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2006年09月02日

海鮮おこげ、青梗菜の塩炒め、雲呑ほか

 シアタートラムで「ダム・ショー」を見た帰りに隣のパブリックシアターで「敦」を見た進藤さん、守部さんと近所で食事。
 野村萬斎演出・主演の「敦」は前回見たのでパスして、浅野温子の「コワレタ」演技を小劇場でという一種の怖い物見たさで「ダム・ショー」にしたのだが、意外とこれがなかなか悪くない舞台だったのである。
  今の日本でいうと、みのもんたのような芸能人に、ある日信託銀行の顧客対象講演会をマネージャー抜きで依頼する男女があらわれて、うっかり引き受けたら、このふたりが実は東スポの記者だったというような設定のストーリーで、女性記者の色仕掛けによって、その芸能人が実はヤク中で売人もやっていて、マネージャーやプロデューサーと不仲で、離婚係争中で、おまけにその妻は悪性腫瘍に冒されているといった暗い事実がどんどん引き出されてゆく。お茶の間で愛されている芸能人が日ごろ視聴者をどう見てるかについても相当に露悪的なセリフがちりばめられた毒気の強い業界ドラマで、結局は芸能界とタブロイド・ジャーナリズムの持ちつ持たれつ的関係を皮肉に描きだしている。
 英国の芝居だから大衆誌SUNなどをイメージしているものと思われるが、翻訳物にしては日本で感覚的に理解されやすい戯曲だと思う。もっともそんなに優れたドラマというわけではなく、皮肉がきいた小品の部類。ただ非常によかったのは芸能人役を演じた浅野和之で、以前から巧い人ではあったが地味な感じの人だけに、有名芸能人の役は最初どうかと思われたが、この人ってこんなに器用だったの!と唸るほど達者な演技で芸人らしさを巧く匂わせた好演だった。翻訳劇で外国人女性を演じる分には浅野温子のオーバーアクションも却って効果的に見えるのがおかしかった。




2006年09月02日

冷や奴、オクラ納豆

 米朝事務所の大島さんと近所でランチをたっぷり食べたので、今晩はダイエットメニュー。
 このブログでも何度か紹介してるが、大島さんのご父君はいわゆる劇場音楽の草分けとして長谷川一夫や美空ひばりといった往年の大スターと組んで仕事をし、彼女自身は元ヅカジェンヌで、その後歌舞伎役者のマネージャーとなり、現在は落語家のマネージャーという、まさに興行界にどっぷり浸かって泳いできた人だけに、さまざまな情報が聞けて面白い。で、今日は小朝師匠が無類のカラオケ好きだという話から、近ごろはマイクの感度が良すぎて、彼女のように歌のレッスンをきちんとした人よりも、ぼそぼと呟くように歌う人のほうが却ってうまく聞こえるという話になった。
 なるほど、そういわれてみると、昔は映像系の俳優が舞台に立つと下手くそで見てられなかったりしたもんだが、昨今はTVのタレントが意外なほど舞台で通用するのもきっと同じ原理なのだろう。とにかくパソコンも含めて電化製品全体の著しい発達は、さまざまな業界で想像以上の変化をもたらしているものと思われて、つい最近のニュースだと米国タワーレコードの倒産なんてのもこれに入るだろう。
 古典芸能の業界でもまず録音テープというものが出来てから伝承のありようが著しく堕落したという話を、文楽の某太夫から伺ったのはもう30年以上も前の話になる。テープがない時代は師匠が一度だけ語ってくれるのを真剣に集中して聴けたのに、テープがあると思うとどうしても真剣味が薄れてしまうのだといわれて、実にごもっともと納得した次第だ。
 歌舞伎でも古典物の初役に臨んで今やVTRを全く見ないで稽古する人はまずいないだろうと思う。これについて私が聞いた中で最高におかしかったエピソードは、10年以上前に某若手俳優がかの六代目歌右衛門にある役の教えを乞うたところ、その俳優があまりにも下手くそなのでさすがの歌右衛門も匙を投げ「ちょいとビデオくらい見てから来て頂戴よ」と怒ったという話である(笑)。
  最近では、これも某人気若手俳優が「素襖落」を好演し、これはVTRを何度も見た成果だったそうで、なぜVTRでなくちゃんと誰かに習わないのかとある人が注意したところ、紀尾井町の芸を今やだれに習うんですか?と反論されて、ああ、それは仕方ないかも……と思ったという、ちょっと深刻な話もありました。


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今朝子さん、こんばんは。

先日「歌舞伎名台詞集」なるCDを入手しました。以前は筋書きの文字を追わねば台詞が聞き取れなかったのですが、このCDを繰り返し聞いていると耳が鍛えられるようで、最近はちゃんと聞き取れるようになってきました。
ちなみにこのCD、登場する尾上菊五郎は6代目ですから音源はSP盤です(笑)。これでは「小耳に聞いた音羽屋の・・・」が「CDで聞いた音羽屋の、似ぬ声色でぇ小ゆすりたかり」になりますね〜。現尾上菊之助も聞いているのでしょうかね?11月の新橋演舞場が楽しみです。

投稿者 中村屋ダン之助 : 2006年09月03日 03:42

六代目のせりふ回しって物凄くリアルでしょ?十五代目羽左衛門でさえ、現代の歌舞伎役者と比べたらはるかに写実であるのに以前聴いてビックリした覚えがあります。

投稿者 今朝子 : 2006年09月03日 22:10



2006年09月03日

五穀米弁当、もっちり豆腐

 乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
 馬には牡馬♂と牝馬♀のほかに騸馬(せんば)というものがあるのを、私は乗馬を始めてから知った。要は人間ならカルーセル麻紀さん(言うことが古い!)状態の馬で、私が所属するクラブにいる大半はサラブレッドの騸馬である。サラブレッドは何せ競争用に作られた馬だから、牡馬だと乗馬初心者には向かないこともあるのだろうが、何よりも♂は♀にその気になって凄まじい騒動を引き起こすので面倒が見切れないらしいのである。
 牝馬♀は比較的小柄だからやはり小柄な私には乗りやすいし、臆病で真面目な気質なのが多いのであまりムチも使わずに乗れて、これまた有り難いのだけれど、とにかく神経質で、他の馬に背後から寄ってこられると怒って後足で蹴るのが多いのは困りものである。で、今日騎乗した牝馬♀2頭のうちの1頭なんかは馬房の前を通るときにも「ちょっと、あんた、何ジロジロ見てんのよ!」てな感じで次々と蹴りを入れて歩く(笑)他馬嫌いでした。
 牝馬はふだん牡馬が近寄るのをとても嫌がるそうで、盛りのシーズンが来るとそうでもないのかと思いきや、いっそうナイーブになって人間の♂でさえ近づけない雰囲気だから、本当に馬の♂は大変だろうと同情する。ああ、だから「当て馬」なんてことをしないと馬のナニはうまくいかないんだ、と乗馬クラブで悟った次第。
 ところでわが家の亀♂は一昨年からずっとサカってる状態で毎日のように♀を追いかけ回して試みるも、まだうまくいかない様子だから、これまた見ていて実に気の毒なのである。ホルスフィールドという種類のリクガメで、自然界だと♂が3,4年で成熟するのに対して♀はなんと10年以上もかかるということが専門書に書いてあって、スゴイ年の差カップルが常態らしいのだけれど、それを読んでますます♂が可哀想になってしまった。でも、まあ、フィアンセがいるだけましだと思ってもらうしかない。
 ♂はわが家にまだ♀がいない時点でサカってしまい、驚くべきことに鏡やガラスにに映る自分の姿を見てエモーショナルな行為に及んだので、私は慌てて♀を飼うことにしたのだった。わが家に幼い♀が来たときの♂のコーフンぶりはなんとも凄まじいもので、「世界の中心でカメは叫ぶ」という本でも書こうかと思ったくらいである(笑)。人間の若い♂も見習ってほしいもんだが、なまじ「ストーカー」なんて現象があらわれたために腰がひけちゃた気の毒な♂もいるのかもしれない。




2006年09月04日

鯖の味噌煮、アスパラガスの練り胡麻和え

 QPで教えた作り方のポイントは、昆布出汁に砂糖と味噌を加えて煮立たせたあと一度火を止めてから鯖を入れて酒と味醂を足すこと。鯖はむろん湯通しで霜降りにして臭みを取る。別茹でしたゴボウを付け野菜として一緒に煮て、最後に香り出しとして追加の味噌とすりゴマを加え、生姜の千切りを添える。生姜の皮を出汁に入れておくとよい。
 幻冬舎が出している「星星峡」という小冊子で一年半に渡って連載した『吉原手引草』の最終入稿をようやく終えたのと、新聞連載もそろそろお尻が見えてきたので、今日からいよいよ並木拍子郎シリーズ第3弾の執筆に取りかかったが、少し間があいたせいもあって、滑り出しは思いのほか難航した。
 小説の書き方はもちろん人によって違うのかもしれないが、私見では降霊に近いような感じで、さまざまな人物があらわれて勝手にしゃべり出したり動きだしたりするのを、作家はただ書き留めているだけなのではないか。もちろんそれらは作家個人の頭脳が生みだす単なる妄想に過ぎないのだけれど、作家が支配する世界の中で彼らはしっかり生きている人間であり、現実で会ってる人よりもはるかにリアルに感じられるからこそ書き留めて小説にできるのだろうと思う。だから自分でこれは嘘だと思ったら書けなくなるはずだ。時代小説を書く場合、そんなことってあり得るんだろうか?と少しでも疑いが生じたら私は絶対に書けなくなるので、些細な調べ物に異常なくらい時間がかかるし、調べ物を編集者や校閲に任せっぱなしにするようなことはとても出来ない。これは別に知識を偏重しているわけではなくて、自分にとってのリアリティーにこだわっているので、リアリティーさえ感じられたらもちろん歴史的には嘘だと承知して書くことにもやぶさかではないし、またそうでなければ時代小説なんて一行も書けないはずで、まさしくそれは近松門左衛門がいうところの「実と嘘との皮膜の間にあるものなり」なのだった。
 ところで私はその近松を研究対象にしていたころ、自分がまさか小説を書くなんて夢にも想ってなかった人間で、日本の大概の小説を読んで別に感心もせず、どちらかといえば馬鹿にすることのほうが多かったのだけれど、いざ自分が書いてみると、われながら幼稚で下手くそだと思う小説を書くのにも、難解な語彙をふんだんに使った論文や評論を書くことよりも遙かに頭脳的疲労を感じるので当初はビックリしたものである。乗馬デーの昨日より今日のほうがずっとお腹も空くのはエネルギー消費も肉体疲労より高いという証拠だろう。てなわけで鯖の味噌煮は写真の2倍の量を食べたのであります(笑)。


