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2006年10月01日
和総菜セット、もっちり豆腐、松茸ご飯の残り
乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
今日は2鞍乗って両方とも馬柄のいい馬に当たったので助かった。文字通り馬の性格は十馬十色で(といっても毛色と性格はそんなに関わりがないようだけど)、人なつっこい馬もいれば妙にタカビーな馬もいるし、生まれついての性格もあるのだろうが、馬は非常に記憶力がいい動物のようだから、生い立ちに由来するところが大きいのだろうと思う。人間に嫌な目に遭うとやはり警戒心が強くなるらしい。
で、今日最初に乗った馬は相当な高齢馬だと思しいのにひどく甘ったれやで、この馬をいつも熱心にかまってる中学生くらいの女の子がいる。小3から乗馬を始めた彼女はもちろん私なんかよりずっと巧くて、馬装(鞍や手綱をつけること)に手こずっていると手伝ってくれたりするのでよく話すようになった。乗馬は年齢性別を問わずに同じレッスンができる唯一のスポーツといってもよく、老若男女が馬を通じて垣根をポーンと越えられる点も実に素晴らしいところである。
今日わたしが最初に乗った馬を降りて水飲み場につないだら、さっそく寄ってきて「どうでした?」と訊くから「今日はよく走ってくれたよ」と答えると、とても嬉しそうにしている。「この馬はオトナだから助かるよね」といったら「オトナっていうよりお爺さんですよ。もう21歳だから、人間でいえば87歳かな」と、どういう計算かわからないけど、緻密な数字をはじき出した。そんな高齢だと訊くと乗るのが可哀想になるくらいだが、クラブにはもっと高齢馬がちゃんと走っているし、ボンボンという87歳のその馬は障碍ジャンプも出来て「今月この馬でわたし競技会に出るんですよ」というからビックリだった。
ボンボンはもともと個人の所有者がいる自馬で、競技会に出るべく訓練されていたのに、何らかの事情で持ち主が手放して、当クラブで飼われることになったようだ。「せっかく訓練してたのに結局1度も出たことがないらしくて、それで終わるんじゃあんまり可哀想だと思って」彼女がなんとか1度は出してやるべくずっと訓練を続けてきたのだという。人間の勝手な思い入れだと言ってしまえばそれまでけれど、私は日ごろの彼女の熱愛ぶりを見ているだけに、その話を聞いて妙に心を打たれたのだった。
馬は犬猫よりも当然ながら競技会の歴史が長いだけに、それに出してやりたいとか、勝たせてやりたいとかいう人間の思い入れがそんなにおかしくは聞こえないのであろう。そんなわけで、私はあと2時間後に迫った凱旋門賞で、なんとかディープインパクトに勝たせてやりたいのであります。
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大学の馬術部だった頃、調教途中の馬がいまして。
とても懐っこくて大好きだったのですが、その馬に乗っているだけでは私自身が上達しないし、私だけが乗っていたのではその馬の調教レベルも向上しないという、厳しい現実にぶち当たったことを思い出してしまいました。
つくづく、馬は、犬猫とは違うなぁって思います。
ロンシャンには行ったことがありませんが、シャンティのコースは歩いたことがあります。東京競馬場のターフなんかと比べ物にならないくらい柔らかくて深かった気がしますが・・・怪我しないといいなぁ、ディープ。
投稿者 猫並 : 2006年10月01日 23:13
>ああ、残念!本当にいいレースだったけど……。ゴール間際には深夜であることを忘れて叫んじゃいました。珍しいスタート先行が祟ったのかなあ。やっぱり入れ込み過ぎだったんでしょうねえ。でも立派な3位でした。ディープもほかの出走馬も皆ロンシャンの緑に映え、改めてなんと美しい生き物だろう!と感動しました。
投稿者 今朝子 : 2006年10月02日 08:32
2006年10月02日
芋汁
急に肌寒くなった今日この頃にもってこいのQP料理でした。里芋とコンニャクと豚肉を味噌煮込みしてネギを加えるだけ。里芋は粗塩で揉みあげ、さらに下茹でしてあくとぬめりを取るが、ぬめりを取りすぎないようにするのがポイント。コンニャクもむろん下茹でしてあくを取る。豚は脂身もしっかりある肩肉がいい。味噌に酒、砂糖を加えて少し甘めに味付け。味噌は2度に分けて入れ、最後に入れた分で香りを出す。
実はこのところ胃腸がイマイチ不調で、なんてうっかりいおうものなら、そんなにしっかり食べてんじゃん!と怒られそうだが、せっかくの松茸料理も私は思ったほど食べられなかったのであります。まあ、その前の週がとにかく食べ過ぎだったので調整期間に入っているわけで、それでも同年代のフツーの人と同じくらいの量は食べていたりもするのだろうけれど、食欲が急にバッタリ落ちた原因は1冊の本にあったような気もするのであります。
イラストレーターの百田まどかさんから「ミセス」副編集長の福光さんを通じて薦められたカズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」(早川書房)は久々に出会った凄い小説でした。案外あっさりネタバレするし、主題そのものはそう斬新でもないのですが、驚くべきは極めて抑制がきいた筆致で人物それぞれの思いが実になまなましく描かれている点です。かくして私小説なみのリアルさで読まされてしまい、そうなるとあまりにも重い主題がズシンと腹に応え、且つ暗喩的に人生の不条理に思いを致すはめとなり、読了した日からしばらく私は眠りが浅くなって、食欲もいっきに落ちたというわけです。
とはいえ久々にお薦めしたくなった小説でもあるので、興味のある方は体調の良いときにお読みください。今日TVで流れたあるニュースで想いだしてこれを書いていますが、どのニュースかはネタバレにつながるので申しあげられません。すでに読まれた方はご感想をお寄せくだされば幸いです。
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はじめまして。こんにちは。いつも楽しく読ませていただいています。お料理も参考にして作っています。
「わたしを離さないで」はしみじみとよい本でした。わたしには縁のなかった子供時代の友情などうらやましい部分もありました。
感想は、そうですね、不自由であったり制約があることはそんなに不幸ではないのかもしれない。ということでしょうか。時代劇や時代小説の中での個人の力ではどうしようもない閉塞的な生き方の中にも、花も嵐もあるわけですから。
あえて触れないでその部分の不条理や怖さを浮き上がらせる手法はさすがと思いました。
わたしは50歳をとっくにすぎてありとあらゆるしがらみでがんじがらめですが、それでも解放されたという思いはあります。なんでもできた、全ての可能性があった若いころのほうが精神的に束縛されていたような気がします。(だからといって、自由を否定するわけではありません。)
投稿者 あきこ : 2006年10月05日 12:55
わたしは50歳をとっくにすぎてありとあらゆるしがらみでがんじがらめですが、それでも解放されたという思いはあります。なんでもできた、全ての可能性があった若いころのほうが精神的に束縛されていたような気がします。
>ああ、これは本当に仰言る通りかもしれません。今の若い人にぜひ聞かせたいお言葉です。
投稿者 今朝子 : 2006年10月06日 00:44
2006年10月03日
鮭のホイル焼き
QPで見た簡単料理。玉ねぎとプチトマトとピザ用チーズを加えて蒸し焼きにするだけ。鮭は塩胡椒してしばらく置いてから表面の水分を拭いて臭みを取るのがポイント。その上で酒をふりかける。ホイルはふんわりとゆるく閉じてチーズがひっつかないようにすること。
昼間は仕事の合間に渋谷にある某信託銀行に行って年に一度の書き替えがてら担当の女性とあれこれ話をする。以前HPでも書いたと思うが、この担当は時代劇に出てくる薄倖の娘のような古風な美人のくせして見かけとは裏腹に実にしっかりした女性で、今日は「日本の景気は今後どうなの?」と私が漠然とした訊き方をしたら「日本経済の復調は堅いから長い目で見たら大丈夫だと思いますけど、安倍さんがどうも頼りないからといって(投信を)引き揚げて、利益確定をなさった方もございます」と即座に答えて大いに笑わせてくれた。資産運用をなさる方々はさすがに物の見方がシビアである。
所信表明は安っぽい広告代理店が作ったプレゼンコピーみたいだったし、スピーチのたどたどしさは歌舞伎界の一山三文と陰口を叩かれてるダメ御曹司連中を彷彿とさせる感じなので、私はまだこの首相の政治信条を正面切って批判するほどの気も起こらないのだが、黙って投信を引き揚げた方々には頭が下がります(笑)。
今や日本の首相にだれがなろうと経済はそうドタバタ動きはしないのだろうけれど、米国の不動産バブルに対する依存度は非常に高いような話を聞いて、危うきこと累卵の如しという感じは否めなかった。その米国のニュースをBSで見れば上院でも下院でもどうやら共和党の劣勢は避けられない様子で、大統領も民主党に変わる公算大のようだけれど、そうなると日本経済はどうなるのだろう。
ところでビジネスに関わる人はだれしも日本にとっては共和党政権が有り難いのだというが、それは何故かについて私は明確な答えをもらった覚えがない。単に共和党と自民党のパイプが太いというだけの話なのか、それとも米国民主党は共和党より他国にシビアな方針を取るのだろうか、だれかきちんとわかりやすく教えてくださる方はいらっしゃいませんでしょうか?
