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2006年06月24日
アンデルセン・プロジェクト
世田谷パブリックシアターでルパージュの「アンデルセン・プロジェクト」をスラッシュの進藤さん、守部さんと見て、帰りに近所の「お好み焼き屋」で食事。
世界的に不毛が叫ばれて久しい<演劇>にもまだ可能性があるのかもしれないと感じさせるのは英国のS・マックバーニーとこのカナダの奇才R・ルパージュだが、今回の作品は前回の「月の向こう側」よりもはるかにわかりやすく刺激的な舞台だったので、公演期間が短いのが難だが、現代演劇にご興味のある方は是非ともご覧になることをオススメしたい。
とにかく幕開きから映像と特殊な照明を駆使したマジカルな演出が目を惹きつけ、ともすれば独り芝居であることを忘れるスピーディーな展開で2時間を全く飽きさせない舞台だが、前回よりも社会性を色濃く打ち出した戯曲もまた実にトリッキー且つコンテンポラリーで、この人の才気を存分に感じさせるものだといえる。
ストーリーはまず欧州共同制作でアンデルセン原作の児童オペラを上演するプロジェクトに関わる男たちを軸に進行する。オペラの脚本を依頼されたカナダ人の作詞家は子作りを拒否したために恋人に逃げられてパリにやって来たという経緯があり、プロジェクト推進役を務めるオペラ座の支配人は子どもがいながら離婚していて、時に覗き部屋にこもって自慰行為にふけるという体たらくだ。この共に生殖と切り離された不毛な性に陥るた男たちが児童オペラを制作するという設定がまず皮肉である。
彼らがオペラの原作にしようとする童話「ドリアーデ」はロマンチジズムの終焉とモダニズムの黎明の時代を生きたアンデルセンを象徴する作品として語られ、これが美しいシーンとして随時挟み込まれる一方で、舞台にはまた現代の移民問題を象徴するモロッコの青年が時折登場し、モダニズムが終焉して不穏な空気に包まれた世界の渾沌を物語ってみせるのだった。
最後にはこれら一見何ら関わりがないと思われたシーンをすべて一つにつなげてみせる作者の力業に脱帽し、そして今、何故アンデルセンなのか?という大きなテーマの謎を解き明かすラストのセリフに私は完全に痺れてしまった。これからご覧になる方もおられるだろうから、ここには敢えて書かない。ただ恐ろしくシニカルな結末が私はなんだかとても小気味良くて、この作者とはきっと話が合うだろうなあという気がしたのであります(笑)。
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