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はじめまして。松井さんの数年来のファンですが、今回はじめてメールさせていただきました。細々とですが三味線を生業にしておりますので、『似せ者』の「心残して」は胸にぐっとくるものがありました。また、私の名前があさ子なので、『二枚目』のおあさに、もっといえば松井さんにこちらから一方的に親近感を覚えている次第です。(実は苗字に一字“松”がつくので)
ファンとしては数ヶ月前のNHKのラジオ放送を聴き逃したことがとても悔しいです。
これからもホームページと作品、楽しみにしています。

投稿者 あさ子 : 2006年09月05日 20:21

>三味線のプロの方にお読み頂いたとは恐縮です。私は30年以上前に稀音家浄観師の内弟子だったというお婆様に少し習っていた程度ですが、亡き杵屋花叟さんという恩人に何かと教わったり、ご本を頂戴したことや何かが「心残して」につながったように思います。

投稿者 今朝子 : 2006年09月06日 00:01



2006年09月05日

カボチャサラダ、バゲット

 ヨーグルトとマヨネーズを合わせて塩胡椒したソースで玉ねぎスライス、カボチャ、ゆで卵、ハムを和える。QPではこれにレタスを加えた。カボチャは電子レンジでチンして熱いうちに塩胡椒して冷まし、フォークでざっと潰すだけでいいから超簡単。玉ねぎは軽く塩を振って水気をきっておく。ヨーグルトを入れるとマヨだけよりあっさりした味になるのでオススメだ。
 きょうは各局のニュース番組がこぞって明日の紀子さまご出産を取りあげていたが、今回はまさかこれで万が一にも男子じゃなかったなんてことはないでしょうね!と念を押したくなる人もいるだろうと思うような大々的な扱い方である。
 ところでおかしかったのは、秋篠宮ご夫妻がコウノトリを放たれたという映像が流されて、またしてもコウノトリが子どもを運んでくるらしいのだが、皇室の方々はよくよくコウノトリ伝説がお好きなようで、まさかそれが日本古来の伝説だと思われてるわけではないでしょうねえ、と私は念を押したいくらいである。むろん欧米の伝説であることは、このブログの読者にはお断りする必要もあるまいと思う。それにしても宮内庁はコウノトリ伝説を広めたいのだろうか?一時キャベツ人形が流行ったように、コウノトリ人形を日本で売ろうとする米国の玩具メーカーが電通を通じて宮内庁を動かしてるんだろうか(笑)、などと変な勘ぐりをしそうなくらいである。
 ともあれ今日の皇室は、というよりも明治以降の皇室はもっぱら西洋の主にアングロサクソン系の影響下にあることは瞭然で、何よりも昭和天皇の御大葬に際して皇室の方々が完璧なまでの英国ファッションに身を包んでおられたことは記憶に新しいところである。
 明治以前の皇室が何に規範を置いていたかというと、これはやはり中国大陸で、ファッションも大陸系のバリエであり、完璧なまでの大陸ファッションに身を包んだ画像も意外に時代がさがったところまで見つかるのであった。
 天孫降臨伝説がいみじくも物語るように、また顔立ちが土偶系でなく埴輪系であることからもわかるように、そもそもがネイティブでなく渡来系の子孫だからだろうか、天皇家は古来一貫していわゆる「外国かぶれ」である。そしてそのことこそが何よりも日本人の「象徴」らしいと私には思えるのだった。
 
 




2006年09月06日

オムそば

 帝劇で森光子の『放浪記』を観た帰りに銀座マツヤでゲット。
 皇室に久々の男子誕生というニュースでマスコミ各社が伝えるほどに世間が沸き返っているのかどうかは知らず、私はとにかく今日86歳の現役女優が1801回目のデングリ返りするところを見に行ったのだが、年配のご婦人方で超満員のロビーでは意外にも皇室関係の話題は全く聞かれなかった。
 ともあれ『放浪記』は10代後半か20代のあたまに1度見たきりで、たぶんこれがもう見納めになりそうだから、東宝のご招待に有り難く応じる形で、今日は仕事を午前中に切りあげて劇場に向かった。小説や映画などとは違って、舞台はその時を見逃したら人生で二度と見るチャンスは来ないからである。
 一番の感想はただひと言。森光子は化け物である(笑)。
 数年前、読売演劇賞のパーティでご本人の素顔を間近に拝見したときは肌の美しさに驚いた憶えがあるが、声も若くて昔とちっとも変わらない。でんぐり返りもさることながら、劇中の動きが相当に激しくスピーディなのを一見そう無理なくこなしている。喜寿を迎えるわが母親と比べて同じ人類とは思えない86歳なのだ。芸人は長生きも芸のうちというが、この人や中村雀右衛門には本当にそれを強く感じる。私が子どものころは決して大女優と呼ばれる存在になるとは思えなかったし、純粋に俳優として見たときは演技力が当時からさほど向上したわけでもない人だけれど、舞台人としての肉体をこんなに長く維持したことだけでも十分文化勲章に値します!
 ところで久々に見た『放浪記』だが、林芙美子の半生をモデルにしたこの芝居こそが、私の中で女流作家のイメージを決定づけたのだと今回改めて認識できたのも面白かった。
 私は作家になりたいと思ったこともなければ、今も別になっている気はしないというようなことをこのブログにも書くし、担当編集者の方々にも話すのだが、それは別に照れとか衒いとかでは全然なくて、私は女流作家に落ちぶれるほど不幸な目に遭った覚えはありません!と言いたいつもりであるのが、この芝居を見たらご納得戴けるだろうと思う。半世紀のあいだに女流作家というものがどれほど変わったかを知るためにも、入手困難なチケットでなければ、若い作家や編集者の方にはぜひともご覧になって下さいといいたいところだ。半世紀後には決して残りそうもない今どきの流行作家とは不幸の質も成り上がり度のレベルも全然比較にならないのがおわかりになるだろう。
 脚本を書いた菊田一夫は林芙美子の若いときからの知り合いだったし、自身もまた苦労して成り上がった物書きだけに、当時の物書きの生態をかなりのリアリティをもって露悪的なまでにしっかりと書き込んでいる。芙美子ばかりでなく彼女を取り巻く物書きの群れが男女共になんともおぞましく描けていて、私が作家を個人的にはほとんどだれも知らないくせに、どういうわけか絶対にお近づきになりたくないと恐れている(笑)のは、若い頃にこの芝居を見たせいだったのだ!とようやく気づいた。
 現代の「格差社会」とは比べものにならない戦前の日本全体を覆う貧しさの中で、林芙美子が貧しさゆえに浅ましくもなり、その浅ましさを自ら晒して生き抜く物書きの業の深さをしっかりと見すえた、これは商業演劇にしては意外なくらい辛口の脚本なのであった。同じく林芙美子を描いた井上ひさしの『太鼓たたいて笛ふいて』が正直いってどこか隔靴掻痒の感をぬぐえない作品だったのに対して、こちらはむろんエンターテイメント性を優先させつつも、そこに彼女のヴァイタリティーや毒気や哀しさや美しさがはるかに生々しく感じ取れるのは、菊田が直に芙美子を知っていたことと、同時代の空気に肌で触れていることが何より大きいのだろうと思う。
 『太鼓たたいて』で林芙美子を演じた大竹しのぶがこの脚本で演じたら、どんなに風になるだろうというようなことを私はつい考えてしまった。大竹は森光子よりはるかに巧く演じるに違いない。けれどとても嫌みな感じの芝居になって、商業演劇としてこんな超ロングランを記録するほど観客から愛される芝居にはならないのではないか。ひょっとしたら、森光子という女優は何をやっても同じ棒調子の下手くそなせりふまわしであり、ただ陽気で可愛いだけの演技をしていて、共演者も全部そうしたレベルに合わせた薄っぺらい演技に徹しているからこそ、この辛口の脚本が商業演劇の観客に通用したのではないか。なまじ本格リアリズムで上演されたら辛くて見てられない芝居だという気もする。これは皮肉でなく、何が幸いするかわからないのが、何人もの人間が集まって作る舞台の面白さなのであった。




2006年09月07日

イカと野菜のピリカラ醤油、ゲソのイカわた炒め

 QPで見た料理。皮を剥いてさっと湯通ししたイカ、筋をとって同じくさっと湯通したセロリとトマトに昆布茶、醤油、味醂、粉山椒、胡麻油を合わせたタレをかける。湯通ししたら氷水にとってきゅっと冷たくしめるのがポイント。ゲソはこれに使わないので別に茶色いイカわたと炒めて酒味醂醤油で調味。
 今日の昼間また直下型の揺れを感じてひやっとした。私はいつもすぐTVを点けるのだが、この手の震源地はたいてい千葉県北東部で、揺れが大きいのは神奈川東部である。行政的には離れている地域のようだが、地図で見ると東京湾を挟んで一直線に結べて意外に近距離である。要はこの線の地殻が最近少しずつ動いて、建造物だとメリメリいってる感じなのだろう。おお、こわっ!としかいいようがありません。




