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2006年07月09日
あわれ彼女は娼婦
シアター・コクーンの「あわれ彼女は娼婦」を文春の内山さんと見た帰りに近所で食事。
タイトルは知っていたが内容を全く知らずに、ただ蜷川さんの演出だからというだけで見た芝居だが、これが思わぬ拾いもの(というのも失礼ですが)で、非常に面白く拝見した。ジョン・フォードというシェイクスピアよりやや後の時代に活躍した作家の戯曲で、同様に座付き作家の台本だから似た点も少なからずありつつも、作家としての資質は全く異なる人である。
洋の東西を問わず、古典劇は現代に妙にマッチして見えるときがあるが、この作品も人倫が無軌道になった昨今の世相にふさわしい惨劇で、蜷川演出はそれを十分に意識して実に見応えあるものに仕立てていたように思う。近親相姦の兄妹が幕開きから一気に悲劇的状況に突き進んでいくのが大きな柱をなし、そこに妹の夫と、彼の周辺に潜むさまざまが人びとがからんでくるが、面白いのは倫理的にまともと思える人物が誰もいないという点で、とにかく兄妹は近親相姦で子どもができてしまうし、兄妹の父親は金目当てで妹を結婚させようとしてるし、妹の乳母は近親相姦を知って応援するし、妹の夫になる男はかつて人妻と不倫して彼女とその夫に命を狙われるし、町で最も尊敬を受ける枢機卿は寵愛する家来が殺人を犯すと平気で匿ってしまうし、などなど無軌道ぶりが隅々に行き渡って、次々と殺人が起こり、最後は妹を殺した兄がその心臓を剣に突き刺してパーティに乱入し、妹の夫をはじめパーティに出席した人びとを大量殺戮して幕となる。なんだかひょっとしたらこんなことも起こり得ると思える時代に見るからこそ面白いので、何十年か前にこんな芝居を上演したらただただ唖然だったかもしれない。ラストを大量殺戮シーンにしたのは原作にない蜷川さんのアイデアだそうだが、歌舞伎によくあるパターンのようで私は面白く見た。
幕開き冒頭から兄は近親相姦の感情を告白し、妹も続けて自分の感情もそうだったと告白してふたりは一気にハイテンションに突入するから、役作りの上で逆算できすに後半やや単調になった点は否めないが、それでもハイテンションを持続した三上博史と深津絵里はまずまず主役の責任を果たしたといえるだろう。これまた思わぬ拾いものは妹の夫役を演じた谷原章介で、「トレンディードラマに出てるだけの人かと思ったら意外に口跡がいいし、見た目でこれだけ西洋の貴族になれる人っていないですよ」といった内山さんの評が当たっている。高橋洋は前回の「間違いの喜劇」に引き続いての道化役で、この道化役が最初に血祭りにあがるというドラマの仕立て方が意外で面白く、前回よりも美味しい役だったように思う。近親相姦を応援する乳母役の梅沢昌代や妹の夫の家来を演じた石田太郎らベテラン陣も今回はシェイクスピアをひと捻りもふた捻りもした役どころだけに、手探りの緊張感が感じられて、いつもより好演が光る舞台だったといえる。
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