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2006年06月01日

蒟蒻と豚肉の辛味噌炒め

 QPで見た、これもオススメしたい料理である。蒟蒻、豚肉、インゲン、セロリをほぼ同じくらいの賽の目状に切って炒め合わせ、コチュジャン、味噌、砂糖で味付けする。下処理をしっかりするのがポイントで、豚肉のブロックはよく叩いて倍くらいに伸ばし、切ってから塩胡椒醤油で下味して片栗粉と油をまぶしておく。蒟蒻は塩でよく揉んでこれも伸ばしてから切り、フライパンできゅうきゅう音が出るくらいじっくりと乾煎りする。そこに胡麻油とニンニク、生姜のみじん切り、鷹の爪を足して炒め、ほかの具材を加える。御飯と一緒にサンチュに挟んで食べると美味しい。
 ところでこのレシピを紹介する私はQP3分クッキングで見たことをちゃんとお断りしているのだが、それをしないと盗作ということになるのだろうか(笑)と思ってしまうくらい、ここんとこTVは和田某画伯の盗作問題をやたらに取りあげている。まず、そんなに話題にしなくちゃならないほどのレベルの画家なのかどうかも門外漢の私にはわからないのだけれど、何事によらず盗作してしまう人の心理というのがこれまたさっぱり理解できないのであった。
 小説の場合、資料をうっかり丸写ししてしまう人がときどき出るが、これも全く理解できないのは、研究者の卵だった時代に異常なほど厳しい指導を受けて、自分の論文に他の研究者の説を引用をするに当たっては大変な神経を使ったせいだろうと思う。かくしていちいち原点となる古文書に当たらないと書いてはいけないような気が今でもするので、私にとって時代小説を書くのは実に面倒で割に合わない仕事であります。
 ともあれ最近はTVのシナリオライターで小説を盗作する人が結構いるらしく、集英社の伊藤さんは二度も訴訟に及んだという話を先日伺ってびっくりした。ひとりはハッキリ認めて謝ったというが、日本人のモラル低下もいつの間にかアジアレベルにダウンしていて情けない限りである。
 以前、拙著の「仲蔵狂乱」が松本幸四郎主演の「夢の仲蔵」であきらかにパクられていたが、これは荒俣宏氏の台本と謳いながら結局それが全然使い物にならなくて、急きょ現場レベルで書き替えたとの話を事前に聞かされていたために黙許というか、黙殺したのであった。まあ、歌舞伎の台本なんて大昔からパクリのオンパレードだから、著作権の概念なぞ所詮ハナから無いに等しい。著作権の概念はそもそも近代西洋から発したものであるのはたしかだが、こんどの和田画伯盗作問題で日本はやはり極めてアジア的な国だと映ってしまうのかもしれない。 


コメント(2)

歌舞伎の世界を描いた時代小説を拾って読み漁っていた時に出会った「仲蔵狂乱」が、最初に読んだ松井さんの作品だったのですが、これが團十郎・新之助父子で映像化されたと聞きました。見てみたいです…映画でなくドラマだそうですが、著作権を持つテレビ局が再放送を決めない限り機会はないのでしょうか?
ケーブルあたりでやらないかと期待しているのですが、もしそんなことが決まったら、ぜひ告知してください!

投稿者 猫並 : 2006年06月03日 21:55

>局はテレ朝で、この局にしては(笑)けっこう力入れて撮ってましたし、とくにラストの団十郎さんがとてもステキでした。再放送はたぶん無理ではないかと思います。もしケーブルでやるとしたらスカパーの歌舞伎チャンネルくらいでしょうか。伝統文化放送に希望を出してみるという手もありますよね。

投稿者 今朝子 : 2006年06月04日 00:05



2006年06月02日

おこわ弁当

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 治療院で幻冬舎のヒメこと木原さんとバッタリ。なにしろ紹介してくだすった方だが、ここで出会うのは初めてだった。で、治療が済んで夜の8時でも帰社してまたお仕事なのだから、編集者もなかなか大変な職業である。
 ところで私は若いころ作家になりたいとは露ほども思わなかったけれど、編集者にはなりたくて市ヶ谷のエディター・スクールなるものに通った覚えまであるくらい。なにせ当時は男女雇用均等法もなく、比較的男女サベツがない文系の職業は学校の先生か編集者だけと思われていた時代で、中でも編集者は早起きしなくてもよさそうだというのがなりたい一番の理由でした(笑)。
 で、大学卒業当時はオイルショックの余波で未曾有の就職難だったため大学院に進学するはめになり、結局なり損なったので、今でも編集者の方に対しては羨望や対抗心にも似た微妙な感情があって、なんで私が作家であなたが編集者なわけ?と常に思いながらお仕事をしておるのでした(笑)。
  