2006年09月08日

豆腐とウズラ卵のオイスター煮

 QPで見た超簡単料理。生姜の薄切りとシメジを炒めて鶏ガラスープ、酒、オイスターソースを入れて水溶きカタクリで少しとろみをつけ、そこに絹ごし豆腐と市販のウズラのゆで卵を入れて煮て、最後に醤油で調味し、水溶きカタクリをさらに足して最後に万能ネギの小口切りをトッピングするだけ。スープに少しとろみをつけてから豆腐を入れるのがポイント。こうすると豆腐に巣が入らないそうである。麻婆豆腐よりずっと簡単にできるし、やさしい味なので夜中に急にお腹が空いたときなどにオススメである。
 若いときはほとんど感じなかったのに、歳をとってひどく身にこたえるようになったのが天気と曜日の感覚である。きょうのような低気圧でどよんとした日は躰もどよんとしてしまう。
 近ごろは曜日の感覚も実にハッキリしていて、月曜日はやる気満々だが頭の回転が今ひとつ鈍く、火曜からがぜん筆の運びが滑らかになり、水曜日までは快調だが、木曜日あたりから徐々に盛り下がって、金曜日は心身共にぐったりしている。だからきょうみたいなどよんとした金曜日はサイテー!なのだ。 土曜は仕事を半ドンにして、日曜日に乗馬をするとふしぎにシャキッとした月曜が迎えられるからまあいいのだけれど、PCに向かってずっとキーボードを叩いているのは、裁判で被告席にずっと座っているのも疲れるといったホリエモンよりもっと疲れるのであります(笑)。
 そんなわけで、私はいつも木曜あたりから今の仕事をなんとか辞められないものだろうか(笑)と考えるようになり、昨日は夕方の散歩でたまたま宝くじ売り場の前で行列を見つけ、それがなんと6億円以上にキャリーオーバーしたロト6の〆切間近だったので思わずトライしてしまった。それが今日ハズレとわかったので余計にぐったりしている(笑)。
 そもそも宝くじの類を買う人間は必ずアタルつもりでいる超楽天家だから、私も買うとたちまちいろんなことを妄想してしまうのである。フフフ、人には言わない、とまず思う(笑)。次にガラパゴスゾウガメはワシントン条約で購入不能だから、代わりにアルダブラゾウガメをペアで飼ったところを目に浮かべる。さらにサラブレッドを2頭飼えるだけの広い土地を手に入れて小さな家を建て、気の向くままに馬に乗ったり亀に乗ったりできる理想のマイホーム作りを夢見て6億円はあっという間に使い果たしてしまった。本当に小説ネタにはまるでならないおバカな妄想であります。


コメント(2)

今朝子さん、こんばんは。
全くその通りですね〜。私なんざ年間数回は、その手の妄想を楽しんでおります。
しかし、実際には”その妄想を実現できる立場となる人”が年間1000人は誕生しています。世の東西今昔を問わず、そのような境遇となった方の人生は小説のネタになるでしょうね。短編なら面白そうです。

投稿者 中村屋ダン之助 : 2006年09月09日 21:09

そのような境遇となった方の人生は小説のネタになるでしょうね。短編なら面白そうです。
> 拙著「一の富」も一応その手の話にはしてあるのですけど(笑)。

投稿者 今朝子 : 2006年09月10日 00:48



2006年09月10日

ホイル焼き

 中身は塩鱈、ジャガイモの千切り、甘長青唐辛子、エノキ茸、ハマグリ(久々に国産の天然物を見つけたのでゲットした)。味付けは酒と塩胡椒。スダチを絞って食す。
 わが家は三軒茶屋の商店街に近いわりに周囲が緑に恵まれて、年に一度は必ず今日のようにベランダの壁に蝉が取りついてミ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンミンミンミンミンと凄まじい勢いで鳴いてくれる。蝉はたくさんいるからあれだけうるさいのではなく、たった1匹で100デシベル以上の騒音をまき散らして仕事を妨げる恐ろしい害虫であることに、私はこの家に住んで気づいたのであった。
 蝉が鳴くのは♂だけで、♀は鳴かないから唖蝉というのであるが、あれだけやかましい求愛をされたら♀もさぞかしアゼンとしてるだろうなんて、野田秀樹レベルのダジャレしか出てこないのが情けない(笑)。
 ところで昔モノスゴイおしゃべりの男友達がいて、私自身も相当な早口のおしゃべりなのだけれど、その私が彼と電話するとひと言も口を挟めないで30分は経過するという恐ろしい男であった。今はそこそこ有名人になっているので名前を出すと面白いが、さすがにそれは控えるとして、あるとき私はこんなおしゃべり男は一体どんな具合に女とそういう関係に持ち込めるんだろうかというようなことを考えてしまい、「ねえ、君、そこ座ったら。何か飲む?いい?じゃ音でも聴く?これいい曲よ。ねえ、暑くない?上着脱いだら。そう、楽でしょそのほうが。ベルトもきついんじゃない、緩めたら。そう、もう少し横になったほうがもっと楽だよ。ねえ、それでさあ、僕ね、ああ、ちょっとこれも取ろうか……」てな具合にずうっと耳もとでしゃべり続けられているうちに女は頭がボーッとしてきて落ちるのかもという結論に達した。蝉の♀もきっとそんな感じなのだろうと思うのであります(笑)。




2006年09月10日

大阪寿司、もっちり豆腐

 乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
 いやーマイッタマイッタって感じにチョー蒸し暑い今日も乗馬クラブは満員で、ホント馬たちも気の毒である。
 クラブはうちから電車で1時間以上かかって、なにせ仕事がらふだんずっと家にこもってるので、このちょっとした小旅行がいい気分転換になるし、自然にも触れられるし、車中で本を読んだりするのも楽しいけれど、それよりはるかに面白いのが他人様の観察である。こういうとなんだか悪趣味のようだが、たぶん大概の物書きは見ず知らずの他人のしぐさを観察したり、その話に耳を澄ましたりして何かと筆のネタにしてるに相違なく、私が今書いているのはもっぱら時代小説でストレートなネタに使うことはまず無いからお許し願いたいとひそかにお断りしながら、絶えずきょろきょろしているのである(笑)。
 で、今日は横に座ったふたり連れの女性の話につい耳を澄ましてしまった。しゃべるのはもっぱらひとりの中年女性で、東北系アクセントの、ちょっと宗教っぽい話し方をするひとだった。なぜ宗教っぽいと感じたかといえば、次から次へと色んなエピソードを披露して、その最後を必ず「だから私たちはまだ幸せだと思わなくちゃねえ」と締めくくるからである。
 「そりゃあなた幸せそうに見えてる家だって、びっくりするような不幸があんのよ。私の知り合いのおうちは立派な息子さんがいてね、筑波大学を出て、一流企業にお勤めして、親御さんは万々歳だったのよ。それがねえ、あなた、会社で保険関係の仕事を任されてて、会社が何かマズイことやってるのを見つけたしくてね、ずいぶん悩んでたそうなんだけど、ある日行方不明になって、全然見つからなくて、2週間たってから、東京湾に死骸が浮かんだってのよ」という話に私はギョッ!となった。「で、親御さんは正義感の強い息子だったから、上にそれを話して、会社に殺されたにちがいないってんだけど、警察は結局自殺で片づけたんだってさ。ひどい話でしょう。だから私たちはまだ幸せだと思わなくちゃねえ」って、おいおい、そんなふうに片づけていい話なのかよ!と私は叫びそうになりながら、それからすぐに大宮駅で降りたそのふたりを虚しく見送ったのであるが、ルポライターか土曜ワイドのシナリオライターか現代物のミステリー作家なら間違いなくあとを追いかけただろうと思う。




2006年09月11日

おせちの見本

 ああ、もう、こんな季節なのか……てな感じで実家の「祇園川上」から送られたおせちの見本を食す。これはまだ試作段階で、私のほうからも色々とダメ出しをした。日本橋の高島屋で売りだすバージョンと併せて皆様には後日またきちんとお知らせ致します。
 それにしても1年たつのはあっという間だが、5年の歳月が流れるのも本当に早い。5年前の9.11にワールドトレードセンタービルが崩壊する映像をTVで初めて見た一瞬、私はすぐに「バベルの塔」を想ったものである。それは小中高とミッションスクールで学んで「バベルの塔」が深く心に刻まれているせいもあるのだが、当時私はそれまで別に何の悪意も抱いていなかったアメリカという国が京都議定書を蹴ったことで非常に腹を立てており、これは半ば冗談で、たかだか建国200年の幼稚な国が京都1200年の歴史に楯を突くとは何を生意気な!と事あるごとに罵っていたから、彼の国の傲慢さに神が鉄槌を下したように見えたのだろうと思う。
 勿論キリスト教国のアメリカで同様のイメージを浮かべた人は決して少なくなかっただろうが、人は殴られた瞬間、なぜ殴られたかを考えるより先に、自分も手が出てしまうものなのであった。
 ともあれ近ごろは9.11事件そのものが政府のやらせだったという情報が米国ネット上で飛び交っているらしく、それらをまとめた「9・11テロ捏造」という本(徳間書房)を福光さんに薦められて読んでとても恐ろしくなった。あれが捏造だなんて、自国民に対してというより、人間が人間に対してそんな酷い真似ができるんだろうか!と思うけれど、人間は人間に対して酷いことを過去にいくらでもしてるのだから、こんなことは絶対にあり得ないとも言い切れないのであった。
 今年になって私はスカパーTVで「マーシャル・ロー」というデンセル・ワシントン主演の映画を観て、それが1998年(?)の製作にもかかわらず、まるで9.11テロとその後のイラク戦争をリアルに予見したかのような映像作品であることにビックリ!したのだが、昔から優れたフィクションは現実に先行することがままある。今年の「日本沈没」はまさか当たらないよね(笑)と思いつつも、未明の不気味な雷には関東大震災直前の出来事を想いだして怯えたのでした。