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私は経済のことはわかりませんので、先生の質問には答えられないのですが、アメリカについて印象的だった日記をご紹介したいと思います。元日経新聞記者、現FACTA編集長、阿部重夫氏のブログーアメリカの没落1――寂寥の風景「アメリカに夢があると信じられない。アメリカというと私の思い浮かべるイメージは、荒涼とした平原に置き去りにされた無人のトレーラーハウスである。都市に林立するハイライズも、毒々しいラスベガスも、明るいカリフォルニアも、所詮は絵葉書の世界でしかない。」
http://facta.co.jp/blog/archives/20060314000103.html
でご覧になれます。アメリカについては1〜6と番外編がありますので、お時間がおありの時にぜひ。
投稿者 バルサミコ : 2006年10月04日 15:59
>ありがとうございます。さっそく阿部氏のブログをちょっとだけ覗いて、大昔に観た「パリ・テキサス」を想いだしました。まだ私が30代だったでしょうか、話題の映画だったので、当時親しくしていた友人4、5人と連れだって新宿の映画館に行って観たところ、この映画を気に入ったのはたった1人!で、あとの全員がどちらかといえば苦痛を感じてその1人を大いにイジメました(笑)。本当に日本では想像もつかない荒涼とした風景で、西部劇でよく観る開拓時代とアメリカはちっとも変わってないんだ!と驚いたものです。今もきっと刺激的なマンハッタンとは裏腹の退屈きわまりないアメリカがあるのでしょうし、だからこそ共和党が力を持ったりするのかもしれませんねえ。
投稿者 今朝子 : 2006年10月05日 09:30
2006年10月05日
八寸、お造り、土瓶蒸し、炊き合わせ、鰆の幽庵焼き、海老と卵豆腐の揚げ出し、蟹の酢の物、松茸ご飯ほか
明日入稿予定の原稿を午前中に仕上げ、「そうだ、京都、行こう」と急きょJR東海したというわけではなくて(笑) 、祇園歌舞練場の「京舞」公演を観るために日帰り旅行をしたのである。
祇園甲部の花街では例年10月初旬に温習会を催し、春の「都踊り」がどちらかといえば一般観光客向きなのに対し、秋のこちらは専らご贔屓筋や通の観客が多い会として知られているが、今年はそれに代えて祇園甲部専属の舞師匠であった4世井上八千代の3回忌追善興行が催されることになって、少しは井上流を習っていた者としてもここは駆けつけないわけにはいかなかった。といっても仕事の関係で行けそうだという気がしたのはチケットの〆切が過ぎた時点だったので、超超プレミアのこのチケットはとても取れないと思っていたのに、魔法のように取れてしまうところが私のコワイところである(笑)。
ともあれ例年の温習会の雰囲気も大いにあって、幕間には髪を夜会巻き風に結ったおかあさん、お姐さんたちが、ご贔屓のいる客席にご挨拶をしまくるという花街ならではの実にプロっぽい舞踊会であり、東京からも古典芸能関係者がどっと詰めかけていて、知り合いが大量にいるロビーで挨拶しだすと面倒だから、私はずっと顔を伏せながら逃げ回っていたのでした(笑)。
井上流について詳しく説明しだすと徹夜でブログを書いても追っつかないので割愛するが、とにかく京舞とか地唄舞とかいう言葉から想像されるような、優雅で嫋々とした舞踊では全然ないということだけはハッキリと申しあげておこう。およそ日本の伝統舞踊の中でもこれほどエネルギッシュなものは珍しいといえそうな流儀であり、能の影響を強く指摘する向きがあるものの、人形浄瑠璃の影響がさらに大きく、また文化文政期の上方歌舞伎舞踊のアクロバティックな要素が伝承されているケースも多々あると考えられる。代々の井上八千代がいずれも長寿で且つ傑出した舞踊家であったことに加え、近代以降祇園町という特殊な空間のみに伝承されてきた結果、数ある流派の中でも古体を比較的崩さずに今日にまで生き延びた、わかりやすくいえば日本舞踊界のイリオモテヤマネコ(?)だと思ってもらえばいいのかもしれない。
一昨年98歳で亡くなった4世八千代は紛れもなく近代の名人であった。思えば日本の古典芸能はいずれのジャンルにも「名人」と呼ばれる傑出した存在が現れたからこそ戦後の荒波をくぐり抜けて今日に命脈を保ったといえるのだが、4世八千代が戦後一躍天才舞踊家として世間に広く知られるようになったきっかけを作ったのは「長刀八島」という演目で、当時NHKが収録したVTRの粗い画像で観てもそれがどれほど気迫のこもった素晴らしい舞台だったかは十分に伝わってくる。
で、今日10月4日は4世の孫である当代の八千代がその「長刀八島」を演じるというので私は勇んで京都に駆けつけたのだが、正直なところ、今回は評価は敢えて見送らせて戴きたい。追善興行でなにせ自身も多数の演目を抱え、且つ追善の主宰として門弟全員の稽古までつけての奮闘の中ではこの演目一本に絞りきっての集中力はとても発揮できなかっただろうと思う。それにしてもこうした偉大な芸人の跡継ぎはむろん有利な点も大いにある反面、常に先代と比較される気の毒な面がなきにしもあらずで、ことに映像が残る時代になったから余計だろう。
ただし今回思わぬ拾いものだったのは当代5世八千代の娘安寿子の成長で、「伊達奴」という、これも井上流だけに伝わる非常にパワフル且つアクロバティックな舞踊をみごとにこなした。まだまだ荒削りだが、この若さでこれだけの力が発揮できれば関係者もさぞかし将来が楽しみなことであろう。
4時開演6時半終演というスピーディさも花街の公演ならではで、終演後は観客の多くがお茶屋に繰り込み、私はいうまでもなく「川上」で晩ご飯である。いやー、やっぱり何を食べても美味しいのであるが(笑)、やはりお造りに出る明石の鯛は絶品!土瓶蒸しも松茸ご飯もこないだ自分が作ったばっかりで、それこそ比較してしまい、味の違いに愕然とした!のは当たり前である。
写真は上から海老芋と生麩と湯葉の炊き合わせ、新作メニューの海老と卵豆腐の揚げ出しと蕪の煮物、オシャレなサラダ仕立てにした蟹の酢の物。
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ご無沙汰しております。
初日を拝見した帰りに「川上」さんに寄せていただきました。
こちらのブログのことも話題にのぼりました。
そのあと、2日・3日と拝見してきました。満足。
京舞についての描写、まさしく納得!です。
ではまた、いずれどこかの劇場でお目にかかりましたら。
投稿者 O : 2006年10月10日 19:44
大越さんですよね。ご無沙汰しております。近ごろは出不精になっておりますが、また何かいい舞台があればお知らせください。
投稿者 今朝子 : 2006年10月10日 22:49
2006年10月05日
牛肉と大豆の混ぜご飯、茗荷と玉子のおすまし
QPで見た料理。米に酒と昆布を入れて炊く。牛肉を醤油と味醂で煮ていったん引き揚げ、戻した大豆と長ネギの薄切り、茸類を入れて酒、塩少々加えて煮込み、牛肉と併せてご飯に混ぜ込む。ご飯は硬めに炊いたほうが美味しい。
昨日は京都の実家に帰っても親と話した時間はたった15程度だったが、おかしかったのは父親が「あんたのおかけで、わしがこんな招待をもろてしもたがな」と、いささか困惑ぎみに差しだした「香会」の招待状である。
このブログでも何度か紹介した通り、現在地方紙で連載中の『そろそろ旅に』は「膝栗毛」の作者である十返舎一九を主人公にしているが、この人は若い頃に香道を嗜み、「十返舎」の号も香道でいう「十返り」(ふつうの香木は1回だけしか匂いが聞けないが、名香の蘭奢待は10回まわし聞いても匂いが消えずに持続することをいう)に由来するのだと本人自ら語っている。
そんなわけで小説の中にも香道にまつわるシーンを描くために、私は関係書籍にも何冊か目を通した上で、友人のご母堂で香道の師匠をなさってる方に香会の参加をお許し戴いていろいろと教わった。こうした芸事については現在も携わっておられる方が沢山いらっしゃるので、書くときはそれなりに勉強しておかないと恥をかくからだ。ことに新聞連載の場合は別に小説好きでもない人の目にも触れる恐れがあるので要注意だと思われた。
で、案の定というべきか、実家「川上」の古くからのお客様に香道の先生がおいでになって、「お宅のお嬢様は本当に香道がお好きでお詳しいのにびっくり致しました」と感心してくださったのは嬉しいのだけれど、父まで香道が好きなように思われて香会の招待状が舞い込んだというのだからおかしい。まあ、こんなことは笑い話で済むからいいようなもんだが、笑い話では済まないことも起こりえるのが物書きという因果な商売で、実家が客商売であるのは何かと厄介でもある。両親に早くこの世からいなくなってほしいと心ひそかに願っている物書きは決して少なくないだろうなあ、なんて思ったりもした。
連載している地方紙の中に地元の「京都新聞」が入っているのは当然といえば当然なのだろうけど、連載が始まってから、ああ、こんなことならせめてペンネームを作るんだったと私は大いに悔やんだものである。別に小説書きを志したつもりもなく、ただ何げなく書き始めて気が付いたらメインの仕事になっていたという塩梅なので、わざわざペンネームを作るほどのことはなかったし、私自身がイマドキの小説家の名前なんてほとんど知らないくらいなので、本名で書いていても、まあ、だれも気づかないだろうと思っていたが、地元紙の連載はさすがにまずかったようで、中学校の担任の先生から突然お便りをもらってびっくりした覚えもある。ええっ、読まれちゃったわけ、キャー恥ずかしい!という感じで、説明がとても難しい感情なのだけれど、書いた物は一応多くの人に読まれたいという気持ちと裏腹に、書いたのが私だとはあまり人に知られたくない気持ちが非常に強くて、過去の知り合いや日常的に付き合いのある人には特に知られたくない気がする。知ってても知らんふりをしててほしいと思うくらいだ。
私は小説を書く以前に歌舞伎関係で自分の名前を出して仕事をしていたので、名前や顔を露出することに今さら何をためらうのかと思う向きもあるだろうが、小説は今までの仕事と全然別物なのである。これまたイマドキ何も小説を書くことを御大層に考えているからでは全然なくて、小説は妄想を書くわけだから、どんなことを妄想してるのかを顔見知りに知られるのが非常に恥ずかしいからである。要はこう見えてけっこう恥ずかしがり屋で気が弱いのであります(笑)。
2006年10月06日
塩鮭、大和芋の酢じめと粒ウニの和え物、銀杏ご飯
