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2006年06月24日
フレッシュトマトとツナのパスタ
QPで見た簡単パスタ。ソースはニンニクのみじん切りを入れたオリーブ油で湯むきしたトマトとツナを炒め黒オリーブとケッパーを加えたもの。
奈良の事件で逮捕された少年の上がり込んでいた家というのが、京都に住む妹の家のすぐ近所だったので、この件に関して何度もメールが来た。ちょうど同じ年頃の男子を育てており、その子が父の跡を継いで歯医者を目指しているのでとても他人事とは思えないらしい。「子育てが怖い」と書いてきたのは実感だろう。
子どもが親を殺そうと思うなんて信じられないと発言する人がいたら、それはよほど親との相性が良かったか、ボンヤリした子どもだったのだろうと思う。
私は事件の少年と同じ年ごろに、本気で親を殺したいと思った記憶がハッキリとある。血のつながった実の両親はまっとう社会人だがそれなりに人間的欠陥もあり、私は私で激しい反抗期を迎えて何度もぶつかった。ひと晩中まんじりともせずに殺す方法を考えていたこともある。そのときは鼻血が壁や床に飛び散るほど強く父親にぶん殴られて、抵抗できなかったから殺してやりたいと思ったのである。殴られた理由は私にあったが、結局この人は世間体を気にしてるんじゃないかと見抜いてたので、自分が悪いのを棚に上げて腹が立ってたまらず殺意の衝動にかられたのだった。ただこれくらいの経験なら多くの人にあっただろうと思うが、今までは殺すには至らないのがふつうだったのだ。
私を親殺しに追いつめなかったのは何かといえば、学校の友人や先生のほかに、叔母さんや店の人が同じ家の中にいたからで、もともと少し複雑な家庭の事情で幼児期に3年ほど両親の手元を離れて育ったために、親子関係が長い間しっくりいかなかったのを、今にして思えば周囲の大人たちが実によく理解していて、逃げ場というか緩衝地帯のような役割を果たしてくれたので助かったのである。
今度の事件では殺された家族もさることながら、残された父親も、何より殺してしまった少年が可哀想でならない。どこかに逃げ場は無かったのだろうかと思う。今の子どもは昔の子どものように家族以外の大人がなかなか逃げ場になってくれないのがなんとも不憫に思われる。
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コメント (4)
今朝子さん 同感です。ひとり 階段にすわり火をつけてしまい、最後 眠くて忍び込んだ家でねこんでしまった少年が不憫でならない。おっしゃるとおり 親はいろんな意味で壁であり、逃げ切れないプレッシャーであり、又自分のなかのいやな面の原点でもあるとおもうと、なんとか反対に進んでやろう。自分で自分を作り上げなくては。ともがいていたものである。私はまるで色気のない、法曹界の娘として育ったので、180度反対とその頃思われた、演劇や芝居に惹かれたのだと思います。本日は国立で松録くんの「国姓爺合戦」を観ます。また辰之助さん思い出してしまいそう・・
投稿者 tatsuko : 2006年06月24日 07:08
思えば偉大な父のプレッシャーで早死にしたかに思える辰之助、その父の舞台をほとんど知らずに育った現松緑。なんともいえない親子三代ですね。
投稿者 今朝子 : 2006年06月25日 22:21
私も両親とはしっくりこなくて、少年の気持ちがいたいほどわかる。少年は頭もよく、その分感受性も強いために、こうした事件を起こしてしまったのでしょうね。若い頃はまっすぐ純粋なために、黒白どちらかに物事を決めてかかる。親としてではなく、人間として許せないとなると、世の中から抹殺するしかないと思い込む。これが自分の世界を変える唯一の手段と考えてしまう。親の心子知らずという諺があるが、当然逆もあるわけで、なんでも自分の思い通りにならないと納得しない親というのは世間には沢山います。そういう私も、大学生になった一人息子からは、さしていい父とは思われていないことでしょうが。
ところで、並木拍子郎の新作、いつになりますか。もう1年近く、いつかいつかと待ちわびているのですが。書き下ろしのため、書店に並ぶ時期を予定でもいいですから、教えていただけるとありがたいのですが。
投稿者 kazarin : 2006年06月27日 18:15
本当にお待たせしてすみません。今年の秋くらいからようやく執筆できそうなので、来年にはなんとか上梓したいと考えております。
投稿者 今朝子 : 2006年07月03日 00:35