2006年06月03日

銀むつの照り焼き、揚げ茄子のサラダ、揚げゴボウのサラダほか

 広尾の中央図書館からの帰りに恵比須のアトレでゲット。
 この図書館のロビーでは毎度テーマを決めて展示をしており、今日は複写の仕上がりを待つ間に何げなくそれを見たら、「本を喰う虫さんたち」として虫の死骸がずらっと並べてあるのにビックリ!ウケ狙いなのかどうか(笑)、虫にそれぞれ名札が付けられて「朱子大全」を喰った虫とか書いてありました。
 で、今月のテーマはどうやら<本の修復>ということらしく、劣化した酸性紙の本とかも展示されていて、今の図書館や古本屋さんはさぞかし大変だろうと思われるのは、わが家の蔵書もかなり怖い状態なのが少なからず出てきているからです。二百年以上前の古文書も何冊か持ってますが、これらは意外に大丈夫で、戦前戦後の本のほうが結構ヤバイ感じ。でも図書館みたいにフィルム化する予算もないから放置したまま。なにせ地球全体が劣化というか、もうイッパイイッパイてな時代に、古本を残してもどうよ!と私自身は開き直ってるわけですが、図書館の方にはとてもそうは申しあげられません。




2006年06月04日

揚げ豚と茄子の煮物、小松菜の胡麻和えほか

 乗馬クラブの帰りに近所の総菜屋でゲット。
 完ぺきに夏風邪だと思いながらも、熱がないのでやっぱり今日も馬に乗ってしまった私です(笑)。2鞍乗ってそうグッタリもしませんでしたが、帰って来てからなんだか喉が痛いのは馬場の砂埃でやられたせいかもしれません。近ごろ街中でやたら咳してる人が多いのも黄砂のせいだという説がありますが、とにかく毎日毎日このドンヨリした空模様には参ってしまいます。




2006年06月06日

鰹のたたき、鰺と水茄子の胡麻サラダ、里芋のコロッケ、炙り鯖の棒ずし

 シアターコクーンで「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?」を見た帰りにポプラ社の矢内さんと近所の「春秋」で食事。
 E.オールビーの傑作戯曲をこうした客寄せ中心のキャスティングで上演するのは冒涜だと宣うた方がおられるが、当たらずとも遠からずであった。私は昔ローレン・バコール主演の映画で見た記憶がちらっとある(もちろん封切り時に見たわけではありません。TVの再放映です)だけなので、今回良い機会だと思って拝見したのだけれど、案のじょう大竹の自分勝手な演技と、稲垣ともさかの理解力不足の演技によって、登場人物が全然立ちあがって見えてこないのに参ってしまった。妄想でしかつながれない夫婦の傷ましさという主題は日本だと初演時よりはるかに理解しやすい時代に入っているから、この戯曲の上演自体は意義深いと思われただけに、だれか違う役者と演出で見たかったというのが本音である。そんなわけで今日はこれ以上書かない。
 それにしても前回の蜷川&野田&松潤の芝居に引き続いて見たから余計にそう思われたのだが、かつて新橋演舞場や芸術座や三越劇場などに押し寄せていたいわゆる商業演劇の観客は近年激減して、もう世間にその手の客層は無くなったのかといえば左にあらず。商業演劇観客第2世代ともいうべき女性たちが今やコクーンを席捲していることをハッキリ感じさせる客席だった。面白いのは昔ならその手の観客に理解できる程度の芝居を見せるというのが御定法だったのに、今どきは野田やオールビーの戯曲を強引に見せられて、内容がわかろうが、わかるまいがとにかく素直にゲラゲラ笑って見られる女性たちが出現したという現実があり、これはある意味で日本の現代を象徴する出来事のような気もするので、この点に関してまたいつか詳しく書く機会もあろうかと思う。
 




2006年06月07日

絶食

 風邪が思いのほか深く進行したのか咳が止まらず、週末に旅行を控えている身としては少し心配になった。風邪は暖かくして寝てる以外に根本的な治療法はないし、野口式整体でいわせると、風邪を薬で抑え込まず自然に通すと躰は前より丈夫になるとのことだから、今日(もう昨日になるが)は午前中はゆっくり寝て治そうとしたら、案のじょう、例のごとくに気持ち悪くなって丸一日半寝てしまうはめとなった。
 何度もここに書いてるが、くるくる回る独楽は動きが止まると倒れるようなもので、昔からちょっと休もうとしたら却って具合が悪くなるたちで、これは母親譲りである。なので完全にオフするのはワンシーズンに1回に限ったほうがいいらしい。これでまた数ヶ月は休まなくてもつだろうと思います。
はずであります。