大和芋はすり下ろして丸めたものを15分ほど酢でしめるとしっかり固まる。到来物の粒ウニの食べ方をネット検索したらこの料理がヒットしたのだが、芋の酢じめはほかの料理にもいろいろと利用できそう。手に酢をつけると全然かゆくならないのでオススメ。銀杏ご飯は昆布と酒と塩を加えた米と一緒に炊くだけ。銀杏の皮を剥くのがちょい面倒だがあとは簡単で美味しいのでこれもオススメ。
せっかくの十五夜だというのに東京は時ならぬ台風(でしょう!これはもう)に見舞われて、さすがに散歩はできなかったが、その代わりに今日は購入したばかりのロデオボーイ2!でしっかり運動をしたのであります(笑)。毎週乗馬クラブに通ってる上に、悪い友人にそそのかされたとはいえ、乗馬マシンまで買っちゃうのはわれながらバカだが、とかく運動不足になりがちの職業なので、こういう日はやっぱり家にマシンがあると有り難い。もっとも運動機器を買ったのは今回が初めてである。
で、実際に試乗してみて、意外に感じが出てるのにはビックリ!横揺れが適当に加わるので、本物の馬の常歩や速歩にかなり近い揺れ方をするし、刺激される筋肉もほぼ同じだ。30分も乗れば結構ハードな運動になる。この手の機械は昔から騎手用に開発されているから、たぶんそれを模倣して作ったのだろうが、それほどチャチなものではないのでお値段もリーズナブルといえるだろう。ただしこれは続ける覚悟がないと相当な場所塞ぎになってしまうので、安易な購入はしないほうが賢明だと思います。
2006年10月07日
甘エビ、帆立貝の薫製、生ハムと玉子の薫製、パンチェッタ、鴨ロース、海老とアボガドのパスタ
スラッシュの進藤さんと守部さんと近所の「薫製屋ヌーベ」で食事。
2006年10月08日
上方風ちらし寿司、里芋と蛸の煮物、薩摩芋のレモン煮
乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。もっちり豆腐は売り切れで悔しい(笑)。
今日はまさに天高く馬肥ゆる絶好の乗馬日和で、どの馬も軽快に走ってくれたが、2鞍目に騎乗した馬は食事中に馬房から連れだしたからもうプンプンで、馬装の最中に何度も私を噛もうとする(笑)。もちろん本気で噛むわけではなく、エサを喰わせろという催促なので可愛いものだ。牛飲馬食という比喩がうなずけるほどに馬は大食漢で、馬房をいつ覗いても食べてるから、世話する人は大変だろうと思う。もっとも私も秋になってちと食べすぎの気味があるとは思いつつ、けさ体重計に乗って愕然としました(- -;
読者のバルサミコさんから前にアメリカの風景についてご投稿を戴き、それを読んだ友人の塚田さんからアメリカの風景なら『ブロークバック・マウンテン』もぜひ見るようにと薦められ、今日さっそくツタヤでDVDを借りて見た。ご存知カウボーイ同士の同性愛を描いた話題のアカデミー賞作品だが、何よりも映像の美しさに魅せられてしまった。どのカットもきっちり計算の行き届いた画面で、入念な絵コンテに基づいて完璧を期して撮ったと思われ、塚田さんもご指摘の通り確かにシナリオがちょっと弱いけれど、脇役に至るまで俳優陣が充実してその不備を補い、久々に「映画らしい」アメリカ映画を見たという気がした。
いわゆるゲイ映画とは若干テイストが異なり、私自身はこれを見て何故かふと大昔に見た立松和平原作・根岸吉太郎監督の『遠雷』を想いだしてしまった。日米の違いはあれど共に農村(片や牧畜だが)風景を極めて美しく、且つそこで繰り広げられる人間の情念を実に生々しく撮ったという共通項のほかに、主演男優が『遠雷』の永島敏行を彷彿とさせる抑揚の乏しいセリフまわしだったせいなのかもしれない(笑)。
ともあれゲイ映画として観れば物足りないシナリオではあるが、この映画には60年代以降に米国の農業社会を襲った機械化及び商業主義の波に乗れた者と乗れなかった者、つまりは勝ち組と負け組の構図が端的に描かれており、共和党の支持基盤とおぼしき保守的な農村の様子がリアルに知れるという点でも頗る面白い映画であった。また何せ近年あまり上映されないカウボーイ映画だから馬好きにも必見であります。
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私も「風景が素敵な映画」が好きです。しかし、具体的にすぐに題名がすらすら出て来ないで申し訳ない。『遠雷』とはまぁ懐かしい映画ですね。トマト栽培の温室を連想します。何はともあれ、面白くなかった映画でも、景色が良かったら許せる…なんて思います。さて、図書館から借りたり等して、先日でやっと、松井さんの小説は全部読むことができました。ではまた。そうそう、今夜テレビを観ていたら「上方歌舞伎・片岡愛之助さん」が出ていました。なかなかの好青年ですね。
投稿者 夕焼けさん。 : 2006年10月09日 02:14
>さて、図書館から借りたり等して、先日でやっと、松井さんの小説は全部読むことができました。
ありがとうございます。今年は1冊も出しませんが、来年は3冊上梓し、最初の『吉原手引草』は2月末にも幻冬舎から刊行される予定です。
>「上方歌舞伎・片岡愛之助さん」が出ていました。なかなかの好青年ですね。
私は15年ほど前に養父の片岡秀太郎さんとよく仕事をしていたので素顔を間近で見てますが、当時から本当にステキな青年でした。
投稿者 今朝子 : 2006年10月09日 22:19
2006年10月09日
サンマと茄子とエリンギ茸の甘辛炒め
オリジナルメニューである。ただ秋らしいものを炒め合わせて酒、砂糖、味醂、醤油で味付けしただけ。油に鷹の爪を入れてぴりっとさせる。サンマは三枚におろした身を4等分くらいにして塩を振ってしばらく置き、水気と生臭みを拭き取ってから最初に炒めて引き揚げておく。同じ油で茄子、エリンギを炒める。仕上げに粉山椒を振る。
とうとうやっちゃった……北朝鮮の核実験。だれもが「ああ、困ったもんだ」「一体どういうつもりなんだろうねえ」の2パターンでしか喋れない感じである。それにしても小泉就任直後の9.11からイラク派兵にまで突き進んじゃったように、安倍政権誕生直後のこれで結局「核」は持ったもん勝ちだからというような流れになることだけは御免蒙りたいものである。
2006年10月10日
炒り卵かけ野菜炒め
QPで見た料理。ただの野菜炒めでも丁寧に作れば美味しい。茹で筍の千切り、戻した干し椎茸の千切り、ざく切りにした小松菜の軸、葉、ニラ、もやしの順々に炒め、鍋肌を全面に使ってできるだけ水気を飛ばすようにするのがポイント。さらに春雨を入れて水気を吸い取らせる。隠し味の砂糖、塩、酒、醤油で味付け。これに高温でふわっと炒めた卵を載せる。フジTVの「物まね紅白歌合戦」を見ながら食事(笑)。
拙著の『似せ者』に因んで前にエッセイにも書いた覚えがあるが、私は昔から物まねとかそっくりさんが大好きなので、この手の番組は欠かさず見るようにしている。しかしこれも一時に比べてかなり下火になった観は否めず、真似られる対象自体がどんどん小粒化し、マニアック化しているようだ。今日のネタでいくらか笑えたのは中島マリの瀬戸内寂聴の物まね。ちょっとビックリしたのは鈴木宗男の物まねで、ご本人が登場したことくらいであった。
個人的に面白かったのは「ルパン3世」の物まねで、峰不二子役の増山江威子さんが電話出演なさったこと。私にとっては友人のお母様であり、年下の友人とはいえそのお母様なのだから、ハッキリいってかなりご高齢の方なのだけれど、声がいまだに色っぽいのがスゴイ!声ばかりではない。今なお若々しくて豊満な美人である。数年前その友人が「女四十にして惑わず」という迷言を吐いて結婚したとき(笑)、披露宴で新郎の友人が皆ドォーッとお母様のまわりに群がってしまい、注目されない新婦はムッとしてたのがおかしかった。
2006年10月11日
五穀米弁当、もっちり豆腐
整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。NHKBSで日ハムVSソフトバンク戦を見ながら食す。王選手の大ファンだった私だが、ここまで来ればやっぱり新庄に花道を飾らせてやりたい気になります。
ところで今日乗った電車の中吊り広告で目についたのは「東洋経済」の大学ランキングで、一体だれに何の目的で読ませようとしているのか不明なのだけど、近ごろ経済誌でよくこの手の記事を目にする。そんなものをなぜここで取りあげる気になったかといえば、「卒業生がよく稼いでいる大学」第1位に輝いていたのが国際基督教大学(ICU)だったからです。
この大学は昔から少数精鋭で知られ、大学満足度でも毎年NO1に輝く有名校だが、あまりにも少数過ぎて身のまわりに卒業生をほとんど見かけないと思ってる人が多いのではなかろうか。私の昔からの友人であり現在マネージメントをお願いしている元「ぴあ」にいた進藤さんがここの出身で、当時は全学年併せてたしか2千人しかいなかった大学らしい。わが母校の早稲田は当時全学生5万人からいて、マスコミ出版関係には卒業生がそれこそ掃いて捨ててしまいたいほどいるのに比べると、出会う確立は非常に低いはずなのに、私が過去お世話になったり、現在もお世話になっている編集者は偶然にもICU出身者が多くて、進藤さんを含めなんと5人もいる!のはちょっとオドロキである。で、その方々が皆さん「よく稼いでいる」のかといえば、ウーンと首を傾げたくなるわけであります(笑)。
もっともICUを出て出版社に勤めるなんてのはきっとよほどの変わり種で、大方は外資系企業に勤めてバリバリ働いてらっしゃるのだろう。ここの学生は何せ昔から帰国子女系が多くて、英語よりも日本語のほうが不自由な人もいるので、たとえば一般教養で単位を取らなくてはならない化学とか数学とかの授業も英語でやったりするからとてもついていけなかったと進藤さんに聞いた覚えがある。卒論はもちろん英語で書いて英語で口頭試問を受けるそうで、彼女がなんとか卒業できたのはただただ運が好かったとしかいいようがないそうな(笑)。
コメント(3)
数年前だと思いますが、外資系銀行が語学の専門学校、神田外語学院に生徒の推薦を求めてきました。もう、企業は大学教育に期待していない。英語という技術をしっかり身につけている人間が欲しいわけです。週刊東洋経済の「学校力」という、やはり学校ランキングを載せた号が完売で、近所の主婦の方は図書館でこの号を借りて読んだそうです。もう、はぁ〜〜〜〜です。東洋経済は会社四季報を出している歴史ある出版社ですが。
投稿者 バルサミコ : 2006年10月12日 18:57
ごめんなさい。同じコメントが2回も。それから、神田外語の話は10年前でした。
