめになった彼は、互いに宿敵と認め合う敵国の将(勝村政信)を頼って敵軍の将となり故国ローマを攻め滅ぼそうとさえする。彼の唯一の弱点は彼を剛毅不遜な性格に育て上げた母親(白石加代子)の存在で、ローマを滅ぼす寸前までいきながら、母親の哀願に屈したために、ついに他国で謀殺するはめになるが、こうした展開はまるで近松半二の浄瑠璃を彷彿とさせ、これまたシェイクスピアにして珍しい東洋的な味わいをもつ作品ともいえる。
 英国上演を予定しているせいもあってか蜷川演出もまた東洋趣味が横溢し、衣裳や装置、音響はチベット?清朝?日本式を綯い交ぜにしたものながら全体にうまく調和が取れていた。宝塚の大階段のような装置で日本刀を使った殺陣がふんだんに盛り込まれ、且つシェイクスピアの膨大なセリフをスピーディに喋りまくる役者たちの苦労は相当に過酷だと思われ、初日に早くも喉をやっていた男優が何人もいたのが少し心配されたが、男優陣は主演の唐沢、勝村、吉田鋼太郎、瑳川哲朗いずれもよくやっていて、ことに勝村は成長著しいと感じられた。
 ストーリーは単純だが、面白いのは民衆の描かれ方で、移り気で扇動されやすく無責任な彼らの姿は今も昔もそうは変わらぬと見え、それを主人公があからさまに罵るから、私の前に座っていたご婦人は幕間で席を立つときに「私この芝居むかつくわ、だって民衆だもん」と仰言ってたのがおかしかった。しかしそんな彼も母子の情に負けて死んでいく哀れな姿が共感を呼んだにちがいない、カーテンコールではそのご婦人が熱狂的なスタンディング・オベイションをなさってられたのが印象に残る。
 主人公が壮絶な死を遂げるラストシーンは私自身もちょっとウルウルするくらい感動的だったのだが、同行した文春の内山さんはイマイチ唐沢の役作りにご不満だったようで、「『天保12年のシェイクスピア』でやったリチャード3世だとぴったり来たんですけどね」と仰言った。今回の役はストレート過ぎて、もう少しひねりがあった役のほうが彼には向くのではないかとのこと。そういわれて私はこの役って何かに似てるよなあ……と考えて、ハッと思い当たったのが前に唐沢がTVで人気を博した『白い巨塔』の財前五郎である。そうだ、この唐沢の役作りは財前五郎なんだ、と妙に腑に落ちて劇場をあとにしたのであります(笑)。 




2007年01月24日

朧の森に棲む鬼

 集英社の八代さん、栗原さん、講談社の堀さん、神保さんとご一緒に新橋演舞場公演を観劇。編集者の方々をお誘いしながらチケットが平日のマチネしか取れなかったのは申しわけなかったが、超満員の客席は性別年齢共にバラバラで、勤めを休んだサラリーマンやOLとおぼしき方も大勢いて、市川染五郎と劇団新感線がタッグを組んだこの興行の人気が今やいかに高いものであるかを窺わせた。
 シェイクスピアの『マクベス』を下敷きにして「頼光四天王の世界」を取り込んだ作品で、森に棲む魔女の予言を得た主人公ライは「人間に正義などない。あるのは欲望だけだ」と確信して舌先三寸と無敵の刀剣を武器に周囲の人間を次々と陥れ屠って王座に就き、予言通りの死を迎える。殺陣をふんだんに盛り込んだ演出は新感幹のオハコとはいえ、全体にアジアンテイストでまとめた雰囲気は昨夜見た『コリオレイナス』とも共通し、ただし同じアジアでも昨夜のは北方系、今日のはあきらかに南方系で、魔女が登場する森には映画『キリング・フィールド』を彷彿とさせる髑髏の山が築かれ、ベトコンを模した戦士なども登場させている。一方で本水(ほんみず)や血しぶきをたっぷり使った生々しい舞台作りが大いに功を奏して客席を沸かせた。
 主人公ライに扮した染五郎は初めて新感線と組んだときの公演に比べると役者として格段に頼もしくなっており、歌舞伎の本公演ではイマイチ精彩を欠くこの人が魅力的な「色悪」を演じきった。ヒロインの秋山菜津子は達者な演技だが、やや花に乏しいのは如何ともしがたい。古田新太は欠かせない存在ながら、今回ゲスト参加したかたちの阿部サダヲはオイシイ役で期待通りの活躍を見せた。見ているほうは息つく暇もないあっという間の4時間でした。
 