2006年09月12日

カニクリームコロッケ

お茶の稽古の帰りに麹町で食事。
 今日の昼間、某新聞社の政治部の方から電話がかかってきて、小泉政権の5年間についての総括を特集するので、小泉と歌舞伎との関係でお訊きしたいとことがあるといわれたときは、ああ、これはきっと例の「アエラ」を読んだんだろうなあ、それにしても公開していない自宅の電話番号をだれに聞いたんだろう?と思いながら、ともかく、しっかりお答えする態勢は取ったのである。
 「それで、あのラチと歌舞伎なんですが」と、いきなり言われて「はあ???」となる私。ラチが拉致のことだと判明するまでに十数秒経過。「で、歌舞伎にはよく拉致されて親子兄弟が引き裂かれるというお話が多いそうなんですが」またまた「はあ???」となる私だが、それでも拉致の話ねえ……ウーン、『髪結新三』の白子屋おくま?あれは単なる拐かしだよね(笑)……『近江源氏先陣館』は兄弟が敵味方で争って、小四郎もたしかに拉致されたといえばいえなくもないけど、ふつう戦場の人質っていうよねえ……『信州川中島合戦』?あれはお母さんが敵陣の人質にされるけど、ちょっとマイナー過ぎる演目だしねえ……なんてめまぐるしく頭を回転させたあげく、「歌舞伎に拉致の話が多いなんて、だれが言ったんですか!」と叫んでとにかくその話を終わらせたのだった。
 で、小泉自身がとても役者っぽい人であるという、だれもが指摘しそうな話でお茶を濁そうとしたら、どういう文脈で使いたいのかよくわからないのだけれど、あくまで歌舞伎のストーリーが小泉政治に何らかの影響を与えている風に記事を持っていきたいらしくて、「小泉さんがどんな演目を好きかご存知ありませんか?」と訊かれて「そんなことはご本人に訊いてください!」とお答えしたのであった。
 私はこのブログでよく小泉の悪口を書くといっても、別に小泉ウオッチャーではありません(笑)ので、その点マスコミの方々もお間違えないよう願いたいものである。




2006年09月13日

鰺の干物、里芋と生麩の炊き合わせ

 鰺の干物は大家さんから頂戴した小田原産。生麩は京都の実家から送ってきた「麩嘉」製。炊き合わせが、見場はともかくなかなか美味しくできたのは、佐原の「最上白味醂」と播州の限定薄口醤油「龍野乃刻」のおかげだろう。材料と調味料が良くて、舌さえ確かなら、料理はだれでもできるのである。
 それにしても今は情報も増え、輸送も便利になって、素人でもやる気を出しさえすれば美味しい料理がいくらでも作れるのだから外食産業の方々は大変だろうと思う。私が子どものころは日本料理屋の娘なんて非常に珍しくて、学校で先生にいくら説明しても理解してもらえなかったのがまるで嘘のようである。
 料理屋の子というと、いつも美味しいものばかり食べていたように思われるが、やはり相当食べていたのである(笑)。ただ一家団欒の食事というものが、恐らくふつうの家庭にはない緊張感に満ちていて、ふだんは板前さんたちが試作する料理を食べては批評をし、店が休みの日は他の料理屋に食べに行ってそこでも批評しまくるのだった(笑)。このブログでおわかりの通り、私が何かにつけて批評がましいのは子どものころに染みついた習慣の延長線上にあるのだろうと思う。
 もともと食い意地が張ってるから別になんでも美味しく食べてしまえるのだが、そうすると「ようそんなまずいもんが食べられるなあ」と親が軽蔑するし、食べてから必ずこの味をどう思うかと訊かれたりするので、食事ってもう少し何げなくできないんだろうかと子どものころはいつも思っていた。で、自分がだれにも邪魔されず好きなものを好きなように食べる生活を目指して今日に至ったのである。
 このブログには毎晩の食事をずっと書き綴っているから、よくそんな面倒な真似ができるなあとお思いの方もおられるだろうが、かつてのわが一家の食事の煩わしさからみれば、こんなことは屁でもないのであります。
 




2006年09月14日

浅蜊煮麺、アスパラガスとフルーツトマトとキドニービーンズのサラダ

 QPで紹介した「アサリそうめん」を稲庭うどんに代えて作った。スープはニンニクのみじん切りと鷹の爪の輪切りを入れた油で浅蜊をしっかり炒めてからお湯を加え、酒、ナンプラー、塩胡椒で調味したもの。麺には万能ネギを添える。サラダのドレッシングはオリーブ油とバルサミコ酢、胡椒を合わせたもの。
 食事しながらNHKBS2で米映画「リプリー」を見て、ああ、これを歌舞伎に書き直して海老蔵と亀治郎でやればいいのに!なんて思ってしまった私です(笑)。アラン・ドロン主演の名画「太陽がいっぱい」と同じ原作を使ってはいるが、リメイクとはちょっと趣きが違い、めちゃめちゃイケメンでめちゃめちゃ金持ちで完全にコワレてるけど非常に魅力的な若者をドロンばりの美男子ジュード・ロウが好演し、マット・デイモン扮するダサイ主人公リプリーが同性愛的感情を拒絶されて殺人に至るというストーリーなのだった。パトリシア・ハイスミスの原作は読んでいないからわからないのだけれど、この映画では一貫して同性愛が大きなモチーフとなり、出てくる女たちはなんだかコケにされっぱなしで、「太陽」のリメイクだとばかり思って見ていた私はアゼンとしてしまった。
 ともあれイケメンでコワレてる大店の若旦那と律儀な手代でも、旗本と家来でもいいから海老蔵と亀治郎のコンビでちょっと見てみたい気がしたのである。ヘンなことをいうと思われるかもしれないが、私は松竹に勤めていたころ、古い台本を整理していたら、洋画を歌舞伎化した上演台本がぞろぞろ出てきたので驚いた覚えがあるのだった。たしか「外人部隊」か「カサブランカ」の焼き直しまであったように記憶する。




2006年09月15日

エスニックツナカレー

 フジTVでちらっと見た超簡単メニュー。玉ねぎスライスをカレー粉で炒め、そこにフレッシュトマトを加えて蒸し煮にし、ナンプラーで味付けしてからツナ缶を入れ、青じそをトッピングする。
 食事しながらシンクロの世界大会をTVで見たが、このスポーツ(?)についてはイマイチ良し悪しの判断がつかないので(笑)コメントは控えます。
 MIXIが初上場で1株300万以上つけたというニュースを見て、この会員制ネットの存在はずいぶん前に、たしか幻冬舎のヒメに教わったのを想いだした。紹介者がないとアクセスできないサイトだと聞いて、そりゃ流行るかもと思ったが、今や会員数はなんと500万人超!それってもう、会員制っていうの?って感じである(笑)。
 ともあれこの手の擬似的イチゲン様お断りシステムは色んな業界で流行ってるのだろうが、今後ますます流行りそうな気がする。
 私は祇園町というイチゲン様お断りのまっただ中で育ったから、こうしたシステムは前近代の名残で、いずれ消滅するだろうと思っていたのに、いつの間にか世はポストモダンに変わって、また新たに蘇ったという気がしている。
 需要に応じた供給が満たされるようになったことが近代社会の根本基盤だが、常にあらゆる供給が需要をうわまわるという現代では、手に入れ難いことだけが付加価値となって、ブランド限定品や会員制が魅力となり、「セレブ」なんておバカな言葉が生まれたりもするのだった。
 演劇も今や手に入れ難いチケットほど人が群がる傾向にあるようで、私はときどき一般では入手不能に近いチケットを出版社の人に頼まれて、劇場関係者に頼んだりするが、この逆はまず起こり得ない。なぜなら取れないチケットはあっても、買えない本はないからであります(笑)。本にも限定本というのはあるが、これは取れないチケットとは全く性質が違う。
  こう考えてみると、演劇興行は需要に応じきれない場合があるという点において、やはり前近代に成立したシステムにのっかって今日に命脈を保っているものといえそうだ。片や売れたら売れただけ刷り増しをすればいいという出版は、もちろん前近代にその萌芽があったとはいえ、あきらかに近代システムの申し子のごとき産業だから、今は逆風としかいいようがないのである。
 出版人がこの先近代的システムと価値観をどうやって超克するかに業界の死活はかかっているように私には思えるのだが、あるいは今後もそれをずるずると引きずって、またの蘇りを待つ気の人もいるかもしれない。中にはまた、そんなこともなーんも考えてなくて、なんで本が売れなくなったんだろう?と、ただただフシギに思っている幸せな方もおられそうです(笑)。
 




2006年09月16日

川上のおせち

今日は全面的に実家の宣伝であります(笑)。
早々と正月用のおせちの新作発表をさせて戴きます。
ここ例年2段重ねにしていましたが、輸送の際に崩れるのを避けるために、今年は1段にして堅牢な杉函にギッシリと詰め込んであります。
 写真で間仕切りの右下は小鯛の昆布じめ、鮭の幽安焼き、栗渋皮煮、栗甘露煮、慈姑(くわい)の旨煮お多福豆、長芋の甘酢漬け、ブロッコリーのオイル漬け、焼き青唐、はじかみ、つくばね。
 右上は天魚(あまご)の南蛮漬け、鴨ロース、スモークサーモン、南京松風、焼板蒲鉾、金柑の蜜煮、梅麩旨煮、市松湯葉。
 左下は車海老芝煮、筍の旨煮、塩川牛蒡旨煮、梅人参旨煮、花蓮根、田作り、利休麩、笹巻き麩、ちしゃとう。
 左上は数の子、鮃の求肥巻き、砧(きぬた)巻き、黒豆、いくらと長芋の醤油漬け、薩摩芋の旨煮、菊蕪甘酢漬け、千代呂木。
 以上全36品目。2〜3人前。
 ¥20,000
 ご注文は下記にて承ります。数に限りがありますのでなるべくお早めに。
 TEL 075-561-8578(担当 川村)
 FAX 075-561-8561
 なお、日本橋高島屋にて30個限定販売する分の写真と献立は後日に載せます。