投稿者 バルサミコ : 2006年10月12日 19:49
>近所の主婦の方は図書館でこの号を借りて読んだそうです。
読者ターゲットはやっぱり子を持つ親ということなのでしょうか。わが妹も息子がまだ中学生なのに、就職ができるかどうかばっかり心配してるので、多分そうではないかとにらんでいたのですが……。
投稿者 今朝子 : 2006年10月13日 09:41
2006年10月13日
梅冷やしそば定食
世田谷パブリックスクールで永井愛作・演出「書く女」を見る前に近所で食事。
文春の内山さんから強いお薦めがあって遅ればせに観劇し、幕間のロビーで集英社の八代さんとバッタリ。さらに旧友の劇作家岡本螢にも会って、終演後に久々に一緒に飲みに出かけ、帰宅は午前3時過ぎ。というわけで芝居に関しては明日きちんと書くつもりですが、色んな意味で非常に面白い芝居でした。筒井ファンの守部さんは見たほうがいいかも。
2006年10月13日
書く女
芝居に関しては明日改めて書きますなんていいながら、結局コーフンして寝られないのですぐに書くことにしました。私もまたある意味で「書く女」の端くれなのでありましょう(笑)。
恐らくどんな作家でも、その人にとって書くべき作品というのが必ずあって、それはたとえ完成度が低かったり、かりに失敗に終わったとしても、その人が書かなくてはならないものだということが自身にも他人にもハッキリとわかる気がするのだけれど、今回の作品は永井愛にとってその「書くべき作品」だったように思われる。ただし本人が最初からそう思ったのかどうかがわからないくらい、出だしはスピーディな商業演劇を見ているような凡庸さが感じられ、1幕の後半に至ってようやく永井愛さんの持ち味が出てきたという気がした。これは作全体のテイストやメジャー感の出し方について迷いがあったというよりも、この作家がもともと体質的にスロースターターなせいかもしれない。
で、ひと口にいってこれは樋口一葉の「評伝芝居」である。同じく一葉を描いた井上ひさしの「頭痛肩こり樋口一葉」とは全く異質の芝居で、「書く女」というタイトルが示す通り、ここには女が物を書くとは一体どういうことかについての考察が樋口一葉の作品をひとつひとつ論じてなされるというユニークな戯曲で、私が「評伝芝居」と名づける所以でもある。従って純粋に演劇的に優れた作品かどうかについては異論もあろうが、観客は永井愛が読み解く樋口一葉像を通じて物書き永井愛自身を知ることにつながるという点で頗る面白い作品なのだ。
彼女の師匠として後世に伝わる半井桃水、シニカルな毒舌の評論家斎藤緑雨、後に英文学者として知られる平田禿木、翻訳家の馬場孤蝶、閨秀作家の先駆田辺花圃といった周囲の文人も登場するが、永井愛はそれらの作品にもしっかりと目を通しており、中でも特筆したのは半井桃水の作品だ。これまで半井桃水といえば色男の遊び人でただの堕落した通俗作家のようにしか扱われてこなかったが、永井は旧対馬藩医の息子である彼と朝鮮との関係に注目し、埋もれた彼の作品に改めて光りを当てることによって、軍国主義に突き進んだ当時の世相と現代ニッポンの危険性を重ね合わることに成功した。
また一葉との関係を異様なまでにピュアな感じで描いた点もこれまでの桃水像とは180度異なり、筒井道隆というピュアなだけが取り柄のような大根役者にこの役を演じさせて、妙なリアリティを持たせている点も面白かった。筒井は数々の舞台をこなしてきたが、私も岡本螢も今回が一番ましだった(笑)ということで意見の一致をみた。
「書く女」はもはや「女」ではないとするのは永井愛の主張というよりも「告白」であろう。一葉にとって桃水は恋人ではなく、恋を書こうとする彼女の妄想の対象でしかないのだった。さらに一葉は「熱涙」を持って愛を描いたように読ませながら、その裏に「冷笑」を潜ませて、男社会に対する巧妙な闘争を企てていたのだと、フェミニズム闘士の永井愛は読み解くのである。いっぽうで裕福な父を持ち、高名な夫三宅雪嶺に嫁した閨秀作家の田辺花圃は所詮、父や夫の掌で遊ばされている存在でしかない。父を早くに亡くし貧窮のどん底で戸主として母と妹を養わねばならなかった一葉は、男社会の価値観に支配されなかった唯一ホンモノの女性作家であるという描き方もまた永井愛ならではだろう。
作家が他の作家を描けばそれは自己を語ること以外の何ものでもない。この作品で永井愛は劇作家としてはギリギリの限界まで自己表白を果たし、名女優寺島しのぶの好演によってそれが活き活きと伝えられ、素晴らしい舞台に仕上がったのは何よりである。この芝居を見るように強く薦めて下さった内山さんには大いに感謝申しあげる!
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私も見ました。
単に久しぶりのナマしのぶちゃんが見たかっただけでしたが、お芝居そのものが面白くて楽しめました。
樋口一葉という、ずっと貧乏な上に夭折する人は、薄幸がうつりそうであまりお近づきになりたくない気がするし、文学論や演劇論とは無縁ですが、単純に面白くて衣装や小物も楽しめた、素人にも◎なお芝居でした。
投稿者 猫並 : 2006年10月14日 08:09
>ずっと貧乏な上に夭折する人は、薄幸がうつりそうであまりお近づきになりたくない気がするし、
たしかに(笑)。それにしてもしのぶちゃんは本当に巧い!
投稿者 今朝子 : 2006年10月14日 21:44
2006年10月13日
ブロッコリーのフジッリ、生ハムとルッコラのサラダ
QPで見た料理。オリーブ油でニンニクのみじん切りをじっくり炒めて香りを出し、鷹の爪とアンチョビを加えてパスタソースにする。ブロッコリはフジッリと一緒に10分以上柔らかくなるまで茹でて、潰しながら炒める、塩胡椒で調味。アンチョビだけでも十分塩からくなるので、からくなり過ぎないようにするのがポイント。
2006年10月14日
豚と豆腐の味噌煮込み
前にQPで見た料理。出汁でまず豚肉を煮て豆腐を入れ、八丁味噌を溶かし込んで醤油、砂糖、酒で味を調えて少し煮込んでからワケギを加える。簡単にできてご飯によく合う。豚はバラ肉を使うのがポイント。豆腐はしっかり水切りして薄めに切り、弱火で静かに煮て巣が入らないようにすること。
2006年10月15日
五穀米弁当、もっちり豆腐
乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
今日クラブの仲間と話題にしたのはやはり核問題ではなく、文字通り名は体をあらわして人びとにディープなインパクトを残しながら引退するらしい例の馬のことである。
「これから大変だよねディープも」「なんせ年に260頭の違うお相手とでしょー」「それで楽しいのかねホントに」なんて51億円のシンジケートとは無縁な女3人で勝手なことを言ってたのであるが、名馬の種付け料というのは大変なものである。
で、ふと思ったのは、これからの日本が経済大国を目指すなら、ホリエモンとか村上ファンドの人に早く引退してもらって、彼らに毎日カノ女を変えて交際して戴くのは如何なものか、てなバカバカしいことだったのだけれど、血で走るといわれている馬でも名馬の仔が全部すばらしい競走馬になるとは限らないようで、シンボリルドルフやダンス・イン・ザ・ダークの息子が競走馬失格でうちのクラブにいたりするのだった。歌舞伎役者でも名優の血を引いてたまたま名優になるケースもあるとはいえ、確率としてはそんなに高い気がしなくて、むしろ環境的要因のほうがはるかに大きいように思われるのだ。
私世代の女性はまださすがにそんな品のない言い方はしなかったけれど、少し下の世代になると結婚相手の条件として高身長、高学歴、高収入の「3高」を露骨に挙げるようになったのは、動物の♀として至極当然の情動というべきである。で、私がちょっとふしぎに思うのは、♀がそれだけしっかり取り組んだにもかかわらず、その後のニッポンに優れた子どもがどんどん増えたかというと、どうもそうは思えなくて、むしろ先進諸国の中でも子どもたちの体力や学力が急激に落ちてしまった上に、人数まで減ってしまったのは何故なんだろう。♀の取り組みはともかく、♂のほうが「女はバカなくらいが可愛くていい」なんて腑抜けた取り組みをしてたせいだろうか(笑)。
私の場合どうしてもこの男の子孫を残したいというような向井亜紀さん的出会いは皆無だったし(笑)、おまけに人間の子どもが全く好きではないので、まあ、今さらそんなことはどうでもいいのであるが(笑)、身のまわり見ると何故この♀を見て周囲の♂は子どもを産ませようとしないんだ!私が♂だったら毎年でも産ませてやるのに(笑)と思うようなステキな若い女性が繁殖入りをせずにだんだん年を喰っていて、それが実に勿体なく思えてしまうのであります。
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母校の馬術部にも「あの馬の子が!」というのがいました。
でも何よりショックだったのは、感動の有馬記念を走ったメジロの馬が東京競馬場で使役馬になってた時ですけど。
種牡馬は子供がどんなに不甲斐なくても責められないからいいです。大事な種牡馬を傷つけず無駄にしないために、牝馬をしっかり発情させるお役目の当て馬って不憫。
乗馬も、その先は肉ですもんね。馬の世界は厳しいな。
投稿者 猫並 : 2006年10月16日 09:46
>馬は記憶力がとてもよさそうなので、自らの馬生を振り返ったりもするのでしょうか。もしそうだったら酷いなあ。ああ、スッポンはまだ食べられても、馬刺はもうちょっと無理かも。
投稿者 今朝子 : 2006年10月17日 00:58
2006年10月16日
海老のガレット
QPで見た料理。ジャガイモの千切りと人参の千切り少々、海老を細かく粘りが出るまで刻んだもの、千切りした塩昆布を混ぜて小麦粉を加え、油の代わりにマヨネーズを使って(ここが如何にもQPである)両面をこんがり焼き上げるだけ。写真はぐしゃぐしゃだが見た目よりも美味しい。塩昆布とマヨだけで味付けは十分。TVでは万能ネギの小口切りをトッピングしてたが買い忘れたのでカット(笑)。
昨日のサンデープロジェクトで田原総一朗の手口にまんまとひっかかった中川昭一の核論議が案の定早くも問題にされているが、この時期にぽろっと本音を滑らせた政治的センスの全くないこのアホ2世議員ばかりでなく、日本も核を持ちたいと心ひそかに思ってる男の子(と敢えていう)も結構いるだろうと思う。で、このサンプロで「君、どう思う?」と田原からえらそうに訊かれた女性アシスタントが「私は日本が核を持っても持たなくても同じだと思うんですよね」とひと言答え、一同が失笑のうちにすぐにCMに切り変わったのだけれど、これはいかにも女性らしい直感的に真実を突いた発言として面白かった。
