トップページ > 牛肉とカボチャの煮物、冷や奴、焼売
2006年07月08日
牛肉とカボチャの煮物、冷や奴、焼売
煮物はQPで見た料理。ニンニクのすり下ろし、砂糖、醤油、胡麻油で下味した牛肉を胡麻油で炒め、カボチャと水を加えて砂糖、醤油の味付けだけでじっくり煮込む。胡麻油を使うのが味付けのポイントである。
今日はこの一品で簡単に済ませようと思っていたら、突然近所の大島さんが以下の2品を持ってあらわれての会食と相成った。
大島さんは三代目中村鴈治郎(現藤十郎)のマネージャーだった時代に知り合った私より2歳下の女性で、亡き父上は長唄の師匠且つ商業演劇界の音楽を手がけて活躍なさった方だった。彼女の話によれば、生まれてから小説というものを全く読んだことがなくて、学校の読書感想文も完全にパスしてたが、友人の私が小説を書きだしたので、四十歳過ぎて仕方なく読んだのがなんと初めての読書体験なのだとか。
以来、私の小説はもとより他の作家の本にもどんどん手を出すようになり、すっかり小説にハマって、今ではあらゆる本を片っ端から読んでおり、私のところに送られてくる小説誌も全部持っていくし、自分でも毎日何か一冊は買ってるという活字中毒の人となった。
それにしても四十代まで一冊も読まなかった人が、急にそこまで小説が読めるようになったというのはちょっと不思議なもするが、もともと子どもの頃から家にあった芝居の台本を山のように読んでいたために、字を読んで人物や情景を想像することは容易に出来るのだそうで、芝居の見方もシビアな人だけに、最近は小説に関して実に的確な批評をするようになって、私もよくご意見を頂戴したりしている。
で、彼女が今日は何かとんでもなく稚拙な小説を読んだとかで、プンプン怒ってあらわれ、こんな作家の本を出す出版社も許せないし、この作家に印税が入るかと思うともっと許せんという過激な発言が飛びだしたが、その手の怒りを私はまんざらわからないでもなかった。
かつて自分が小説を書くなんて夢にも思ってなかったころ、私は某有名作家のある小説を読み、それがあまりにも手を抜いたとしか思えない作品だったので、読んでいる最中に怒り心頭に発し、なんとその本を破って駅のゴミ箱に投げ捨てたという実に嫌な想い出がある。出版界に身を置く今は本一冊に関わる人の大変さがわかっているから、いくらなんでもそんなバカな真似はしないけれど、あのときの嫌な気分だけは忘れないようにしている。今は書く側として、読者の方々に稚拙なのは我慢して頂くしかないけれど、決して手を抜くことだけはしないでおこうと思うのは、あの嫌な想い出のおかげである。
芝居は大概どんな小説本よりはるかに値段が高くて4,5倍はおろか時には10倍以上も取られたりするが、どんなにひどい芝居でも怒りがひとりに集中するということはまずないといってもいい。むしろひどい芝居のときは、出演している人に同情することすらあるくらいだが、小説の場合は関わっている色んな人間の姿が表面にあらわれないから、勢い怒りは作家ひとりに集中することになる。作家のほうにも色んな事情があるし、むろん常にベストの状態を保てるわけではないが、読者と本の出会いは一期一会の縁だと思うと、やはり心してかからないといけない気がするのだった。
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/99