2006年09月17日

中華弁当

乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
 今日最初に乗ったグレートガバナーという馬は、顔にポツリと雨が当たった瞬間に恐慌を来して馬房に帰ろうとしたが、インストラターがバケツと雑巾を持ってきて顔を全部びしゃびしゃに濡らしたら、急に落ち着いてちゃんと走りだしてくれた。全くわけのわからん馬だ!とインストラクターも仰言る変馬でした(笑)。 本当に馬もいろいろ、人もいろいろだが(ああ、これじゃまるで小泉のいいぐさだ(笑))、今日たまたま帰り道が一緒になった年配の女性に、どこまでお帰りになるんですか?と訊いたら「名古屋です」と答えられて、はあ?!とビックリ。ご自分の馬をお持ちで、それをうちのクラブに預けてらっしゃる方で、「前に近くで預けたんだけど、馬がそこの環境にちょっと合わなくて、それでこちらに変えたんですよ」とのこと。「へええ、自馬をお持ちってステキですねえ」といったら「でも結構大変ですよ」との話で、維持するのに月々軽く4,50万はかかるという。年間にしたら、ウーンと唸る金額だ。別に競馬界で活躍した名馬もお持ちだが、それは引退してから北海道の牧場に預けてらっしゃるらしく、話を聞いているうちに、どうやらこの人スゴイ金持ちなんじゃん!と気づいたが、話す前はゼンゼンそんな感じがしなかった。ジーンズルックにリュック背負って野球帽をかぶった只のスリムなオバサンだったから、私は気軽に話しかけたのである。
 クラブにはほかにも結構お金持ちの方が大勢いらっしゃるのかもしれないけれど、だれもそんな感じに見えないのは、乗馬人種のふしぎなところである。というより、これまで完全インドア派だった私がゼンゼン知らなかった人種なので、そう思うのかもしれない。
 考えてみれば、これまでの私の中にあるお金持ちのイメージとは、歌舞伎座の一等席で自分がひいきする役者の出ている演目だけを見て、そのあと楽屋に行って役者にご祝儀を包んですぐに帰り、ホテル・オークラ(その昔のオークラで今はもうダメになったけど)の「山里」か「桃花林」でお食事したあと、「カメリア」か「オーキッドバー」で常連のお仲間に会って夜遅くまでお喋りをし、松濤か南平台か神山町辺、あるいは麹町、本郷西片あたりに帰宅するような方々、というようなものでしかなかったのである(笑)。ああ、なんて世間が狭かったんだろう!
 要するに私が個人的にたくさん知っていた金持ちは歌舞伎役者のタニマチ筋で、ほかに正真正銘相撲のタニマチをしていた人もひとり知ってるし、現在活躍している何人かの小説家にもタニマチがいる!という話を洩れ聞いてはいるが、、広い世間には馬のタニマチ(笑)がいたのをようやく知ったというわけだ。
 亀関係の専門誌なんかを読むと、何種類ものリクガメを個別の部屋で放し飼いにして、室温の設定をカメの種類によって変え、広い庭で有機野菜を育てて亀の食べ放題にしている人が紹介されていたりするが、これなんてあきらかに亀のタニマチであろう。
 要はエステ通いやブランド品で自己愛を満足させてるなんてレベルはお金持ちから程遠いのであって、お金持ちの基本は自己愛をはるかにうわまわる他者愛なのだ。なんでもいいから愛するモノにとことん貢ぐのが日本のお金持ちなのだ、というのが私の結論であります。ボランティアの風潮はまだそんなに広まっていないような気がします。


コメント(1)

私の祖母も、宝塚の女の子にハンドバッグ買ってあげたり、食事をご馳走したりするタニマチで、また歌舞伎役者さんのタニマチでもありました。祖父は景気のいいころ、画家のタニマチやってました。でも、そんなものはたいしたことない、自分の馬や競走馬を何頭も持ってるほうがよほどレベルの高い「タニマチ」なのだ、と私も乗馬の世界を少しかじった後に知ったのでした・・・・・。だって人間の子ども育てるより何倍もカネかかるもんね。ホント宝くじ当たったら馬主になりたいな〜〜〜!

投稿者 ありす : 2006年09月21日 20:57



2006年09月18日

鶏肉のくわ焼き丼

 QPで見た料理。お手軽で安上がりなわりに美味しいのでオススメしたい。タレは出汁、醤油、味醂、蜂蜜にケチャップ少々オイスターソース少々を混ぜてこしらえる。長ネギのスライスと獅子唐を炒めて取りだし、ネギの香りが移ったフライパンに鶏モモ肉入れて皮にきれいな焦げ目がつくまでじっくり火を通す。裏返してタレを加えて10分ほど煮込み、ご飯にネギを載せ、その上に斜切りした肉と獅子唐を置き、タレをまわしかける。鶏肉から出た脂をしっかり拭き取ってからタレを入れるのがポイント。鶏肉は塩胡椒で薄く下味をしておいたほうがいい。
 西日本に甚大な被害をもたらした台風はもはや日本海に抜けて北上中なのだろうか、今日の東京は非常に美しい夕焼けが見られ、仕事が一段落して世田谷線沿いを散歩してたら、踏切で立ち止まってケータイのカメラに収める男女が何人もいた。風が生温かくて、雲の形もちょっとヘンで、私には「三丁目の夕日」というよりは「バリ島の夕焼け」に近い感じがしたのであるが、もしかすると休日にこんなきれいな夕焼けが見られたのは今年初めてなのかもしれない。それくらい、今年の東京は春から好天に恵まれず、ことに週末は天気が崩れやすかったのだ。
 珍しいといえば、通り道でお父さんらしき男性とキャッチボールしている少年を見かけたのも本当に何年かぶりで、ハンカチ王子の余波(笑)かもしれないけれど、これは微笑ましい「三丁目の夕日」的光景で、なんだか敬老の日にふさわしい気がしたものであります。 


コメント(1)

何でも答えます。

投稿者 バリ島なんでも質問箱 : 2009年06月15日 13:57



2006年09月19日

川上のおせち 高島屋バージョン

またまた実家の宣伝です。
日本橋高島屋から限定30個で売りだすおせちの献立をご紹介いたします。

あわびの酒蒸し、まながつおの西京漬け、鰆の幽安焼き、サーモンの西京漬け、天魚(あまご)の南蛮漬け、車海老の姿煮、鮃の求肥巻き、からすみの味噌漬け、いくらの味噌漬け、塩数の子、田作り、鴨ロース、鴨薫製、結文真薯、大梅麩、笹巻き麩、えび芋の旨煮、香茸鱧煮、栗渋皮煮、栗甘露煮、花百合根の旨煮、菊蕪の酢漬け、慈姑(くわい)、塩川牛蒡、筍の旨煮、黒豆、お多福豆、千代呂木、ちしゃとう、はじかみ、つくばね
   以上31品目が特注の羽子板型漆塗りの函(写真は形状のみで漆塗りはまだ)にぎっしりと詰まって
、4〜5人前。お値段は¥60,000。ご注文は日本橋高島屋にお願いします。
 昨夜はこれの見本が送られてきたので、急きょ招集をかけてつかまった友人3人を招いて食しましたが、この人たちが恨まれるといけないので名前は公表しません(笑)。




2006年09月20日

すし善

 鎌倉の瑞泉寺に彼岸詣した帰りに汐留カレッタにある「すし善」東京店で父と食事。
札幌に本店を置くこの店は北海道から直送されたネタが魅力だが、店長の話だと、最近は海がどうもおかしくなったようで、昔では考えられないブリやカツオが北海沖で水揚げされるようになったという。その北海道産ブリ!のツマミが実に美味しかったのである。ほかにも超新鮮なスルメイカいかの肝ダレや、塩で戴く生ウニ、鶏卵のような味わいの羅臼産新イクラ等々、この店ならではの逸品を満喫した次第。
 瑞泉寺には名優志村喬氏と去年亡くなられた政子夫人のお墓がある。夫人のことはこのHPで何度も触れたが、父は二度目、私は初めてのお墓参りだった。からっとした秋晴れの下、鬱蒼とした緑に包まれた墓地は静謐に満たされ、澄んだ日射しが墓石をを明るく照らしだして、ご夫妻があの世でも幸せにお過ごしであることを確信させたのでした。




2006年09月21日

サンマと茄子のタルタル、ハギの蒸し物、フォアグラのポアレ茸ソース、フルーツトマトのカッペリーニ、伊勢エビのパスタ、佐賀牛のグりル

 『吉原手引草』の連載打ち上げで幻冬舎の永島編集局長、ヒメこと木原さんと一緒に青山の「リストランテ・ヒロ」で会食。この店はシェフの不祥事でヘンな具合に知られちゃったが、味にはまったく関係ナシ!というべきだろう。前菜の二品は塩の利かせ方に妙味があって、フレッシュフォアグラのポアレは久々に心から満足できる美味だった。佐賀牛の(写真)の柔らかさにもビックリ!ただ食べ過ぎて苦しい(笑)。それにしてもこの三日間の私はまるで餓鬼に取り憑かれたような食べ方なので、明日からしばらく粗食に徹しようと思います。
 『吉原手引草』をとても気に入ってくださった永島局長は静岡県の出身で、ヒメは新潟出身だが、幻冬舎は社長も静岡で、「ウチはどうやら静岡と新潟閥が強いようです」というお話であった。
 ところでこのふたつの地域は一見まったく関係がないように思えるが、私は十返舎一九を主人公にした新聞連載で静岡弁を学び、『吉原手引草』で新潟弁を学んだ結果、このふたつの方言が意外に共通していることに気づいたという話をしたら、ヒメの賛同を得た。思えば地図で見ればタテにまっすぐつながる地域なのである。
 日本は近代における鉄道の敷設以降、ヒトやモノの移動が圧倒的にヨコ型になってしまったが、それ以前はタテとヨコの移動にさほどの差がなくて、地域の結びつきも今日から想像される以上にタテ交流が健闘していたと考えられる。今やクルマ社会になってふたたびタテ交流が蘇っているようでもあり、この前私は名古屋近辺を旅行したときも、福井と岐阜と愛知が意外に密接な関わりを持っていることに気づいたのであった。
 ともあれ『吉原手引草』は新年早々にも上梓したいと考えておりますので、その節は読者の皆様どうぞよろしくお願い致します。