そう、米ソ冷戦時代と違って、北朝鮮のような国までが持ってるようなものなら、持っても持たなくても結局は同じなのではあるまいか。核は今や窮鼠が猫を噛むための、つまりは弱者の武器である。インドが持てばパキスタンが持ったように、次はイランやベネズエラが米国の脅しに負けまいと持つのだろうが、日本で持ちたいと思ってる連中の本音もやはりこれ以上米国の奴隷になるのは嫌だということなのだろうか。
まず日本は核を持ってるから核を落とせないと冷静に判断できるような他国なり集団なら、別にこちらが持たなくても落としはしないという風にどうして思えないのだろう。で、もしそうした判断ができないような国なら、こちらがいくら核を持ったところで、向こうが落とす気になったら落とすだろうし、むしろこちらが持ったら向こうはますます被害妄想にかられて、戦前の日本よろしく先制攻撃をしかけないとも限らないのである。お隣にちょっとおかしなご主人が住んでて、そのご主人が銃を買ったから、うちも用心に買っておいたとしても、いきなり撃ってこられたらおしまいで、といって向こうより先にこっちが撃つわけにもいかないのだから、銃を買ってもなんの役にも立たないのである。
あんな国でも持てるものをなぜ日本が持てないなんて考えるのはおバカ以外の何ものでもない。そういう方には核が今や強者の武器ではなく弱者の武器になりつつある現実をきっちり見て戴きたいものだ。
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田原総一朗に一言
はじめまして。時折、ブログを拝見させていただいております。私は、今日からブログをはじめたのですが、たまたま扱ったテーマがよく似ていたのでコメントさせていただきました。
サンプロの番組内で、田原が「君、どう思う」は彼の十八番で、まったくスタッフを小馬鹿にしたいつもの彼のやり口ですね。どうしてこの男がいつまでもえらそうにしているのか、テレビ朝日の見識を疑います。大物議員には媚び諂い、そうでもない議員やコメンテーターの発言は茶化すか、封じるかが当たり前。電波芸者ならぬ、政治ゴロです。もういい加減にテレビ界、いやジャーナリズムの世界から消えてほしいものです。
そして中川昭一ですが、まさかすぐに「核武装」の議論をやってもいいのではないかと言い出すほどのバカとは思いませんでした。まんまと、田原に乗せられた、ということでしょうか。
投稿者 Danura : 2006年10月18日 01:19
>どうしてこの男がいつまでもえらそうにしているのか、テレビ朝日の見識を疑います。
私もそう思います。この男と朝のみのもんたは本当になんとかしてほしい(笑)。「サンプロ」はそれでも経済ドキュメントなんかが面白いので、ついムカムカしながら見てしまいます。
投稿者 今朝子 : 2006年10月18日 08:27
2006年10月17日
ヒレ肉の酢豚
QPで見た簡単ヘルシーな酢豚でこれは久々のオススメ。付け野菜は生のパブリカと豆苗。ヒレ肉はスライスして酒と醤油で下味してから卵と片栗粉をつけて高温の油でからっと揚げる。タレは酢(QPはリンゴ酢)、砂糖、醤油、ケチャップ、片栗粉をあらかじめ併せて、フライパンで少しの油を熱した中に混ぜ込めば出来上がり。
2006年10月18日
サンマの塩焼き、小松菜と油揚げのさっと煮、あけびの味噌炒め、むかご御飯
あけびは生で食べるものかと思っていたら、油で炒めて練り味噌(酒、砂糖を加えて練る)で味付けするという調理法がスーパーの売り場に書いてあったので作ってみた。私は50年以上生きてきて、あけび食すのはなんと初めて!なので頗るコーフンしながら味わったが、炒めると柔らかい茄子のような食感で少々ほろ苦さがあるのはまさしく想像通り。これならもっと一般食化してもいいと思うのだけれど、あけびがスーパーで売られるようになったのは最近で、野生のあけびを採取して出荷してるとは思えないので、恐らく新たに栽培品種が開発されたのだろう。見かけたらお試しあれ。むかご御飯は水に酒と塩と醤油をほんのちょっと加えてふつうに炊くだけでOK。よく作るがこんなに大きなむかごを使ったのは初めて。
. 今日いよいよ初会合を持った教育再生会議なるもののメンバーについて、わが妹は「がっかりしたわ。あんな人らに何がわかるの!」と電話口で怒っていたが、まあ、あの手の有識者会議なるものはだれがメンバーになろうと同じで、要は官僚の立案に免罪符を与えるだけの存在であるのは想像がつくのだけれど、とにかくこれまでは文科(文部)省が棹を差すたびに教育現場がどんどん間違った流れに乗ってしまったことは、もういい加減みんな気づいているはずである。で、さらに官邸主導なるもので船頭が増えたわけだから、子どもたちを乗せた船はもう瀧に向かって真っ逆さまなのではあるまいか、と、子ども嫌いの私でも多少は憂うのであった。
教員評価制度がイジメを隠蔽する体質を助長したといわれているなかで、教員免状を更新制にすることがどんな結末をもたらすかもまた容易に想像がつくのである。
体制に従順な教員や生徒をつくり出そうとするのはいつの時代も国家の当然のスタンスだし、別にそれがいけないわけではちっともないが、一方でそれに対してあってしかるべき陽性のレジスタンスが近年急速に影をひそめ、陰湿な面従腹背ばかりが社会人にも子どもにも蔓延していることのほうが深刻な問題だろうと思う。イジメのコロニー(培養温床)ともいうべきこうした風潮が一体何に由来するのか、脳天気な私には本当のところよくわからないのだけれど、21世紀にもなって、これじゃまるで封建時代に逆戻りじゃないかと、時代小説作家としては呆れるばかりなのであります。
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むかごご飯、大好きです。ですが…こんな巨大なむかごは初めて見ました!
パッと見、むかごというより、渋皮つきの栗ご飯のよう。
売り物のむかごですか?それとも自家製とか?あるいは中国産???
大きくても普通に炊けちゃうってのがすごいです。
投稿者 猫並 : 2006年10月18日 23:51
>売り物のむかごですか?それとも自家製とか?あるいは中国産???
近所のスーパーで売ってたもので、パックに「茨城産」とあります。まさか原発の放射能で大きくなったわけではないでしょうが(笑)
投稿者 今朝子 : 2006年10月19日 00:13
「教育再生会議」関連の松井さんのコメントは、的を得ていると思います。何故そうなるのかというと、松井さんは、物事の本質を探り取るセンスがキチンとしているからだと思います。松井さんのブログは、勝手気ままな私にとって、ときには胸焼けしそうな文章がありますけれど、やはり貴重なブログだと思いますね。
教育の現場は、良くも悪しくも、世の中の縮図、私どもの生き様の反映に過ぎません。政治家は、「教育再生」を怒号するよりも、私どもの日頃の生活が安心して生活できるよう例えば、「少子化」・「年金」の二大課題にまじめに地味に取り組んでいただくことが、結局「教育再生」につながります。「教育再生」とかを政治家が言うてまわってるうちは、駄目ですね。政治問題にしたところで、しゃぁないです。
投稿者 夕焼けさん。 : 2006年10月19日 13:03
現代人は精神の病にかかっています。しかも、流行病のようです。画期的な治療法は見つからず、大人から子どもへも感染し、深刻な問題になろうとしています。もしかしたら、身体の健康よりも精神の健康の方が手に入れにくい時代になっているのかもしれません。
投稿者 バルサミコ : 2006年10月19日 17:54
>夕焼けさんへ
>ときには胸焼けしそうな文章がありますけれど、
すいません(笑)。アグレッシブで露悪的な書き方をするときがあることは十分自覚しています。ただ同じ書くのでも、日ごろ原稿料をもらって書いてると、自分をかなり抑え込んでしまうので、自分のブログだと公開を承知の上で言いたいことをどっと書いてストレスを発散しようとするのです。どうぞご辛抱くださいませ。
>私どもの日頃の生活が安心して生活できるよう例えば、「少子化」・「年金」の二大課題にまじめに地味に取り組んでいただくことが、結局「教育再生」につながります。
これは本当に仰言る通りだと思います。
>バルサミコさんへ
>現代人は精神の病にかかっています。
一番の原因はやはり過度のトリビアリズムに陥った競争社会だということにあるような気がします。別にお受験とかだけじゃなくて、商品ひとつ取っても、どこで差をつけるかだけを競っていて、冷静に見れば別にどっちでもいいじゃんというようなことでも、どっちがよりお得かを強調して煽り立てる。ひとつの商品を選ぶのに四苦八苦するのが現代です。選んでる時間が勿体ない!と思うこともしばしば。
人生もまたどっちがよりお得か、どうやって人にちょっとでも差をつけるかだけを子どもの頃から考えさせられて生きるのは本当にシンドイことだと思います。どうせいずれは死ぬんだし、そりゃものすごーく得な人生や損な人生だってあるかもしれないけど、大方はちょっとした差で、そんなことで一喜一憂してるほうが、この短い人生を過ごすには勿体ない!と私は思っています。
投稿者 今朝子 : 2006年10月19日 21:32
2006年10月19日
芙蓉蟹
卵の中に入れた具は、カニ缶、筍、長ネギの小口切り。写真が半分欠けていることでご想像がつくように、ひっくり返すのに失敗したけれど(笑)、味はまずます。別に核をめぐる中朝会談がうまく行くようにと念じてこのメニューにしたわけではありませんが……。
2006年10月20日
鶏手羽の蜂蜜ナンプラー、ビーフン炒め
フジテレビで見たこの鶏手羽料理は是非とも級のオススメ!実に簡単にできてパーティメニューにもなりそう。ただ手羽中のスティックに薄力粉をつけて油でこんがりと焼きあげて、蜂蜜とナンプラーをふりかけるだけ。下味も不要。薄力粉と油を多めに使って強火で7、8分じっくりと火を通すのがポイント。味付けをする前に油をきれいに拭き取るのを忘れないこと。今日はこれがメインで、ビーフン炒めはかなりいい加減に作った。具は昨日の残りの筍と手がかからずにすむ剥き海老とベビーリーフのみ。炒め油にはニンニクと鷹の爪を入れ、鶏ガラスープとこれまたナンプラーで味付けし、最後に胡椒で調味。ま、食べられないこともないという程度の仕上がり。