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私も今日コレ観てきました(夜の部ですが)。新感線の芝居は相変わらず土くさいですが、俺は舞台がすきなんじゃ、やりたいんじゃ、という関係者各位の熱みたいなものが伝わってきて、ちょっとキュンとしました。新感線には私の好きな橋本じゅんがいますが、現在「野田家(『ロープ』)」に居候しているためこちらには出演がなく、そこがとっっても残念でした(涙)

投稿者 ふみ : 2007年01月25日 00:22

私は新派が大好きで、新橋演舞場と言えば新派を思います。
12月公演は新派でしたが・・・
江戸時代の歌舞伎も確か良いんですが、ちょっと前の時代もなかなか良いもんですよ。
今、切実に思う事はそんな前の事よりちょっと前の事から振り替えってみませんか・・・

投稿者 ともちん : 2007年01月25日 00:44

>ふみ様へ
>新感線には私の好きな橋本じゅんがいますが、
私は古田のファンで、彼が近所に住んでいてよくすれ違うので喜んでいます(笑)。

>ともりん様へ
>私は新派が大好きで、新橋演舞場と言えば新派を思います。

私も昔は新派が好きでよく見てましたが、松竹に入社した年に先代水谷八重子が亡くなって、そこから急速に人気が落ちていったのを肌で感じておりました。劇団の回復はもう無理でも、鏡花物などはずっと上演されるでしょうし、川口松太郎なども今後以外に人気が復活する可能性はあるように思います。

>今、切実に思う事はそんな前の事よりちょっと前の事から振り替えってみませんか・・・

ちょっと前の時代とはいえませんが、拙著『銀座開化事件帖』のシリーズは明治物です。今年第2巻の単行本と第1巻の文庫本が新潮社から併せて出版される予定ですので、よろしければご高覧下さい。もちろん喧伝です(笑)。

投稿者 今朝子 : 2007年01月25日 09:15



2007年01月25日

辛味大根そば

 紀伊国屋サザン・シアターで井上ひさし作『私はだれでしょう』を見る前に高島屋内の「永坂更科」で食事。
  またしても!台本の遅れで初日が大幅に延期された公演だけに、役者陣の奮闘は大いに湛えたいが作品については敢えてノーコメントにしておきたい。浅野ゆう子は悪条件の初舞台ながら妙に力まずに安定した演技を披露している。今後を期待したい。川平慈英はそこそこオイシイ役に恵まれたが、佐々木蔵之介はしどころがなくて勿体ない起用だった。




2007年01月26日

初釜

 今年の初釜が開かれたのは紀尾井町の「ふくでん」。ここは北大路魯山人ゆかりの料亭「福田家」の別館だが、意外にカジュアルな雰囲気の店である。初釜の茶懐石はたいていおせち料理のような感じだが、ここはお椀も白味噌のお雑煮だったのはお茶の先生が京都の人だというのを考慮したのだろうか。待合いには表千家先代宗匠即中斎のお軸が用意され、屏風も当代宗匠の花押入り、膳の箸の置き方もちゃんと表流にしてあったのは当然といえば当然だろう。料理屋たるもの、これくらいの心得と各流儀の道具がそろっていなければ茶事は引き受けないはずである。で、肝腎のお味はまずますといったところか。濃茶、薄茶ともにたっぷり戴いたにもかかわらず、帰りにミルキィ・イソベさん、今野さん、三村さんとHニューオータニの別館でまたお茶してしまいました。