2006年06月07日

キャベツスープ

 絶食明けの定番メニュー。キャベツのほかに人参、ジャガイモ、セロリ、玉ねぎ、ブロッコリー、ソーセージが入ったスープ。
 今朝は4時からガンガン仕事をして、買い物にも出かけ、食欲も全開なのだけれど、咳がまだ完全にはおさまらないのが癪である。
 ところで書きおくれてしまったが、最近のTVニュースでやっぱり見逃せなかったのは村上世彰氏の記者会見だろう。「金を儲けることが悪いんですか?僕がどっさり儲け過ぎたから、あなた方は僕を嫌うんでしょう」というような発言に対して、ごもっともです、てな感じで黙って聴き入っていた記者さんがたちが面白かった。
 たしかに今や村上氏の発言が正論に聞こえる時代なのだろうと思う。これが江戸時代なら「其方(そのほう)が所存重々不届きに付き闕所(けっしょ)申し付くる者也」てなことがもう少しそれなりの哲学を持って宣告されるんだろうけど、国を挙げてお金儲けを奨励している現代ニッポンではホリエモン同様、こうして出る杭を打っとけば、感情的で嫉妬深い日本人の心が鎮まるだろうとする検察官僚の思惑が見え見えで、まあ、どっちにしろくだらない民族に成り下がったもんである。
  今や世界には、金をどんどん儲ければその金で世界を住みやすく変えられるはずだという信念を持つ人びとが確実にいて、彼らの信念に引きずられるかっこうで金儲けを念頭に置かずには生きることができなくなった人びとが大半だ。もちろん原稿料をもらって生活してる私も、これを読むあなたも恐らくそのひとりである。つまり今やお金は中世ヨーロッパにおける神のごとく、その存在を疑うことがだれにも許されない手段と化しているのであるが、中世の後にルネッサンスが来たように、どこかでこうしたハイパー資本主義を脱する普遍的哲学を生みださないと、人類はゴミの山とあらゆる汚染と環境異変に冒されて滅びるのはまちがいないのであった。




2006年06月08日

新刊文庫本余話

 昼間、角川春樹事務所の原重役が、近刊の文庫本<並木拍子郎シリーズ第2弾「二枚目」>の見本を持って来てくださった。
 このHPに後日きちんとした写真と紹介文を載せるつもりだが、今回の文庫解説は「塀の中の懲りない面々」で知られた安部譲二さんである。前にも書いたが安部さんは昔からファンで一度お目にかかりたいと思っていて、原重役のご配慮でお会いできた上に、文庫の解説まで引き受けて戴いて大感謝!
 ちなみに今回に限らず、私の文庫は概ね著者よりも解説者のほうが有名で且つ名文家ですから、すでに単行本を買われた方もお見逃しなくと申しあげておきます(笑)。「二枚目」は6月15日発売です。
  ところで原重役はやはり仕事の関係で例の盗作騒動を巻き起こした和田画伯をよくご存知だった。二度も食事をなされた仲だというので、「ねえ、どんな人?」といろいろ訊いてしまい、なるほどとうなずいたが、ここに書くのはご遠慮しておきます。
 で、もう一つ時事ネタで、書いてもいいと許可を取ったのが村上世彰氏の話。春樹事務所のパーティにあらわれたそうで、そのとき彼と話した春樹氏はあとで社員に「村上は金の遣い道をまったく知らんようだから、俺が代わりに遣ってやることにした」と宣うたそうである。これは聞いて、さもありなんという気がしました(笑)。


コメント(2)

「幕末のあどれさん」先日読了しました。
あどれさんはフランス語だったんだ。
角度の違う幕末の歴史で面白かったです。
「東州しゃらくさし」を読みたいと思います。
大変遅れてきた読者です。

さて、まったく話題は異なりますが、
そもそも宗教たるもの、「野雪隠」でいいのではないか?と
○○教の教会長先生が申しました。
なるほどねえ宗教とは「困ったときの杖」と言うわけです。
さて、この良い季節、初夏の野山を歩くのはどうだろう。

野雪隠 地蔵 しばらく かたな番
野雪隠(のぜっちん)尻ベタこそぐる レンゲ草
野雪隠 蟻の行列 うっ止めた
野雪隠 一山(ひとやま)ごとに 横歩き
野雪隠 ひと垂れ垂れて がね歩み
はつ雪や どなたが這入る 野雪隠.
春風や 大宮人の 野雪隠
覚悟して 必死女の 野雪隠
なごりゆき のもりはみずや 野雪隠
野雪隠 身をのがれんと 前へ出る
大御代や 野梅のばくち 野雪隠
野雪隠の うしろをかこふ 柳かな
ごくごくの つまり女の 野雪隠(せっちん)

失礼しました。

投稿者 夕焼けさん。 : 2006年06月09日 01:24

>うーん。野雪隠にはなんてコメントしたらいいかわかんないけど(笑)。「幕末あどれさん」の続編形式で書いてるのが「銀座開化事件帖」なので、よろしければそちらのほうもご覧になってください。