2006年09月22日

梅冷やしそば定食

 シアタートラムで「エンドゲーム」を見る前に近所で食事。
 キャパ200の小劇場で且つ招待日とはいえ、最近だとこの手の芝居で客席が満員であること自体わたしはちょっと意外な気がするほどだったが、これはひとえにキャスティングの妙に惹かれた客が多かったせいではないかと思う。まず、わたし自身がそうだった。
 で、満員の観客もこの手の芝居だから非常にコアな演劇ファンと思われ、文芸の世界にたとえれば、ひところの「新潮」や「群像」の読者であって、けっして「オール読物」は購読しなかったであろう人種である。これをあくまで過去形で語るのは、現在の読者層がどうなってるかわからないためと、きょうの客席がかなり高齢者で占められていたことの双方によるもので、実はこれが日本の文化状況を語る上でけっこう重要な点だと考えられるのである。
 なにせ高齢者だから、開幕してからすぐに寝始めた人の多いこと、多いこと(笑)。なぜそれがわかったかといえば客電(客席の照明)を消さない演出だったからであるが、わたしのお隣なんて名のある演劇評論家で、しかもどこかに劇評を載せるつもりなのだろうと思うが、しっかりメモを取りながら見ておられるのに、メモをしないときはずっと寝ていて、後半は起きていても椅子を揺らしてのたうちまわるぐらいに苦痛を覚えておられた様子で、人間年を取ると、この手の不条理演劇とか純文学とかを楽しむだけの体力と知能に乏しくなるのは如何ともしがたいのである。だからこそ若年層の知的劣化が深刻な問題になるわけで、この分だと一億総痴呆状態も時間の問題という感じだ。
 ともあれ私自身も途中かなり眠気を覚えて苦痛を感じたことはたしかで、それについて年齢以外の理由も少しばかり考えてみた。
 まずこの作品はベケットの中でも「ゴドーを待ちながら」とよく似ていて、敢えて簡単に言い切ってしまうと「人生は死ぬまでの暇つぶしだ」ということをふたりの男の無意味なやりとりで延々と見せられる芝居だが、「ゴド待ち」が牧歌的風景の中で展開するのに対し、これは地球滅亡後の核シェルターのような密室で繰り広げられるために人類の終末をも濃厚に予感させ、さらには舞台に登場するもうひと組の男女がゴミ箱に捨てられた老父とその愛人(?)という設定でより現代的なテイストに仕上がっているから、上演企図は理解できなくもない。
 しかしながら実際に上演を見れば、初演当時は非常に前衛的且つアグレッシブに感じられたであろうベケットの不条理観や終末観も、今やだれだってこんな風に感じてんじゃないの?といいたくなるのだった。結果、前衛はやはり同時代に見てこその前衛であるということを改めて痛感させられた次第だ。
 もっともそんなことは見る前にわかってるはずじゃないかといわれそうなので、なぜ見たかという点に触れておきたいが、80年代小劇場を代表する奇優の柄本明、まさに世紀末演劇を代表する若手奇優の手塚とおる、そして懐かしの新劇を代表する奇優の三谷昇、この3世代3人のグロテスクな男優のぶつかり合いを見たさに私はわざわざ劇場に足を運んだのである。
 結果、スゴイと思ったのは三谷昇で、そもそも新劇で鍛えられた舞台人のテクニックは舐めてはいけないということも今回あらためて感じた。不条理劇のセリフは意味不明であるがゆえに、俳優がコトバひとつひとつをきちんと伝えられないと芝居全体が流れてしまう。意味不明のセリフをなんとか意味をたどろうとして集中して聴くところに不条理演劇を観る醍醐味があるのであって、セリフはけっして聞き流していいわけではないのに、私が集中して聴けたのは三谷昇ただひとり。手塚とおるは単調で退屈するし、柄本明は野放し状態でかつての「東京乾電池」のパワーダウンを見せられた感じだった。
 ベケット劇は一時なんとなくボードヴィル風にやるほうがいいように思われてコメディアンもやったりしたが、今の時代ならかえって昔の新劇風に大マジでやったほうが面白く見られはしないだろうか、なんて考えたりもする。もっともそんなに巧い新劇俳優なんてもはやほとんどいない状態だけれど、いっそだれか仲代達矢と平幹二朗共演の「ゴド待ち」なんて企画しないだろうか。それなりに話題になってお客が入るように思うんですが、ただダレも猫の首に鈴がつけられないのかもしれません(笑)。
  




2006年09月23日

焼き茄子のサラダ、魚のすり身パン揚げ、タイ風春雨、トムヤム冷麺、青パパイヤのサラダ、ケール入りチャーハン

 スラッシュの進藤さん、守部さんと三茶駅近くの「クルン・サイアム」で食事。
ふたりはシアター・トラムの帰りで、呼びだされた私は一昨日立てた粗食の誓いも虚しく、またしてもお腹が苦しいほど食べてしまいました(笑)。自由が丘に本拠を置くこの店は本当に何を食べても美味しいオススメのタイ料理店である。
 それでも昼食は控え目にチーズトースト1枚にしておいたのだが、食べるときにTVを点けたらたまたまNHKの俳句番組が映った。金子兜太、黒田杏子といった私でも知ってるような著名俳人が10人くらい一列に並び、各自が詠んだ俳句を名前を伏せた形で取りあげて観衆の前で合評するというイベントを放送しており、これがあまりにも面白いもので食事が済んでもTVが消せなくなり、つい午後の仕事に取りかかるのを遅らせて最後まで見入ってしまった。
 まず面白のは、仲間内でさえどの句をだれが詠んだかわからないらしい点で(笑)、俳句という文芸でなければ、こんなことは起こりえないだろうと思う。で、一句ずつ俎上に載せて評価する人、貶す人がいて、この批評の仕方がとても面白いのである。なにせ全部合わせても17文字の文芸だから「これは『なり』だからいいんで、『なりき』になったらもうダメですよね」といった超ミニマムな批判もあれば、「これは気合いだけでもってる句ですよ」とか「これは実に大きな句ですねえ」だとかいった超漠然とした評価もあり、さらにはその句がどんな風景を詠み込んでいるのか勝手にあれこれ想像する人もいて、この世界の愉快な遊び方を教えてもらった気がする。とにかくこの中のだれかの句と知りながら遠慮なくコテンパンに批判し合うのは見ていて痛快で、マジに文学論をするよりも、こうして文芸をオモチャにするほうが私は日本文化の伝統に適っていると考えていて、これも前にNHKで何度か放送した「詩のボクシング」(タイトル不明)のような番組も大変面白く拝見していたのであった。




2006年09月24日

五穀米弁当、もっちり豆腐

乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
 これだけ乗馬に通っているとクラブでもさすがに親しい仲間ができる。ひとりは大手企業にお勤めする40代バリバリのキャリアウーマン、もうひとりは30代の美人オペラ歌手で、乗馬を介さなければおよそ知り合いにはなりにくい人たちだし、会うのは週1度、話すのは専ら馬のことばかりという浅い交流をお互いとても良しとしている。
 こうした日常を持ち込まない、君子の交わりは水の如し(笑)といった感じの淡泊なお付き合いはむろん昔からいくらもあったのだろうけれど、近年のストレス社会では多くの人たちにとって必須のものであるような気もする。会社や学校に身を置く私は所詮世を忍ぶ仮の姿で、周囲とはおざなりな付き合いしかせず、むしろ趣味やブログを通してのほうが本音付き合いができる人も今は珍しくないのだろう。
 で、これは恐ろしいことに何も社会人にかぎった話でもなくて、今や子どもたちの交友関係も私たちのころとは著しい変化を遂げているらしい。たとえば一緒に勉強をする友だち、買い物に行く友だち、映画に行く友だちが全く別人で、私たちの子どもの頃のようなトータルな親友は皆無だし、極端な話、同じ学校の仲間とは学校以外ではシャットアウトしているという話を、私はひとり娘を持つ友人とひとり息子を持つ妹の双方から聞いた。
 とにかく学校は子どもたちにとってストレスの温床以外の何ものでもないらしく、ちょっとでも目立てば足を引っ張られるからなるべく目立たないように息をひそめ、ホントのことはだれにもいわないようにしているのだと、中学で学級委員を務める息子は母親にいったらしい。とくに学級委員をしてると気疲れが激しいので(笑)、学校の仲間とは離れていたいのだそうである。
 子どもふたりが面と向かって実に仲良さそうにしゃっべっているのに、その一方でケータイ使って「こいつキモイぜ」とそばにいる別の子にメールするなんてのはしょっちゅうらしいから、子ども同士は確かにだれにもホントのことはいえないのかもしれない。
 この種のことは何もイマイマ急に始まったわけでもなさそうで、徐々に深く進行した病理現象とでもいうべきだが、政治家たちが今さらいくら教育改革を叫ぼうが、愛国心を求めようが、こんなふうになってしまった子どもたちの心にはもはや届くわけもなく、ただただウラオモテ度の指数とアイテムをUPさせるばかりではなかろうかと思う。
 教員査定をして学校間競争をさせて学力向上につなげることが教育改革だとする浅はかな政治家をカッコよくてステキ!と持ちあげて総理大臣にまでしちゃった世のお母さま、おばさま方は一体こうした事態をどうお考えなのかよく訊いてみたいところであります。


コメント(4)