色んな事件があるにもかかわらず、昨日からどうも気の毒でならないのはディープである。まさかドーピングでひっかかるとは!厩舎スタッフが投薬し続けたのはただうっかりしてただけなんだろうか?前に安部譲二さんとお会いしたとき、JRAの深い闇について聞いてしまっただけに、いろいろと想像されてしまうのであるが、とにかくディープには何の罪もないのだから、引退の花道にケチがついたのは気の毒なんて思うのも、まあ、人間だからであって、今度の騒動にも彼はまさしく馬耳東風なのでありましょう。
2006年10月21日
鰺のたたき、茄子と茗荷としめじの味噌炒め、栗ご飯
待ちかねた!日本シリーズ初戦を見ながら食事。
序盤はどうなることやらと思われた落ち着かないゲームだったが、終わってみれば、やはり下馬評通りに中日内野陣の守りの堅さが印象に残る。さすがに若さが出て敢えなく敗戦したダルビッシュも敵のバットを3本も折る剛球を披露し、花の新庄も攻守ともに魅せてくれた。それにしても日ハム選手はなべてキャラと顔が濃いから(笑)初戦でレギュラー陣がほぼ把握できた。元ヤクルトの稲葉がいるのはもちろん知ってたけど、元巨人の岡島がここに移籍していたのはオドロキでした。
今日は朝6時から仕事に集中して午前中にノルマをこなし、下北沢「劇」小劇場のパニックシアター公演を見に出かける。この公演を主宰する女優中村まり子は同い年の旧友で、この自主公演も相当な回を重ね、近年は作・演出も兼ねるようになった。彼女の亡父である新劇の名優中村伸郎も文章と絵が巧みな才人だったが、娘もなかなかの才女であり、年に1度はパリに出かけて現地で芝居を見歩く中で発見した「タンゴにのせて」という若い女流劇作家の戯曲を今回は自身で翻訳し、演出した。これが小品ながら実に拾いもので、翻訳も原語との対比はできないものの、日本人の役者が話して違和感のないセリフに仕上がっている。
気ままで奔放な洒落者である老いた父親と生真面目で野暮な息子がそれぞれの妻との関係から人生について語り合うというドラマで、そこに時代の移り変わりや、人生の儚さをさらりと描いたハートウォーミングな芝居で、終演後客席で涙を見せる人が多かった。それなりのキャスティングプロデュースをすればもっと大きな劇場でも十分上演にたえる戯曲だろう。
しかし今回のキャストでつくづく感心したのは老父を演じた川辺久造で、昔から文学座で見ていても決して主役ができるようなタイプではなかったし、どちらかといえば生硬な演技で皮肉な役どころの多かったこの男優が、こんなチャーミングな老人を演じることが出来るなんて本当にビックリで、役者はどこでバケるかわからないと改めて思った次第。
2006年10月22日
サーモンとシメジのクリームパスタ、キドニービーンズとトマトのサラダ
今日は乗馬祭でクラブのレッスンがお休み(涙)。久々にわが家で過ごす日曜日だから、この際年末の大掃除前に本だけ整理しておこうと思い立ち、ほぼ半日費やしてしまった。いやー、今年だけでこんなに買い込んじゃったんだ!と自分でもビックリした(笑)資料の山であります。
人だれしも自分は何故こんなこと知ってんの?と思うことがあるだろうし、でも、まあ、きっと何かで読んだか見たかしたんだろうなあ……で片づけてしまえるのかもしれないが、なかなかそうはいかないのが物書きという因果な商売である。現在進行中の小説を4本抱えていて、それぞれ書籍化するにはまだ時間がかかるし、シリーズ物もあったりするので、資料はきっちり整理して書庫に収め、いつ何時でもサッと取り出せるようにしておかないと、あとで自分が困るのであった。
夕方にようやく家を出て、三軒茶屋で例年今の時期に開催される大道芸イベントを見てまわる。写真は第1回からずっと参加し続けている仏国シルク・ブラン(白いサーカスという意味)の団長で、同イベントも今年でなんと10周年を迎えた。10年ひと昔というが、この10年の町の移り変わり、世の移り変わりの激しさが改めて想われる。第1回のイベントではパブリック・シアターの名プロデューサー高萩さんがうちの前の通りで交通整理してるとこに出くわしてギョッとしました(笑)。
夜はもち日本シリーズ第2戦を見ながら食事。いやー、結果ハムの快勝だが、7回キャプテン金子が粘り抜いて山本昌を引きずり下ろした時点で勝負はついた。存外イロモノのチームではない。この分だと新庄の胴上げも夢ではなさそうである。それにしても、新庄に負けじと昨日はガンちゃん(岩本)今日はキーヨ(清原)を擁したTV解説陣もなかなかのものであります(笑)。
2006年10月23日
豆腐ステーキ茸ソースがけ
QPで見た料理。豆腐はしっかり水切りをして、両面に塩胡椒で下味し、薄力粉をまぶしてからじっくりと火を通して表面をかりっと焼き上げること。茸ソースは長ネギのみじん切りと細切れ豚肉を炒め、さらに椎茸、舞茸、エノキ茸を炒めてから水を加えて、酒、塩、醤油、砂糖、オイスターソースで味付けする。これは出汁を使わなくても十分に旨みが出て美味しいソースだ。
けさTVを点けてからゴミ出しをして戻って来ると♪もしもし亀よー、亀さんよーと朝っぱらから歌うだみ声が聞こえるので、一体何なの?とあわてて画面を見たら、案の定というべきか、歌の大好きな自民党元幹事長、武部のオッサンであった。昨日の衆議院議員補欠選挙で立候補した亀井某の応援演説のひとコマを流していたのであるが、日本の選挙のレベルってスゴイ!と改めてビックリしたのであります(笑)。
2006年10月24日
イカと小松菜と菊花としめじの和え物、甘塩鮭
QPで見た秋らしい和え物はまず材料をそれぞれさっと茹でておく。しめじはただの湯で、小松菜には塩を加え、いかにはさらに酒を加え、菊花は別に酢を入れたお湯に通し、いずれもしっかり水切りをして冷ますこと。和え衣は二杯酢に隠し味としてマスタード、カレー粉をほんの少し入れ、胡椒を足す。和えてからスダチを絞る。日本シリーズ第3戦を見ながら食事。こりゃホントに新庄の胴上げが見られそうな勢いの日ハムだが、内外野共に守備がこんなに堅いチームとはビックリである。
昨日のニュースで敬語が問題になり、現代日本人の4割が使用法に自信がないらしいという調査報告は、まあ、そんなもんだろうと思ったのだけれど、文化審議会なるものが使用例を事細かに挙げて答申したから、ファミレスに次いでなんとお上までがマニュアルを出すの!と私はいささか驚き呆れたのであった。この問題はどうも本末転倒しているように思われてならない。
ちなみに敬語の用法に自信があるかと訊かれたら、私は完璧なまでにある!とお答えしたい(笑)のは、その昔30年近く前に勤め先で徹底的に仕込まれたからであります。
当時大学院に籍を置きながら1年間勤めた先は社長と部長と私の3人しかいない銀座の小さな広告代理店で、劇場のポスターやプログラムに入れる広告を扱っている会社だったのだが、そこの社長が極めて言葉遣いにやかましくて、電話の取り方等をいちいち注意された。誰に対しても同じように丁寧なのはよろしくないと仰言るのである。私はいくら若くても「社長さんいらっしゃる?」と訊かれたら「申しわけございません。〇〇は生憎ちょっと出ておりまして」と答えることくらいはできたのだが、広告主であるお得意先と、劇場等の出入り先、印刷屋さんなどの出入り業者に対するときとでは話し方が当然違ってしかるべきだとまでいわれると、さすがに電話を取るのが怖くなった。1部屋で3人しかいない会社だから、つきっきりの家庭教師のような恰好で電話の取り方を指導され、当時はノイローゼになりそうだったが(笑)、そのおかげで完璧なまでにマスターしたと豪語できるのだから、今となっては大いに感謝している。
で、その私が今から15、6年前に某出版社の編集者であるAさんに言葉遣いのことで注意したことがあった。Aさん自身はまともな言葉遣いの人だったのであるが、私が某社に電話を入れたとき部下の女性が「Aさんは只今お出かけになってらっしゃいます」と答えたので、それをAさんに話したところ「いやー、そういうことをいちいち指摘したら怖がってだれも電話を取らなくなるので、注意したくてもできないんですよ」といわれたのを今でもはっきりと憶えている。どうやらそのころから敬語の使用法に自信のない人が社会人に増え始めたのだろうと思う。
一方でこれは社会における人間関係の問題でもありそうだ。言葉遣いを上司に注意されたら怖くて電話にも出なくなるような打たれ弱い若者が社会に増え始め、それをいちいち注意するのも面倒な上司がいて、とうとう敬語がマニュアルでしか使えなくなったという現実がある。それならいっそコミュニケーションを煩わしくさせる敬語そのものを全廃したほうがよいのではないか、と、私なんかは思ってしまうのである。
言葉とはそもそもコミュニケーションの手段であって、自分の考えや気持ちをいかに正確に相手に伝えられるかが基本だ。それに加えて日本人は相手との力関係や距離感までも微妙に表現できるセンシブルな言語を発達させた。人間関係に極めて敏感で且つ重視している日本人気質があってこそ敬語は成立したのである。こういう関係だからこういう言葉遣いにするというマニュアルが先にあるのではなくて、こういう言葉遣いだから私たち(この人たち)はこんな関係だろうなあと当事者及び周囲に推察させるのが日本語本来の姿であった。敬語のマニュアル作りでその場しのぎをしても仕方がない。良い意味でも、悪い意味でも、敬語が維持できなくなった日本社会の変貌をきっちり認めることこそが今後に意味のある取り組みだと私には思われるのだが如何。
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敬語といえば、歌舞伎役者の話し方が不思議です。
伝統芸能だから一般人の尺度で測っちゃいかんのかな、と思いつつも、やっぱりなんかヘンかなといつも思います。
アレはなんなんでしょうか?
父が師匠だというのはわかりますし、師匠ってのは会社の上司とは違うのだろうなぁとも想像できるのですが…父親が最上級の敬語って天皇家以外にも存在するとは。
身の回りでは、取引先に電話をかけて受けたオネーサンに「猫並様でございますね」と言われるたびに、下請けフリーランサーだから意識的に下げられているのか、ただ間違ってるだけなのか、気になって仕方がありません(^^ゞ
投稿者 猫並 : 2006年10月25日 09:19
>敬語といえば、歌舞伎役者の話し方が不思議です。
>父が師匠だというのはわかりますし、師匠ってのは会社の上>司とは違うのだろうなぁとも想像できるのですが…父親が最>上級の敬語って天皇家以外にも存在するとは。
これはひょっとして海老蔵のことでしょうか?