投稿者 今朝子 : 2006年06月09日 06:00



2006年06月09日

いなり寿司、海苔巻きほか

 明日旅行するので今晩は家で作らずに近所の寿司屋でゲット。
別にドイツに行くというわけではありません(笑)。




2006年06月12日

里帰り

 6/10,11にかけて久々に里帰りし、わが実家が京都の祇園で経営する料理屋「川上」のOB会に参加。板前さんのOBは総勢70余名だが、うち半数ほどと現役が勢ぞろいして京都ホテル・オークラで会食した。
 2年に1度開かれるこのOB会に私が今回めずらしく参加したのは、一応オーナーの長女として「川上」の次期経営者をOBの前で正式に披露するためであった。
 実をいうと、わが家は数年前からこの問題をめぐって家族でいろいろと協議(というほど大層なものではないが)を重ねてきた。結論としては、生涯現役にこだわる両親の意志を尊重し、近年この両親をずっと補佐し続け、味覚に関して抜群のセンスを誇る従業員の加藤氏に次期経営権を完全に譲るのがベストだという判断に至った。 
  しかしながら所詮は家業レベルの事業だけに、戸籍上の養子でもない同人に無条件で全権利を譲ることを世間に認めさせるのはなかなか難しいもので、まずは現役並びにOB陣に納得させるために本来の相続人たる私の口からそれを発表することにしたのである。
 で、私は四十人の現役並びにOBの板前さんたちの前で後継者披露のスピーチをしながら、これって東映のヤクザ映画で「姐」とか「霊代」とか呼ばれる志麻さんの役どころだよねえ(笑)なんて大いに自惚れてたものであります。
 写真はOB会の集合写真とその前に「川上」で食べた料理の一部。全然関係ないけどたまたま前日に見た伏見稲荷大社の田植え神事。 


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すみません、何回もお邪魔して(居心地が良いもので)、私は、折角の外国旅行での食事をハンバーガーショップに行く程の根性無しで、もとより京都の料理屋さんには縁がありませんね。ケチというわけでなく(多分、セコイ)、いろいろややこしいことが嫌いなオッサンです。しかしながら、この料理にはドキッとしました、美味そうだ。うーむ、素材は「鱧と独活と鯛」でしょうか?やはりこの歳になりますと、良いですね、この手の料理。器は何だろう。不勉強です。今夜、途中まで読んでますのは『欅しぐれ』山本一力さんです。では、失礼します。4年後のW杯に向けて頑張ろう!

投稿者 夕焼けさん。 : 2006年06月14日 00:25

 お造りは鱧とふつうなら鯛か平目というところですが、意外にもこれは目板鰈でした。ちなみにうちは別にそうややこしいことをいう料理屋ではありません(笑)

投稿者 今朝子 : 2006年06月14日 07:09



2006年06月13日

朴葉味噌焼き

 飛騨に旅行した妹からもらった朴葉味噌のセットで作る。牛肉、椎茸、長ネギを味噌に絡めて朴葉に載せて焼き卵をトッピング、要はスキヤキの味噌バージョンである。
  今日は仕事を終えたあと人に差し上げるプレゼントを買いにちょっと渋谷に出かけ、帰ろうとしたら事故でもないのにホームがすし詰め状態で、すぐ来た電車には乗り込めないほどの込み具合にビックリ!させられた。要は皆さま早くご帰宅になってTVをご覧になったであろう今夜のワールドカップ日本VS豪州戦については多くを語りたくありませんが、とにかくアッゼーンとした試合運びでありました。
  




2006年06月13日

茄子と海老のチーズ揚げ

 QPで見た料理。パン粉に粉チーズとパセリのみじん切りを混ぜて揚げるだけ。茄子は水にさらさずに塩を振ってアクと水分を抜くのがポイント。こうすると茄子のフライがとても美味しくなります。海老にも塩胡椒の下味を忘れずに。
  NHKBS2で越路吹雪特集を見ながら食事。これは思ったより見ごたえ聞きごたえのある番組でした。ただし越路さんは映像だとどうしてもカリカチュアっぽく見えるのは致し方あるまい。やはり舞台の人である。
 母親が大阪の出身で戦前からの大ファンだったために、私は子どもの頃にこの人のステージを数多く見せられた。日生劇場のドラマチックリサイタルはもちろんのこと、それ以前の客がまだあまり入らなかったころのミュージカル「メイム」とか「サウンド・オブ・ミュージック」(なんてのも演ってた!)も見ている。
 前にも書いたことがあるかもしれないが、日生劇場のリサイタルで驚いたのは、私の真後ろに座っていた眼鏡をかけてる中年男性が「コーチャン!」と絶叫しておいおい泣きだしたことで、男女を問わず熱狂的なファンが多かった人だ。映像からもその人を惹きつけてやまぬ濃厚な雰囲気というか、カリスマぶりが強く窺える。
 越路吹雪は劇団四季で「アプローズ」というミュージカルにも出演したが、私は松竹時代に社命でその台本を入手しなければならなくなり、人を介して劇団四季の宣伝部に渡りをつけて密かに本を借りたのがきっかけで当時「ぴあ」の演劇担当だった進藤さんらと知り合い、松竹からぴあに移籍して、興行界から出版界に身を置くようになったのである。というわけで、考えてみればそれなりに御縁のある方だといえなくもないのでした。
 