 




2007年01月27日

湯豆腐、しらす大根、アスパラガスの練り胡麻和え

 今週は外食が多かったので、久々にわが家での晩ご飯は超シンプルにして、妙にほっとした感じです(笑)。
 ところで今週の初めに暖冬異変のことを書いたら皆様から続々とご投稿を頂戴し、今日の東京がこれまた春本番!とでもいうしかなバカ陽気だったので、『不都合な真実』はますます現実味を帯びてきて、まさしくタイムリーな出版物といえそうだ。版元はランダムハウス講談社だから、ひょっとしてあの蝶ネクタイをしたシニカルな紳士、宮田さんのお仕事なのかしら?というような業界ネタはさておき(笑)、これに掲載された数々の写真にはやはり愕然とさせられた。
 キリマンジャロに雪がない風景はTVスポットでもよく目にするが、ええっ、チャド湖ってもう無くなったわけ!北極や南極はホントに『ザ・デイ・アフター・トウモーロー』の世界なんだ!てな具合に自然環境の大いなる変貌を写真で目の当たりにさせられて、半世紀にわたる調査のデータやグラフの提示で説明されると、地球温暖化の深刻さは今や想像以上のものがあると認めずにはいられない。もっとも本全体の作りに関しては、これこそ森林資源の破壊じゃないの!といいたいような紙の無駄遣いが見られるし、結局これってアメリカ民主党のプロパガンダ?という気もするのだけれど、プロパガンダにしてもこれだけの見識をアピールできる政治家がいるのだから、お粗末な日本の政治レベルとは全然比較にならない。
 ただし「環境に優しいことはお金にもなる(中略)環境面の改善が、経済面の利潤につながる時代なのだ」だと明言して憚らないあたりはいかにもアメリカの出版物である。こうした前向きな姿勢(?)を抜きにしては多くのアメリカ人の心は動かせないのだろう。地球の崩壊がもうそこまで迫っているような壮大な話を展開しながら、最後には電気器具のプラグはこまめに抜くことが肝腎とか、縦型式よりドラム式洗濯機のほうが、デスクトップよりノート型PCのほうが省エネになるとかいった超ミニマムな前向き提言でしめくくられているのも私にはなんだかちょっと違和感があった。そりゃ個人が何もしないより何かしたほうがはるかにましだとは思うけれど、それよりもわざとすぐ壊れるように作った電気器具の販売や、修理費用よりも買い換えた方が安くつくような仕組みを企業に許しておくのはどうかしてるという気がするし、バリバリ稼いで消費にドンドン注ぎ込む人間こそが社会的に評価されるとしてきた価値観をどうにかしないと、結局根本的な解決には至らないのではあるまいか。てな経済活動に後ろ向きな考え方はアメリカ人のテイストに合わないんだろうなあ、きっと……。


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私は農学部出身なのですが、学生時代に「自然」とはあるがままということであって「自然保護」というのは相反するありえないコトバであり「自然」と「環境」とは決定的に異なる…とかいう、いかにも学生らしい熱い議論をした記憶があります。
地球の表面がちょっと暖まったり冷めたり湿ったり乾いたりするのも自然で、微生物が腐葉土を作るのも人間がゴミを増やすのも「宇宙」の「宙」のメモリが違うだけだよね、とか。
四半世紀前のことを今でもよく覚えているのは、コンセントはマメに抜きましょうという環境保護の施策と、キリマンジャロの雪が!という自然の変化を結びつけた議論に感じる違和感を上手く説明できないまま年ばかり取っているせい。
で、この前の日記を拝見したあと、『不都合な真実』をネット書店で注文しました(笑)今日また日記を拝見して、2-3日で届くはずだったのになぜ来ない?と思い出したところです。