私は見てないのですが、以前、妹がTVで海老蔵のインタビューを見て、団十郎に敬語を使ってるのがとてもおかしく聞こえたと私に電話をしてきたので、もしやと思ってお尋ねします。他の歌舞伎役者も同じように父親に敬語を使ってるのでしょうか?もし多くの歌舞伎役者がそうだったらこれは問題なので詳しくお知らせください。松竹の人に会ったら役者の教育がなってないと文句をいいます。
で、海老蔵の件は妹に「お姉ちゃん注意したげえな」といわれたのですが、そのインタビューを私自身が見てなかったもので、どこがどうおかしかったのかをきちんと指摘できない以上、彼の関係者に話すわけにもいきませんでした。
投稿者 今朝子 : 2006年10月25日 23:02
はい、あの時の海老蔵が一番印象的でした。
團十郎に対して尊敬語を使って第三者へ語る…これって、やろうと思っても意外と難しいような気もして、単に間違ってるとも言いづらい気すらしました。映画の宣伝に、NHKに出たときのことですが。
それ以外でも、例えば七之助が暴れた時の謝罪会見でも父に迷惑をかけたという語り口に違和感を覚えたのですが、ちょっと前のことになるので敬語のせいだったかそれ以外が原因かわかりません。
菊之助が映画「怪談」の会見で祖父・梅幸について語っているモノは、全員に対して敬語で、凄く丁寧だけど結果的に誰も敬ってないようにも聞こえたりして。これも会見を見たわけじゃなくて、それをクリップしたCMを見てるだけなので私の誤解かもしれません。
ただ、歌舞伎役者の口調は、なんとなく丁寧だけどヘン?な気が、いつもしています。この次見るときには、何がヘンなのかチェックしながら見なくちゃ…判ったら改めてお伺いします。
投稿者 猫並 : 2006年10月25日 23:30
はじめまして、(図々しくも)雲の絶間姫と申します。ブログも著作もいつも楽しみに拝読しています。
私が不思議に思うのはその「彼の関係者」の皆さんがどうしているのかということです。海老蔵のような、ああいう御曹司のTV出演やインタビュー記事を関係者が誰もチェックしてないことは有り得ないと思うのですが、成田屋さん、チェックが甘いんでしょうか?いや、甘いのはそもそも團パパでしょうか?一度ならばまだいいとして(いいのか?)、最近の露出が多かった期間中ずっと修正されなかったので。ちょっと残念。
投稿者 雲の絶間姫 : 2006年10月25日 23:44
>猫並さんへ
早速のお報せありがとうございます。
最近芸能ニュースにご無沙汰していて、とくに歌舞伎役者だと、まあいいや、別に大したこともいわないだろうし、と、パスしてたのですが、今後は目にしたらちょっと気にして見ようかと思います。
>歌舞伎役者の口調は、なんとなく丁寧だけどヘン?
確かにそうかもしれません。これは彼らが広い意味での身内と接する時間がほとんどで、ふつうの社会生活をきちんと送れていないことに原因があるような気もします。
>雲の絶間姫さんへ
>私が不思議に思うのはその「彼の関係者」の皆さんがどうしているのかということです。一度ならばまだいいとして(いいのか?)、最近の露出が多かった期間中ずっと修正されなかったので。ちょっと残念。
妹にも同じようなことを聞かされました。ふつう親が注意するだろうに!と仰言りたいところでしょう(笑)。これは私も親しい「関係者」にそれとなく訊いてみますが、彼はそれこそ敬語が使えないイマドキの若者で、きちんと丁寧に話さなくてはと真剣に取り組んだあげく勢い余ってヘンな言葉遣いになってしまったから、それを注意すると可哀想だと周囲は思ったのかもしれないなあ(笑)くらいに私は考えています。
とにかく私の世代だと、歌舞伎役者なんて別に社会的にそうちゃんとしている人たちだとは全く思ってなかったのですが、
今は伝統文化の担い手として位置づけられているようなので、関係者も若い歌舞伎役者にきちんとそれなりの自覚を持たせなくてはならないのでしょう。この点については本当に近々会う関係者(彼の御両親ではありませんが)に話しておこうと思います。
投稿者 今朝子 : 2006年10月26日 09:19
はじめまして、羊猫と申します。
海老蔵の言葉使いは、もうめちゃくちゃで襲名の時のインタヴューでは、目が点になりました。NHKのインタヴューでも友達に話すような言葉使いで、お父さんに対するときは敬語です。
でも最近映画のインタヴューを見たときには、いくらかましになってましたよ。お父さんのことは前は、「うちのオヤジ」、最近「うちの父」といっているのを見ました。でも、襲名の時は敬語を使っていたような。
あと、これは話がずれるのですが、襲名の時「永山会長のおかげをもちまして、、、」という挨拶は、どうなんでしょうか?非常に違和感があるんですが。
投稿者 羊猫 : 2006年10月26日 10:59
>羊猫さんへ
>襲名の時「永山会長のおかげをもちまして、、、」という挨拶は、どうなんでしょうか?非常に違和感があるんですが。
ごもっともです。二、三十年前はもちろんあんな厚かましい挨拶(笑)はありませんでした。いつの頃からかご本人が読売グループのナベツネ状態になってしまったということもあるし、役者が若返って抑えのきく人がいなくなったこと、松竹が自らを勧進元として強くアピールしなくてはならなくなったこと等々さまざまな理由があるものと思われます。興行の世界はなかなか厄介で、力関係もそのつど変化するので、今後彼がいなくなったらどんな挨拶になるか、あるいは襲名の興行価値そのものがもうなくなってしまうか、先のことは誰もわかりません。
投稿者 今朝子 : 2006年10月26日 20:51
歌舞伎俳優親子の敬語について、皆さんのご意見、楽しく読ませていただきました。歌舞伎は御曹司という特別な環境がまかり通っている(最近では会社でも有りそうですが)世界ですが、同じ古典芸能でも噺家の世界や狂言の世界では、父ではあるが、あくまでも師匠!!世間から見れば御曹司でも弟子なんです。なので普段でも敬語で話しておられますね。(家族だけの集まりだったら、すこし曖昧敬語になっているようですが)一年でも自分より先に入門なさった方は兄弟子になりますので、もちろん敬語。じぶんより後に入門した人にだけ普通に話していますが、話されてる相手は兄弟子と話してるわけだから、敬語。結局 普通語同士の会話は、少ないんです。(笑)
若手でも、全員がこのパターンですので、下手な会社より立派カモ!!歌舞伎界でも、昔は父の弟子は自分の弟子では無いのですから、もう少し秩序があったように思いますが、最近は一般家庭共々、そういう家庭での躾ってなくなりましたネ。
投稿者 yasuko : 2006年10月31日 15:28
2006年10月25日
五穀米弁当、もっちり豆腐
整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。大急ぎで帰宅して日本シリーズ第4戦を見ながら食事。
6回表から見たワタシ的ハイライトは7回表岡島の好投だ。相変わらず泣きそうな顔だが、躰がひとまわり大きくなって、時折ふてぶてしい表情も見せるようになった。巨人時代からいい球を持ってるのに、気が弱くて自滅したこの選手がこんなに度胸のいいピッチングが出来るようになったのはオドロキで、まさに捨てる神あれば拾うハムあり(笑)というべきか。
それにしてもこの分だと新庄の胴上げが実現しそうで、明日はワールドカップ以来の帰宅ラッシュが予想される。新庄もさることながら、同じ匂いを期待されてるヒチョリの活躍も凄い!ただのイロモノではなかったが、外野陣がグローブを頭にかぶって相談してる風景はやっぱり人をおっちょくってるようでおかしい。これで本当に強いんだから魅力的なチームである。
2006年10月26日
長芋と豚肉の味噌炒め
前にQPで見た料理。拍子木状に切った豚ロース肉と長芋を炒めて蜂蜜、酒、醤油を混ぜ込んだ味噌で味付け。肉は味噌と酒で下味して片栗粉をまぶして炒める。肉を色よく炒めてから豆板醤と混ぜ味噌を加えてから長芋を入れる。ご飯によく合うおかずです。
戦前の予想を大きく覆して日ハム優勝おめでとう!日本球界最高の舞台を涙のフルスイングで飾れた強運の天才かつ何時いかなる場面でも笑顔を絶やさなかった本物のプロ新庄バンザーイ!ダルビッシュ弱冠二十歳の力投はえらい!揺れる札幌ドームのスタンドも凄い!MVPはスワローズから福運をもたらした稲葉だったが、ワタシ的には第2戦の粘り抜いた逆転打で流れを変え、今日の最終戦でもみごとにスクイズを決めて流れを決定づけた渋いキャプテン金子を推したい気持ちです。
2006年10月28日
砂肝とクレソンのホットサラダ、季節野菜のココット、ポルチーニと豚頬肉のキタッリ、ゴルゴンゾーラのペンネ
青山銕仙会能楽堂で中村京蔵の自主公演「山月記」を塚田さんと一緒に見て近所で食事。
中島敦の「山月記」は誰しも若い頃に一読して妙に感動してしまう短編小説であるような気がするが、果たして年を取ってから初めて読むと一体どんな風に読めるのだろうか?と以前、野村萬斎作の「敦」で父万作が主人公の李徴を演じたときにも思ったのだった。ということは、要するに野村家の上演も今回の上演も私はあまり感心できなかったのである。
そもそも原作自体が近代青年の若書きであるゆえに、ある程度年を取った現代人が接すると気恥ずかしくなるほどシンプル且つストレートなメタファーとして読めてしまうところに問題があるのかもしれない。それでも文字で読めばかなり空間的にイメージが広がるのだが、如何せん、舞台で聞いてこちらに伝わる文章だけだと、理に落ちた説明的な言葉だけが耳に立つという難が覆いようもない。かといって原作に忠実な台本が悪いというのではなく、そもそもこの文学作品を舞台化すること自体に難しさがあるのだろうと思う。大変にドラマチックな不条理を孕んだ内容だし、読めばとても映像的にも感じられるのであるが、それはあくまでも文字が喚起したドラマ性であり、映像性であることを忘れてはならない。文学作品には意外にこの手のものが沢山あって、読んでるとその舞台や映画が素人でも目に浮かぶのに、実際に舞台化や映画化するとひどくつまらない仕上がりになってしまうのだ。三島由紀夫の小説作品なども割合この手が多いように思う。