2006年06月14日

五穀米弁当

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 治療院はビルの4Fにあるが、今日はエレベーターに乗ってMITSUBISHIマークにホッとする私も相当に毒されやすい人間であります(笑)。
 それにしても、TVのニュースでシンドラー社の幹部が日本人と並んでふかぶかと謝罪のお辞儀をしている姿を見て、あれが如何にヘンな流行りかということに改めて気づいた人も多いのではないか。シンドラー社の幹部もきっと日本人を、幕末の開国当時に来た西洋人と同じように、フシギな民族だと感じたに違いないのである。
 一体全体、最近の記者会見で必ずやるアレはいつ頃から始まったのだろうか。記憶の古いところでは山一証券倒産のときの映像が蘇るが、あのとき泣いてた可哀想なスケープゴート社長のお辞儀は、昨今と違ってまだしも心がこもっていたような気がする。
 とにかく私は最近のアレを見るたびに、まあ、とにかくアタマさえ下げときゃイッカーという無責任サラリーマン根性が国全体に染み通った気がして不愉快でたまらず、日本人はいつからこんな情けない民族に成り下がったのだろうと思うのである。昔の日本人だって当然頭を下げてただろうと仰言るかもしれないが、昔の人があんなにふかぶかと頭を下げたら、当然自害を警戒しなくてはならなかった。
 とにかくアレは、申し訳ないという気持ちもなく、他人に対する敬意というものもなく、ただアタマ下げときゃイッカーという面従腹背の人びとが今この国に跋扈していることの象徴に思われてならないのである。 




2006年06月15日

豚のキムチ和え、茄子のみそ汁

 QPで見たインスタント料理。シャブシャブ用の豚肉とアスパラガスを茹でてキムチと和え、醤油と胡麻油少々で調味する。茹でたての豚肉にキムチの汁をかけて冷ましてからから和えるのがポイント。
  今日TVを見ていて、えええー!と驚いたのは、時候がらとはいえ、あの今をときめく「パークハイアット東京」の結婚式で食中毒が出たというニュース。鰹のタタキやローストビーフが怪しいというのだと、全く調理の責任で同情の余地なし。私は料理屋の娘に生まれたので、食中毒は飲食店の致命傷だという思いが強くあって、「オテル・ド・ミクニ」から出たときも結構ショックを受けたのである。日銀の福井総裁が村上ファンドに投資していた件に関してどう思うかという街頭インタビューで「もう世の中何も信じられませんねえ」とお答えになった女性があるが、私はあの件にもまして今日そう思われたのである。




2006年06月16日

中華総菜

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。あとは実家から送ってきた泉州の水茄子と一保堂の新茶でお茶漬け。
 整体の先生は夏に浴衣をお召しになるのだろうか、「どこか下駄屋さんでいい店をご存知ありませんか?デパートとか近所で買うと鼻緒がすぐゆるんでダメなんですよね」と仰言るので、私はひとまず自分が草履を買う銀座の「ぜん屋」をご紹介したのだが、下駄屋と聞いて最初は思わず「飯田町にたしか伊勢屋が……」と言いかけて、イカンイカン、そりゃ馬琴の家だと気づいて慌てた。
 今ちょうど十返舎一九を主人公にした小説を執筆中だが、そこに若き日の馬琴が登場する。飯田町の伊勢屋という下駄屋は彼の婿入り先なのである(これはフィクションでなくホントの話です)。
 小説を書くというのはおかしなもので、妙にリアルな夢を見てるように、フィクションのバーチャルな空間が現実と一緒くたになったり、時に現実よりもっとリアルな感じで立ちあがって見えるので、少なくとも書いてる自分にとっては、当たり前だが、どんな舞台や映画やTVドラマよりもはるかに面白くて、止めようと思ってもなかなか止められないのでした(笑)。


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初めて投稿いたします、横浜の着物好き・中村屋ダン之助と申します。

鼻緒の調整や挿げ替え、下駄の歯の直しや雪駄の踵直しなどをその場でしてくれるお店は見かけなくなりましたね。私は横浜・六角橋商店街の中の履物屋さん「たちばな屋」でメンテナンスをお願いしていますが、こういうお店も横浜ではここだけになってしまいました。
この店の主に教示を受けて以来、「なんば歩き」をするようになって鼻緒はキツメが好みになりました。なので鼻緒は定期的に締めてもらっています。