姪が都内公立中学に通っております。まだ中学1年、中学の勉強が始まったばかりで、易しい勉強なのに、もう落ちこぼれがいます。
それも半数近いというじゃありませんか。教科書の中身なんて、ゆとり教育のおかげでスカスカなんです。これじゃ、まずいでしょというお粗末さ。塾産業が流行る訳です。科学と学習で有名な学研も少子化のせいもあって科学、学習の売り上げが落ちているので、本格的に塾産業に加わろうと桐杏学園という幼児塾の名門を買収したとか。少子化ではありますが、塾産業はまだまだ需要があると伸びる傾向にあります。学校は出来る子半数、出来ない子半数。中間は5〜6人くらいとか。中間に5人もいるのなら半数ではありませんが、出来る子、出来ない子の二層構造です。これらの子を一緒にして授業するのですから、出来る子は学校以外で学力をつけるしかない。小学校4年くらいまでなら、学校は友達と仲良くする場所でかまわないと思いますが、中学で学力をつけてもらわなければ、松井先生の憂いておられる日本一億総痴呆化は現実問題になります。教育で子どもを平等にの理想、加えてスカスカ内容の教科書の結果が、学校では学力はつけられないところまできてしまった。学力については最低の学校教育環境ですから、もう何もせずより何かしてみてくださいって思います。

投稿者 バルサミコ : 2006年09月25日 13:45

>早速ご投稿戴いてありがとうございます。私は子どもがいませんが、最近の教育の中身が本当に薄くなった結果、子どもは塾通いせずにはいられなくなっており、そうなると家族と過ごす時間も睡眠も少なくなるので、むしろ昼間の学校がなくなってくれたほうがはるかに有り難いというような話を妹から聞いた覚えもあります。
 ですから現実問題として、バルサミコさんの仰言ることは実によくわかるのですが、その一方で、今の子どもが勉強しなくなったのは、2つの意味で勉強をしてもしようがないと思ってるからであり、そこをなんとかしないと結局のところ根本的な解決には至らないと思うのです。
 勉強してもしょうがないと思う子が多くなった1つの理由は自分なんかがやっても所詮……という気持ちが私たちの子どもの頃よりずっと早い時期に訪れてしまうことの問題だと思っています。私たちの子どもの頃は受験といえば大学だったのに、いつの頃からかどんどんそれが若年化して、いい高校、いい中学、いい小学校、さら極端にいえばいい幼稚園に入らないと先が見えないとまでいわれだした時代、早い時期に振り落とされてしまったら、自分なんかが……と思う子が増えたって仕方ない気がするのです。もちろん全部が全部そういうふうに諦めてしまう子ばかりではないにしても、格差社会も同じことで、最初から努力してもたいして報われないと知ってやる気になる人間は少ないでしょう。つまり私は競争的な教育加熱が逆さまに勉強嫌いの子ども増やしてしまったのだと主張したいし、それは教育産業にうまく煽られ操られた親たちの責任が非常に大きいのと、社会構成の上である時期に自営業者がどっと減ってしまい、結果いい学校を出ていい会社に勤めるという以外の人生の選択肢が減ったのも大きく作用していると考えています。
 もう1つの理由はこんな勉強して何になるの?ということを思ってしまうからで、人間はそれが自らの生にとって本当に必要であり、尚かつ生きることの勘がくるってなければ、放っておいても学ぶでしょう。私たちが子どもの頃はそれでも情報量も少なかったから、微分積分なんて何になるの?と思いつつも学んでしまったのですが、今の子にそれを求めるのは土台無理な話で、もし彼らがそれでも勉強を続けているとすれば、純粋にそういうことの好きな変わった子を除いて、こういう意味のない勉強でもそれをすることが社会的地位につながるならやっておこうというくらいには冷めているはずです。
 情報量が増えたことのほかにも、世の中の変化が激しすぎて今必要な勉強でも先に必要かどうかは全く見えないという点が大きくて、たとえば私の頃は計算尺を使った授業がありましたが、今はこの種のいずれ消えてなくなりそうなものが山のようにあるものと思われます。
 大変に冷めたいい方をすれば、今の子どもたちが勉強しなくて困るのは、私たちオトナだけなのかもしれません。親の世代が物識らずの子どもにアタマに来るのは、自らの文化を共有してくれないとコミュニケーションが取れないと感じるからで、ヘンな話、私は若いころ古典芸能を専門にしていたので、同様のアタマにき方を同世代の多くに感じていました。なので、まあ、そうしたことの幅が非常に拡大し普遍化したのだろうと捉えています。
 引っ越すときに多くのモノを処分してしまうように、恐らく人類は次なる段階に至るために今後多くのモノを捨ててしまうでしょうから、私たちが大切にしてきた多くの文化も二束三文で捨てられてやむなしと思いつつ、でも過去の文化のいくつかが残ったのは何故かと考えたとき、私はもう近代の学校教育では伝えることは無理で、これを残したいと考える人が切実な思いを込めて直に次の世代に伝えるしかないのだと考えてしまいます。
 で、それとは別に息子の将来を心配している妹によくいうのは、たとえばクラスに40人いれば、勉強ができるとか、スポーツができるとかでなくても、その中で自分がどんなスタンスで生き残れるかを、子どもは子どもなりの勘でつかむはずだし、とにかくその勘さえ備わっていれば将来はそう心配しなくていいのではないかということです。
 子どもたちに言いたいのは、いずれ先に死んじゃうオトナなんかどうでもいいけど、これから先の大変さを共に乗り切っていかなくちゃならない同世代の人間ときちんとしたコミュニケーションが取れなくてどうする!ってことです。仲良くばかりする必要はないけど、同世代のだれもがお互いに本当に信じられなくなったら、人類は確実に滅びます。

投稿者 今朝子 : 2006年09月25日 21:28

ある日、テレビで「いい教育を受けさせ、苦労なく人生で成功できるように今から出来るだけの手助けをしてあげたい」と真面目に話す幼児の母親に驚きました。苦労なくして成功はあるか!!! 今の子どもの不幸は放っておかれない悲劇でしょう。「>いい高校、いい中学、いい小学校、さら極端にいえばいい幼稚園に入らないと先が見えない」と母親を脅しているのが今の教育産業です。塾、通信教育のセールスはもう「押し売り」です。相手が化粧品をすすめるように勉強はまず基礎が大切(化粧品はまず洗顔からと同じ)、他社との比較も保険のセールスと同じように特典と値段の説明をしているのに、母親たちは商品が「教育」ということだけで騙されています。セールスの基本は脅しなのでしょうか。教育という商品を売るために様々な不安を親たちの頭に描かせるのが手口です。子を持つ家庭には電話、郵便物、さらに訪問販売が断っても断っても、読売新聞のセールスのように次々とやってきます。私たちの親は勉強は学校に任せきりでした。ところが、今の親は教育改革の失敗により学力をつけられなくなった学校に子どもを任せられない。そこが弱みです。神保町にある出版社が先日SAKURAという母子のためのファッション雑誌を出しました。他社でも今年ファミリーを意識した男性ファッション誌を創刊。昨年までは父親参加型の子育て雑誌の創刊が目につきましたが、とうとう今年はファッション誌です。そこまで大人は子どもにつきまとうか、とは言い過ぎかもしれませんが、大人達の子どもへのかまい過ぎの結果が、今の子ども達を弱くしてしまったのではないでしょうか。弱くなりきちんとしたコミュニケーションが取れない子ども達を作った責任は、子どもにビジネスチャンスありと食いものにしいる私たち世代にも責任があると考えます。

投稿者 バルサミコ : 2006年09月27日 11:03

>子どもにビジネスチャンスありと食いものにしいる私たち世代にも責任があると考えます。
 仰言る通りだと思います。今や消費のターゲットにされているのは人間の子どもからペットにまで及び、犬にシーズン毎のファッションアイテムがあるは、飲料水まで犬、猫用、ウサギ用、フェレット用等々各種取りそろえてあるのには驚きのほかありません。 
 古代の奴隷や近代の労働者は生産を通じて搾取される存在でしたが、現代人は過剰な消費を強いられる奴隷だ定義づけても過言ではなく、やはり弱者の子どもたちに一番そのしわ寄せがいくのでしょう。一見なんの不自由もなく贅沢に暮らせるところに現代版オリバーツイストの悲劇があるように思います。
 ただ近代の子ども搾取に終焉が訪れたように、いずれ時代は移り変わって、現代の過誤が糾弾される日もまた来るはずだと信じるしかありません。いたずらに保守反動に走って時代の流れをむりやり喰い止めようとするのは愚かしいことであるのは歴史が証明しております。高度資本主義を超克し、消費奴隷社会の枠組みから脱せる子どもを育てることこそが、私たちオトナの使命ではなかろうかと私は考えております。