今回のスタッフ組はけっして悪いものではなかったし、原作に忠実な台本を活かした義太夫の節付けやガムラン楽器の効果的な使い方、能舞台を損なわずに立体的に見せた照明など、2ステージの自主公演としては勿体ないほど細部に渡って仕込みに神経を払った点は高く評価できる。また助演の狂言師高澤祐介も当を得た人選だった。
ただ文句をつけたいのは肝腎の京蔵である。これは友人として敢えて申しておく。京蔵の演技は李徴の気持ちになろうとする意識ばかりが目についてしまう。演じるためにまず人物の気持ちになるというのは素人でもする役作りだが、歌舞伎の演技術を身につけた俳優がへたにこれをすると非常に大味でリアリティに乏しい演技に見えるということを、もういい加減自覚すべきだろうと思う。これは京蔵に限らない。時に勘三郎でも同じことがいえそうだ。
俳優に必要なのは役の気持ちになることだけではない。むしろ役の気持ちになろうとするところは決して見せてはならないはずだ。初めからその人になって見せられるのが本当の俳優なのである。この点において、歌舞伎に限らず古典劇から出発した俳優はもっと自覚的に且つ謙虚であってほしいと私は常づね願っております。
コメント(2)
今朝子さん、こんばんは。
私も「中村京蔵創作の夕べ」の19時の部に行ってきました。素晴らしい舞台でした・・・と言いたいところですが、素晴らしい景色の素晴らしいレストランで”メイン・ディッシュ”抜きのフルコースを頂いた気分で、この2〜3日は釈然としない日々を送ってしまいました(大袈裟ですが)。
中村京蔵さんほどの舞のテクニックをお持ちの勉強家なら、語りは竹本東太夫さんにお任せして”全編を舞で表現して”欲しかったな〜と思いました。
でも、これはこれで新たな試みであったと感じますし、次の舞台が楽しみになりました。
投稿者 中村屋ダン之助 : 2006年10月31日 22:40
>素晴らしい景色の素晴らしいレストランで”メイン・ディッシュ”抜きのフルコースを頂いた気分で、
これはまことに言い得て妙だと存じます。
>語りは竹本東太夫さんにお任せして”全編を舞で表現して”欲しかったな〜と思いました。
たしかに、この手もあったかも。
とにかく上品にまとめた舞台だけれど、見ていて物足りなさが否めませんでした。京蔵自身の良さをもっと発揮して欲しかったと思います。
投稿者 今朝子 : 2006年10月31日 23:51
2006年10月28日
筑前煮
QPで教えた下ごしらえのポイントは鶏肉に酒を振ってしばらく置いてから霜降りにすること。里芋は水から少し茹でたあとに粗塩でぬめりを取り、硬めに茹であげること。むろんコンニャクの湯通しは忘れずに。レンコンは酢水でさらす。牛蒡は水でさらしたあと鍋でしっかり乾煎りしてから油で炒めること。ほかに戻した干し椎茸、人参なども炒めてから出汁を入れ、砂糖、酒、醤油、薄口醤油の順番で味付けし、煮汁がなくなってから味醂でつや出しする。別に塩茹でした絹さやを彩りに。
昨日の観劇で一緒になった現代人形劇センターの塚田さんは私より1歳年下の方であるが、今週世間を大いに騒がせた例の履修洩れ騒動が話題にのぼり、アレってやっぱり3教科とも要るのでは?と、同世代的な意見の一致をみたのだった。世界史が要らないとはもちろんいわないけど、日本史も地理も欠けるのはまずいんじゃなかろうか。もちろん学校の勉強なんてどうでもいいっちゃどうでもよくて、別に授業で何を習ったかなんて私も全く憶えてないのだけれど、「応仁の乱って何それ?初ミミー」とか言われちゃうと、京都の町をどう説明したらいいか困るのである。「ラオスってアフリカにあるんでしょ」と言われたら、毎年アジアの人形劇を招聘している塚田さんも困るのである。
私も塚田さんも一応は3教科とも習っている世代なのだが、もう1歳年下のわがマネージャー進藤さんは高校でなんと日本史を習わなかった!から意外に知らないのだそうで、ある日それを聞いて私は愕然としたのだった。ということは、昭和30年生まれの人を境にして社会科が選択制になったということなのだろうか?それとも進藤さんの出身校は県立の名門進学校だから今回のような履修パスを先取りしてたのだろうか?ともあれ今の学校は(学校だけじゃないけど)一事が万事本末転倒で、私たち世代で子どものいない人間は驚き呆れることばかりなのでした。
コメント(3)
昨日のエピソードに誤りがあり、訂正させていただきます。私は日本史をとらなかったのではなく、自主的に(!)学んでいなかったのでした。だって県立だもん。そりゃあ、全教科ありました。ただ、日本史の教師が面白い人で、私が一番前の席で、受験用の教科の内職をしてても、「おい、英語は進んだか?」とか言ってくれる人だったのでした。問題はその先生の授業が面白くて、勉強の邪魔になることぐらい。ま、むかしの、バンカラ学校のバンカラ教師だったのですねえ。今、そういう先生、いないんだろうなあ。
投稿者 shindo : 2006年10月29日 07:30
エラ〜イ人達が「日本の歴史教育が云々」「日本の歴史認識が云々」とどんなに喧々諤々議論しても、どんなに一生懸命教科書を検定しても、実は現場で教えられていなかったとは・・・トホホな実態ですね(もっともちゃんと授業していてもそういう近現代史までは行き着かないみたいですが)。物理や地学は全く無知でもいいけれど、社会科系は基本を押さえておかないと、ニュースをみても本や漫画を読んでもドラマや映画を観ても、日々の生活が面白くないんではないかと余計なお節介ですが同情します。
かくいう私(昭和30年代後半生まれ)も実は高校(私立)で全く日本史を勉強していませんが、個人的に好きだったので歌舞伎や時代小説や茶道の面白さを味わうことができています。「勉強」しなかった弊害は・・・信長は高橋英樹、光秀は近藤正臣、淀君は池上季実子、柳沢吉保は石坂浩二で実朝は篠田三郎という変なビジュアル・イメージがこびりついたことでしょうか(日本史の知識はNHK大河ドラマによるところ大なため)。
投稿者 雲の絶間姫 : 2006年10月29日 18:20
>信長は高橋英樹、光秀は近藤正臣、淀君は池上季実子、柳沢吉保は石坂浩二で実朝は篠田三郎という変なビジュアル・イメージがこびりついたことでしょうか(日本史の知識はNHK大河ドラマによるところ大なため)。
ああ、それは私も同じです。ただ私の場合は断然もっと古い!のであります(笑)。信長といえば高橋は高橋でも幸治であり、光秀は佐藤慶、淀君はなぜか淡島千景、柳沢吉保に至ってはフグ中毒で亡くなった先々代坂東三津五郎つまりは池上季実子のお祖父さんだったりするわけです。篠田三郎は私の中では吉田松陰なのでした。
投稿者 今朝子 : 2006年10月29日 21:51
2006年10月29日
上方ちらし寿司、もっちり豆腐、筑前煮の残り
乗馬帰りに東横のれん街でゲット。
2週間ぶりの乗馬なのでちょっと不安だったけれど、当たった馬が2鞍とも性格のいい馬なので助かった。1頭はまだ若い馬なのにとても穏やかな気性で、こちらの指図を完璧に受け入れる。「ホントにいい子ですよねえ」とインストラクターに話すと、「この子は育ちがいいんですよ」との返事で、なるほど馬も氏より育ちなのであった。
ここに何度も書いているが馬は十馬十色で、記憶力がいい動物だけに、人間に嫌な目に遭うと警戒心が強くなり、へたすると性格が歪んで手に負えなくなる。それがつまりは動物における「育ち」なのだ。むろん人間も動物の一種なわけであるが、思えば今の子どもたちは動物としての「育ち」がどんどん悪化していってるのではないか。これは教育基本法の改正なんて小手先で解決できる問題ではないように思うのであります。
2006年10月30日
黄ニラと帆立貝の塩炒め
近所のスーパーで珍しく黄ニラが手に入ったので作ったオリジナル中華メニュー。ネギと生姜を入れて油に香りを付け、シメジ、黄ニラ、生の帆立貝をさっと炒めて鶏ガラスープの素、酒、塩で味付けし隠し味の砂糖をほんの少し加える。炒めすぎないようにするのがポイント。
けさ5時に目覚めて、執筆中の小説の一節が気になって何度も推敲しているうちにいつの間にか寝てしまい、次に6時半に目覚めてまたも同じ文章が気になり、今度はようやくこれでよしと納得したところで安眠を貪った。で、8時に本気で目覚めて、ああ、文章を直さなくちゃと起きあがって、肝腎のその小説が実際は全く書いてない!夢の産物であることがわかってボーゼン。明け方の努力は一体何だったんだろう!
2006年10月31日
鰆の西京焼き、大根と鶏そぼろのピリカラ煮、茄子の黒胡麻和え、根菜の黒酢揚げサラダ
美容院の帰りに近所の総菜屋でゲット。
帰りに美容師さんから「今日はハロウィーンですから」と袋に入れたお菓子を手渡され、なんだか最近はこの米国の行事が日本にもすっかり定着したようなのだが、前夜祭だけしっかりやって肝腎のハローマス(万聖節)を知ってる人はほとんどいなさそうなのがこの国の面白いところである(笑)。それにしても日本にイースター(復活祭)が意外に根づかないのは何故なんだろう?キリスト教国ではこれが最大のお祭りだと思うのだけれど。春は何かと忙しいから忘れちゃうのだろうか。製菓業界に比べて養鶏業界があまりにも無欲無策だということなのだろうか……。またしても、ついムダなことを考えてしまいました。
コメント(2)
私もカトリックの学校へ通っていたので、春のイースターパーティーには各々がゆで卵に絵を描いて持って来て、その卵を修道院の庭に父兄が隠し、生徒が見つけるというゲームをしました。そして、帰りには卵の形のチョコレートがお土産。しかし、他人にイースターの説明をする時、困るのがいつがイースターなのかということです。春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日って、それ面倒ですよね。今年は4月16日、来年は4月8日、再来年は3月23日だそうです。固定祝祭日でないことが、商業的に難しいのではないかと思ってました。
投稿者 バルサミコ : 2006年11月01日 10:27
>固定祝祭日でないことが、商業的に難しいのではないかと思ってました
ごもっとも。私も幼稚園から大学の寮まで17年間もカトリックのお世話になりながら、毎年いつなのかわからず、その日になって、へえー今日なんだと思ってたものです(笑)。
投稿者 今朝子 : 2006年11月01日 22:30