余談ではありますが、こちらには京蔵さんのHPから飛んでまいりました。京蔵さんのファンである私としては、たまに出てくる京蔵さんの話題を楽しみにしております。6月の「たけのこ会」が楽しみです。

投稿者 中村屋ダン之助 : 2006年06月17日 01:15

 私も「たけのこ会」には27日の夜に参ります。京蔵さんはそのあとすぐ大阪の松竹座に直行のようですね。
「なんば歩き」を勧める店主はなかなかの人ですね。京蔵さんと私は共に武智鉄二の門下生なので、「なんば歩き」と言われたらグッとくるものがあります。近年陸上の選手が「なんば走法」で話題になったことがありましたが、昭和30年代に唱えられた先生の「なんば理論」を想いだされる方はもう少なくなっただろうなあ、とその時感じたものです。

投稿者 今朝子 : 2006年06月17日 06:44



2006年06月17日

豚肉とアスパラガスの胡麻煮

 近所のスーパーのパンフで見た簡単料理。豚肉とコンニャク炒めてだし汁、醤油、味醂、アスパラガス、すりゴマを加えてしばらく煮込むだけ。
 けさ起きてすぐ度胸を決めて(笑)洗濯したが、なんとか天気がもってくれてホッとした。今の洗濯機が壊れたら最新型の洗濯乾燥機を買おうと思ってから早や何年か過ぎてしまった。洗濯機というのはなかなか壊れないものなのである(笑)。
 TVニュースで流れる沖縄あたりの様子を見ると、東京なんかで文句を言ったら罰が当たりそうだが、今年はまだ入梅したばかりで、もうそろそろ明けてくれないかなあという気分。明日に予定した乗馬も、また馬場がグチャグチャで泥だらけになるのは避けられないだろう。
 それにしても明日の夜はいよいよ土壇場のクロアチア戦。昨夜のアルゼンチン戦を見て、サッカーってこんなに点が入るスポーツなんだ!と驚いてしまったが、日本もとにかくどんどんゴールを狙って欲しいもんである。なんだか責任の押し付け合いみたいな、あのボールの回しっこだけは止めて頂きたい。




2006年06月18日

サーモンの焼き物、山芋の黒酢炒めほか

 乗馬の帰りに近所の総菜屋でゲット。
 今日はもう♪雨はー降る降ーるー、人馬はー濡ーれーるー、越ーすーにー越されーぬー田原坂(たばるざか)ーと歌いたいような(西南戦争の歌である)乗馬だったが、クラブは驚くほどの大盛況で、馬好きの方々はなかなか侮れないものがあります(笑)。
 で、夜はもちろんワールドカップ日本VSクロアチア戦を見たのだが、この試合はなんとか引き分けに持ち込んだだけでも立派ではないか。ヒデも果敢にミドルシュートを2度も放ったし、俊輔のシュートはちと残念だったけど、川口はよく守ったし、三都主や稲本や加地だってよく動いてたし、私の目にはむしろクロアチアのほうが攻撃ミスが多くて、絶対勝たなきゃならない試合を落としたって感じである。
 この試合は日本が絶対に勝たなきゃならない試合だ!などとほざいたマスコミの連中は、あたかもガタルカナル戦に敗れたあと本土決戦では神風が吹いて絶対勝つと言った戦前の大本営で、こうしたところは相変わらず信用のできない国民性というか、マスコミの質の悪さだろうと思う。
 抽籤で対戦相手が決まった段階では予選通過は難しそうだと多くの人が思ってたはずで、太平洋戦争だって真珠湾攻撃の段階ではこの戦争は保って一年だという認識が山本五十六にはちゃんとあったのだから、やっぱり当時浮かれたマスコミの責任も大だったのだ。とにかく出版にしろ放送にしろ、受取り手がよほどきちんと精査してかからないと危険な国である。
 なお、ここに書いたガタルカナルだの大本営だの山本五十六だのが何のことかわからないという若い方はしっかり現代史を勉強し直してください。江戸時代の歴史よりも知っておく必要があることです。




2006年06月19日

夏野菜の鶏そぼろあんかけ

 QPで見た料理。鶏そぼろは生姜のみじん切りを入れて醤油味醂、塩で味付け。カボチャは厚めの櫛形に切って低めの温度でじっくり素揚げ、茄子は乱切りしてこれも色づくまで素揚げ、ミョウガは最後にさっと油通しする。このミョウガを入れるところがミソだろう。
  NHKBS2でアメリカの映画ソングベスト100みたいな番組を見ながら食事。私は別にアメリカという国が好きでもないし、洋画や音楽に強いというわけでもないのに、ほとんどのナンバーを知ってる!のに我ながら驚いてしまった。ちなみにタイタニックのテーマは14位で、ベストスリーはオーバー・ザ・レインボーと「カサブランカ」のあの曲と「雨に唄えば」、4位がムーン・リバーと、まずまず納得のラインである。懐かしの「フラッシュ・ダンス」や「フェイム」も聴けたし、今やお婆さんになったジュリー・アンドリュースやバーバラ・ストライサンドの映像も見てしまいました。
 