投稿者 猫並 : 2007年01月28日 10:52

>猫並さまへ
>私も西洋発信の自然保護観にはなんだか非常に違和感があるんですよね。私たちはそもそも自然環境の一部なわけで、保護するというのは思い上がりのような気がして。
 小中高と一貫してミッションスクールで学んだので、週1でキリスト教の授業がしっかりありました。たしか小学校の教科書に石、花、動物(ゾウか何かだったような)、人間、神を順番に描いた挿絵があって、つまり人間は神に一番近い存在であるということの説明だったのですが、それを見たときのなんともいえない違和感がいまだに尾を引いています。万物の霊長たる人間は自然を飼い慣らし且つ保護するという発想がキリスト教文化には抜きがたくあるような気がします。片や人が死んだら次は鯛に生まれ変わる(笑)かもしれないので、命日には魚肉を絶つというような習慣を長く持ち続けた日本人の自然観とはどこか相容れないところがあるように思われてならないのです。

投稿者 今朝子 : 2007年01月28日 21:51



2007年01月28日

ひつまぶし、野菜サラダ

乗馬の帰りに渋地下でゲット。
去年の今ごろはたしか馬場に霜柱があったような気がするけど……と思いつつ今日も暖かな陽射しの下で快適な乗馬を満喫。で、2鞍目に乗ったのはクラブに1頭だけいるポニーでした。ポニーといっても遊園地で子どもを乗せてるポニーよりは大きくて、成人男性が乗っても平気なのだけれど、やはりサラブレッドの中に1頭だけ混じっているとスエーデン人の集団にひとり日本人が入っているような感じだから(これってサベツ表現?)見ているとおかしいのである。クラブの会員にはお子様もかなりいるのに、このポニーは決してお子様専用馬にはならず、まんべんなく会員を乗せ、時に足が地面に着きそうな大柄な男性が乗ってたりもする。小柄だし顔も可愛いからまるで仔馬のようにも見えるのだが、「あれでも2仔の母だそうですよ」と笑いながら教えてくれた人がいた。母だからさすがにしっかりしている。サラブレッドに混じって走ると、歩幅がかなり違うのに、懸命に走って追いつこうとする健気な馬で、乗ってみると非常に気性の荒い馬だというのがひしひしと伝わってくる。私の知る限り、人間でも小柄な人ほど気が強いように思われるのですが(笑)。


コメント(2)

こんばんは。先日は「コリオレイナス」で久々にお会いでき、本当にうれしかったです。「人間でも小柄な人ほど気が強いような気がする」説、拝読して、思わず笑ってしまいました。自分が小さいせいか、身長に付随する情報になかなか客観的になれないのですが、確かにそんな気もします。今後の人間観察に、その項目もぜひ採り入れてみようと思いました。また近々、お会いできますことを祈っております。