投稿者 今朝子 : 2006年09月27日 23:36



2006年09月25日

サンマの塩焼き、冬瓜のお吸い物、栗ご飯

 冬瓜は大家さんから頂戴したもの。栗は市販の剥き栗をゲット。
 文楽の吉田玉男さんの訃報を今日のニュースで知った。私が玉男さんによくお目にかかっていたのはまだ二十代前半のころだが、それはただ単なるファンとして楽屋に押しかけていたのである。
 文楽を見はじめたころの人形遣いにはまだ桐竹紋十郎という大スターがいて、玉男さんや先代桐竹勘十郎が中堅どころ、蓑助が若手のスターといった感じだった。紋十郎没後は先代野澤喜左衛門と先代鶴澤寛治の三味線双璧時代が到来し、そのあと津大夫と越路大夫が全盛の時代に突入したが、私はちょうどそのころ文楽に相当入れ込んで東京、大阪はもとより地方公演まで見まくっていた。
 わが家はもともと先代喜左衛門師と深い御縁があって、私も子どものころによく可愛がって戴き、そこから越路さんと縁がつながる一方で、友人が津大夫ファンで緑大夫と結婚したり、早稲田の先輩が三輪大夫だったりと、文楽には当時あちゃこちゃに縁が出来て困るほどだったのだが、地方公演まで追っかけをしたのは何を隠そう、玉男さんに惹かれたせいである。玉男さんが遣う人形は歌舞伎役者には全く感じられない実に男らしい色気があって、私はそれに惚れ、ご本人の男っぷりにもぞっこん惚れたのだった(特別なカンケイはありませんでした。残年ながら(笑))。
 その後、文楽の劇評を手がけていた時期もあったが、松竹入社後は興行制作側の立場として劇評を書くのはまずいと上司に止められてからしだいに足が遠のき、退社後しばらくしてまた劇評を頼まれて観劇したら、越路大夫引退後の大夫の語りが余りにもレベルダウンしているのにショックを受けた。それがもうかれこれ20年ほど前になるだろうか。以降まったくといっていいくらい文楽を見なくなってしまった。
 最後に玉男さんを見たのはたしか極めつきともいうべき「沼津」の十兵衛だが、住大夫の語りが前半はともかく、この人の悪い癖で後半がへたってしまい、甘ったるくて聴いてられない浄瑠璃で、これが最高峰ならあとは推して知るべしだし、若手でなんとかなりそうに思われたのは千歳大夫onlyだったので、これはもう見ないほうがいいと判断したのである。
 思えば古典芸能を鑑賞する寿命も30年くらいで、若いときから見はじめるとあとがだんだん苦しくなるから、いいような悪いようなもんである。最近はあまり歌舞伎も見なくなってきている。
 熱心に見ていたころの文楽は喜左衛門VS寛治、越路VS津、玉男VS勘十郎の静と動、繊細と豪放、冷静と熱情といった対照的な芸風が三業にそろっており、そのことが浄瑠璃のドラマ性を際立たせるのに実に有効に働いていた気がする。今はどうなっているのか全く知らない。




2006年09月26日

茸のパスタ、ツナとアスパラガスとキドニービーンズのサラダ

 パスタの具はベーコン、椎茸、シメジ、舞茸。オリーブ油にニンニクと鷹の爪を加え、塩胡椒白ワインで調味してレモン汁をきかせる。サラダはオリーブ油、塩、黒胡椒、バルサミコ酢を合わせた自家製ドレッシングで食す。
 安部政権発足の新閣僚の顔ぶれについて何かコメントを書こうとしていたら、妹から電話があって長々と喋っているうちに日付が変わってしまい、もはや書く気力が失せてしまった。ともかくも、ええっ!こ、この人一体なんのつもりなの!と目を剥くような奇抜なファッションセンスの女性閣僚がいなかったことだけは幸いでした(笑)。




2006年09月27日

五穀米弁当、もっちり豆腐

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。NHKBS1で日ハムVSソフトバンク戦の最後のほうを見ながら食事。新庄、ヒチョリおめでとう!こうなりゃいっそプレーオフでも勝って、あなた方がビールかけで何をやらかしてくれるかを見たいもんであります(笑)。
 ところで今日整体の先生の話で面白かったのは、私が「肝臓型」人間であるということだった。
 人の性格は身体構造と関係があるという考え方は洋の東西を問わずにあって、有名なのはクレッチーマー式分類法だが、私見で一番当たっていると感じるのはのは野口式整体が唱える12体癖の分類法で、これによると私は1種9種の混合型だと開祖の故野口晴哉先生自ら判断を下されたのだった。で、今通っている先生は野口式から出発して中国の整体も学ばれたそうで、これが臓器による分類となり、肝臓型以外にも心臓型、肺臓型、腎臓型いろいろあるのだという。
 私は肝臓が通常より大きくてしかも腫れやすいのだといわれたら、やっぱり(- -;と頷けるものがあって「美食は控えたほうがいいでしょうか?」と訊いたのだが、別にそういうことではないらしい。活動するときに昂奮する臓器は人によって違い、私は肝臓が昂奮するタイプで、だから「憤り」が仕事のエネルギーになるんだという。「いつもいろんなことに腹を立ててるでしょう」と先生に笑われて思い当たるふしは大アリで、このブログの読者もご納得戴けるかと思う。「でも、へたにそれを抑えようとしたら、つまらない仕事をして、つまらない人生になりますよ」といわれたら「は、はあ……」って、どうすりゃいいのさ!である。
 詰まるところ私の場合、面白い人生が送りたいならガンガン食べて、ガンガン怒り散らすほうがいいようなので、今後もずっと肝臓を腫らしながらそうするつもりだ。その昔「子宮で物を書いてる」といわれた女流作家がいた(今もご健在)が、私は肝臓で物を書くのであります(笑)。




2006年09月28日

ミックスフライ&蒸し野菜定食

 今日は私の誕生日なのに!新国立劇場で長塚圭史作・演出「アジアの女」を観る前に独りで淋しいお食事でした(笑)。
 長塚京三の息子が近年の演劇界で期待の星だという話はつとに聞いていて、これまでなかなか観るチャンスに恵まれず、だから今日はかなり期待して拝見したのだが、結論から正直にいえばちょっと肩すかしを喰らった感じだ。
 舞台設定は近未来の大震災後の東京で、登場するのは震災前に心を病んでいた妹(富田靖子)とアル中になった編集者の兄(近藤芳正)、そこに訪ねてくる才能のカケラもない作家(岩松了)、妹に恋して尽くす警官と妹にボランティアという名の売春を斡旋する女のたった5人。妹は死んだ父がまだ生きているように振る舞う一方で、明日のために崩壊したビルの谷間に畑を作って水をやり続ける。兄は呪縛されたように次なる崩壊の危機が迫る土地から離れられず、付近にはしだいに在日アジア人に対する偏見から不穏な空気が漂う中で妹は中国人と恋に落ちて心が快復し、事実の羅列しかできない作家が物語を紡ぎだして、暗い瓦礫の山に希望の光りが差し込んだかに見えたのも束の間……。
と、まあ、簡単に要約できるようなストーリーで、編集者の兄と作家の関係はわりあい面白く見られなくないが、妹の存在が魅力的に立ちあがってこないのは致命的で、たとえば同じような話を唐十郎で見ればどんなにかステキだろう、なんてつい思ってしまった。近未来の大震災後にしては想像される状況が古めかしくて、どちらかといえば戦後の風景とダブルという点で唐戯曲を想いだしてしまったのかもしれない。
 とにかくこの1本を見ただけで長塚圭史を云々することは避けたいけれど、設定が大きいわりに展開が妙にこぢんまりしてるのは、やはりイマドキの若い子だからなのだろうか?人物の立たせ方も説明的で凡庸な感じが否めない。もっとも「文学」の香りが漂うセリフはところどころにあって、才能が無い人ではけっしてないと思うが、ひょっとすると芝居よりは小説向きの人なのかも?と今回に関しては思ってしまった。


コメント(2)

遅れ馳せながら、お誕生日おめでとうございます。知らない世界のおはなしも、知っている世界のおはなしも(前者がほとんどですが)、いつも楽しく拝読しております。

拝読し始めてから実は結構長いのですが、お誕生日祝いにかこつけて、初めてコメントしてみました。

緊張するものですね・・・
コメント・・・

投稿者 ふみ : 2006年09月29日 21:31

>ご祝辞ありがとうございます!もはや誕生日を素直に喜べる年齢でないにもかかわらず(笑)、例年通り、明日は友人を招いて食事会を催します。献立はブログでご確認ください。

投稿者 今朝子 : 2006年09月29日 23:08



2006年09月29日

鶏団子と生湯葉と生麩の煮物

 最初はQPで見た鶏肉の湯葉巻き蒸しを作るつもりだったが、買ってきた湯葉が剥がして広げられないタイプだったので、急きょ変更してコレになった。鶏団子にはインゲンの小口切り、椎茸と長ネギみじん切りが入っている。生姜汁と塩、醤油で味付けして卵と片栗粉でまとめた。出汁は酒、味醂、醤油で味付け。NHKBS7で阪神VS中日戦を見ながら食事。こうなれば新庄の願い通り、阪神の逆転優勝で日ハムとの頂上決戦が見たい!
 今日は仕事が一段落してから近所の美容院に行って担当のAさんとおしゃべりをする。Aさんとはもうかなり長い付き合いで、とても可愛らしくて利口な女の子だと思って贔屓してたら、いつの間にか店長になっていた。
 Aさんの趣味は最初に会ったころから一貫してダイビングで、世界の海を股にかけて潜ってるのであるが、先月会ったときモルジブに行くと言ってたので「どうだった?」と訊いたら、「それが丸1週間ずっと雨で、まあ雨季だから仕方ないんですけど、ひどい嵐で、船上泊だったから揺れまくって、食事も満足にできないくらいで」と言いながら「でも海の中はふしぎと静かなんですけどね」と、やはりしっかり潜っていたのである(笑)。
 なぜそんな雨季にわざわざ行ったのかと訊けば、ちょうどこの時期にプランクトンを追ってモルジブ辺に集結するジンベイザメを見るツアーだったのだという。あの巨大なジンベイザメが手で触れられるくらいのところをどどーっと通過するそうだから、そりゃ迫力満点だろうと思う。
 「ウミガメはいないの?」と訊いたら、あまりにも沢山いるので「写真に撮るのは甲羅のきれいなヤツを選ぶんですよね」とのこと。「カメは可愛らしいですよ。こっちが触っても全然無視して珊瑚をガツガツ喰ってますもんね。そばにいても平気で寝てるし」という話を聞いて、むらむらとダイビングに挑戦したくなった私であります(笑)。




2006年09月30日

焼き松茸、土瓶蒸し、松茸のスキヤキ、松茸ご飯

 恒例の誕生日プレゼントとして送られてきた松茸の料理会に、これまた恒例で友人を2名お招きした。毎年人を変えて、2名以上は呼ばないようにして、ひとりあたり2本ずつは食べられるようにしている。一度にたくさんお招きしたら、各人が、存分に食べた!という感じがしないからであります。てなわけで、お招きした友人の名前は非公開を原則としております(笑)。
 写真上段は焼き松茸と鯛の昆布じめと春菊のマリネの八寸、中段は土瓶蒸し、下段は松茸と牛肉と生麩のスキヤキ。