2006年06月20日

具だくさんの和風スパゲティ

 豚肉、イカ、茄子、茗荷、アスパラガス、長ネギ、舞茸を炒め合わせてて生姜醤油と味醂で味付け。
 夕方に「アエラ」誌の取材を受けて、ちゃんと作る時間が無くなったためにこうしたやっつけメニューになった。
 記者の方と四方山話をしていて面白かったのは「最近タンカ切る人がいなくなりましたねえ。バーのママさんなんかでも、昔はうまいタンカを切れる人がいたのに……」と言われたことで、これには大いに共感したものである。日本には伝統的な口喧嘩文化と呼べるようなものが確かにある。
 古くは合戦における矢合わせ前の口論に始まり、超低レベルなところでは「お前の母ちゃん出べそー」と罵り合う子どもの喧嘩に至るまで。歌舞伎の「助六」なんてのはそうした悪態のオンパレードだし、これは江戸に限らず上方でも悪口のセンスで人の値打ちが決まるような感じさえあったのだった。
 あれもサベツ、これもサベツと言われだしたのと裏腹に、ちょっとした言葉で人が傷ついてしまうようになったのはいつ頃からで、一体なぜそんな風になっていったのか、根本的な原因が奈辺にあるのか、もう少しちゃんと考えてみたほうがいいかもしれない。手を出さずに口でやり合う文化が廃れたのと、すぐキレて暴力や殺人に至る若い人が増えたのとは全く関係がないのだろうか。
 ちなみに私は関西出身なので小説の中でしか江戸前のタンカは切れないが、その昔は関西の友人とお互いに「あんたそんなブッサイクな顔して真面目なこと言わんといてほしいわ」てな悪態の応酬がしょっちゅうだったし、またお互いにそれくらいのことを言い合える仲でないと友人とみなされない雰囲気があったのである。




2006年06月21日

五穀米弁当

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
 整体の先生に銀座にある履き物の老舗「ぜん屋」をご紹介したことは前に書いたが、さっそく向こうに行かれて桐の下駄と雪駄併せてナント4足!お買い求めになり、職人さんともすっかり親しくなられたようで、紹介したこちらは顔が立ちすぎるほどでした(笑)。和の履き物に関しては、中村屋ダン之助さんにご投稿戴いたように、ちゃんとメンテナンスがお願いできる店を知っておくに越したことはないように思う。
 それにしても口コミがこうしてうまく機能すると嬉しいもので、思えば昔は口コミだけで情報がまわっていて、限られた土地の範囲内ではあっても情報の信頼度は今よりずっと高かったのかもしれない。この点に関しては、考えてみると私は昔から相当に恵まれていて、実家が京都の祇園町という全国の情報が集まりやすい町にあるため、東京の老舗名店はほとんど子どものころから知っていた。東京に来てからもまず松竹という興行会社に勤め、その後「ぴあ」という情報誌に関わり、今は出版社の方々とお付き合いがあるので演劇、映画、音楽、書籍、料理店に関しては口コミだけに頼ってかなり優れた情報が得られるのだった。これはズルイ!と思われても仕方ありません(笑)。
  で、世の中はいま情報の氾濫で何も信じられる情報がなくなってしまってるのだろうが、これは以前情報誌に関わっていた人間として、必然的に起こり得ることだとしか申しあげようがない。雑誌の情報でいうと、まずスペースありきで載せるという点が致命的で、たとえば面白い演劇や映画がメジロ押しの月もあれば皆無の月があっても、同じスペースを埋めなくてはならないのだからセレクトの意味がなくなってしまうし、料理店でいうと、ここはもう載せたから今度は他店を載せようとなると、これまたドンドンどうでもいい店が選ばれてしまうのだった。
 優れたものがあるときはあるし、無いときは無い、というのが真実なのだけれど、人はなかなか真実を認めたがらないものらしくて、かなりちゃんとした演劇評論家でも、あれを評価したあなたがこんなものを評価できるわけ!と言いたいような人がいて、それはずっと同じジャンルにこだわり続けていると、はまりやすい陥穽なのかどうか……。ともかく私は自分の目と耳と舌しか信じないようにしています。


コメント(2)

今朝子さん、こんにちは。

最近は本当に情報が氾濫していますよね。ことに食べ物屋の関してはテレビで様々なお店が紹介されています。
しかしだ!コンビニの弁当で味覚を育てた親に育てられた、若手のタレントさんたちによる紹介にはウンザリしております。
「おいしい〜」(商売なんだから美味いのは当然だろ)の次はプリップリ・モチモチ・サクサクのオンパレード。おいおい君達、君等が紹介しているのは食感だけか?と思ってしまいます。