投稿者 トクナガ : 2007年01月29日 21:20

私もトクちゃんと久々に会えて嬉しかったです。芝居で何か面白いのがあったら教えてください。

投稿者 今朝子 : 2007年01月29日 23:41



2007年01月29日

鶏肉のおろし煮、ハリハリサラダ

 QPで見た料理。鶏肉は軽く片栗粉をまぶしてニンニクを入れた油で炒め、出汁と醤油と酢を入れてしばらく煮込み仕上げに大根下ろしを入れる。簡単安あがりで意外においしい。水菜には胡麻油でカリカリに炒めたチリメンジャコをトッピングして、残りの油に酢と醤油を混ぜてドレッシングにする。ジャコは弱火でじっくり炒めるのがポイント。
 わが実家は京都の祇園町で料理屋という極めて軟弱な商売をしているにもかかわらず、昔から家庭内でふしぎと政治の話題が多かったような気がする。実際に政治家がプライベートでお客様になっていたりするケースもあるが、だからといってお客様の政治家が多い政党を必ずしも支持しているわけではなくて(笑)、意外に反体制的な気分が濃厚だったのは京都という土地柄のせいかもしれない。京都人は大昔から権力者を身近に見ているためにかえって一般庶民は反権力的な性向をうちに秘めており、だからこそ明治維新というある種の革命の舞台になったりもしたのだろうと思う。先祖には志士や志士を助けた人がいたという話も聞かされているし、また私が生まれてから京都を去るまでのあいだ知事はずっと共産党だったので、別に古都だからではなく、保守的な地方都市とは一線を画しているという自負もあった。
 その京都も今やクソつまらない観光都市に成り下がってしまい、店でもモノでもニセモンが氾濫していると嘆く妹と、昨夜電話でたまたま政治の話題になって、それにしても世界中でパワフルな女性政治家が台頭してるのに、日本はあの扇さんがまだマシに見えるくらいなのは実にだらしない話ではないかと私がいったところ、「そうかてお姉ちゃん、自民党のオッサン見てたら皆ホンマに時代からズレた顔してるで。気の利いた女のひとがあんな連中と一緒にやっていけるわけがないがな」と即座に反論されて、なるほど、それはそうかもしれないと思ったのであった。で、一専業主婦に今やここまでいわれてしまう自民党の現閣僚メンバー柳沢伯夫厚労相が「女は子どもを産む機械」だとうっかり口を滑らせたニュースを今日TVで見た私は怒るどころか爆笑したのであります。


コメント(3)

本当に気の利いている人は政治家という職業を選択しないのではなかろうか、とちょっと思いました。柳沢氏の失言で爆笑した松井さんは大らかですね〜。私はうっかり、社民党アマゾネス軍団のような反応をしそうになりました(苦笑)
それにしても、このニュースを聞いて一番気になるのは柳沢のカミさんの反応です。怒ったのか、呆れたのか、泣いたのか、笑ったのか・・・。どこかの記者がこっそり調べてすっぱぬいてくれないかな?(笑)

投稿者 ふみ : 2007年01月29日 23:54

京都在住の私としては、右も左も(政党)長く続くと腐敗が起こると云うのを感じてます。共産党知事が長かったので被差別地域の人を優遇した結果が昨今云われてる働かない公務員を作ったんだと思います。
私の若い頃の将来の仕事は自民党議員の秘書でした。それを息子に云うと「今頃は汚職で刑務所に入ってるは」ですって・・・日頃の母親の「あわよくば・・」を見てるんですね。

投稿者 ともちん : 2007年01月30日 11:37

>共産党知事が長かったので……
 ああ、それはたしかに仰言る通りなのかもしれません。被差別地域のの問題は東日本の方にはほとんど理解されないのですが、私もニュースで見て、いまだに尾を引いていることを感じました。


投稿者 今朝子 : 2007年01月30日 12:04



2007年01月30日

鱈の豆鼓蒸し

 QPで見た料理。生鱈は塩を振って水気を抜くこと。ネギの白い部分は白髪ネギにして仕上げにトッピング。中の緑の部分と生姜の千切りは香り付けに豆鼓と一緒に鱈に載せ、紹興酒を振りかけて蒸し、酢醤油をかけて食す。
 食事をしながらNHKの「クローズアップ現代」で不二家新社長のインタビューを聞いて、この人で大丈夫なんだろうか……と、LOOKチョコファンである私はちょっと心配になったものだ。まるで評論家のような当事者感覚に欠けた発言が続くもので、いつも冷静な国谷キャスターも珍しく途中でムッとしたように見えたくらいである。
 けっして悪い人ではないのに、話をすると不器用で、当人の意に反して鈍感な発言が周囲をかっとさせてしまうような人がときどきいるが、ひょっとすると今の日本はその手の人がトレンドなのかもしれない。まずもってこの期に及んでもなお「美しい国」をしつこく連呼されるたびに、私はかっとなるのであります。