やはり私の世代より上の方の口コミには敵いませんよね。

投稿者 中村屋ダン之助 : 2006年06月22日 18:23

>そういえば、近ごろ食品全般についてやたらに食感=歯ごたえを云々するようになりましたが、これって若い人が堅いものを食べなくなったというような問題ともリンクしてるんでしょうか……。

投稿者 今朝子 : 2006年06月23日 06:40



2006年06月22日

ホタテとセロリのマヨ炒め

 QPで見た超簡単な炒め物。マヨネーズを油代わりに使って長ネギの薄切り、酒胡椒で下味したホタテ貝、茹でたトウモロコシの粒、セロリの順番に入れて炒め合わせ、酒、醤油、胡椒で味を調えるだけ。ホタテとセロリを2センチ角くらいの同じ大きさに切りそろえるのがポイント。トウモロコシは1分ほど茹でてからラップに巻いて熱を通すといい。




2006年06月24日

フレッシュトマトとツナのパスタ

 QPで見た簡単パスタ。ソースはニンニクのみじん切りを入れたオリーブ油で湯むきしたトマトとツナを炒め黒オリーブとケッパーを加えたもの。
 奈良の事件で逮捕された少年の上がり込んでいた家というのが、京都に住む妹の家のすぐ近所だったので、この件に関して何度もメールが来た。ちょうど同じ年頃の男子を育てており、その子が父の跡を継いで歯医者を目指しているのでとても他人事とは思えないらしい。「子育てが怖い」と書いてきたのは実感だろう。
  子どもが親を殺そうと思うなんて信じられないと発言する人がいたら、それはよほど親との相性が良かったか、ボンヤリした子どもだったのだろうと思う。
  私は事件の少年と同じ年ごろに、本気で親を殺したいと思った記憶がハッキリとある。血のつながった実の両親はまっとう社会人だがそれなりに人間的欠陥もあり、私は私で激しい反抗期を迎えて何度もぶつかった。ひと晩中まんじりともせずに殺す方法を考えていたこともある。そのときは鼻血が壁や床に飛び散るほど強く父親にぶん殴られて、抵抗できなかったから殺してやりたいと思ったのである。殴られた理由は私にあったが、結局この人は世間体を気にしてるんじゃないかと見抜いてたので、自分が悪いのを棚に上げて腹が立ってたまらず殺意の衝動にかられたのだった。ただこれくらいの経験なら多くの人にあっただろうと思うが、今までは殺すには至らないのがふつうだったのだ。
 私を親殺しに追いつめなかったのは何かといえば、学校の友人や先生のほかに、叔母さんや店の人が同じ家の中にいたからで、もともと少し複雑な家庭の事情で幼児期に3年ほど両親の手元を離れて育ったために、親子関係が長い間しっくりいかなかったのを、今にして思えば周囲の大人たちが実によく理解していて、逃げ場というか緩衝地帯のような役割を果たしてくれたので助かったのである。
  今度の事件では殺された家族もさることながら、残された父親も、何より殺してしまった少年が可哀想でならない。どこかに逃げ場は無かったのだろうかと思う。今の子どもは昔の子どものように家族以外の大人がなかなか逃げ場になってくれないのがなんとも不憫に思われる。


コメント(4)

今朝子さん 同感です。ひとり 階段にすわり火をつけてしまい、最後 眠くて忍び込んだ家でねこんでしまった少年が不憫でならない。おっしゃるとおり 親はいろんな意味で壁であり、逃げ切れないプレッシャーであり、又自分のなかのいやな面の原点でもあるとおもうと、なんとか反対に進んでやろう。自分で自分を作り上げなくては。ともがいていたものである。私はまるで色気のない、法曹界の娘として育ったので、180度反対とその頃思われた、演劇や芝居に惹かれたのだと思います。本日は国立で松録くんの「国姓爺合戦」を観ます。また辰之助さん思い出してしまいそう・・

投稿者 tatsuko : 2006年06月24日 07:08

思えば偉大な父のプレッシャーで早死にしたかに思える辰之助、その父の舞台をほとんど知らずに育った現松緑。なんともいえない親子三代ですね。

投稿者 今朝子 : 2006年06月25日 22:21

私も両親とはしっくりこなくて、少年の気持ちがいたいほどわかる。少年は頭もよく、その分感受性も強いために、こうした事件を起こしてしまったのでしょうね。若い頃はまっすぐ純粋なために、黒白どちらかに物事を決めてかかる。親としてではなく、人間として許せないとなると、世の中から抹殺するしかないと思い込む。これが自分の世界を変える唯一の手段と考えてしまう。親の心子知らずという諺があるが、当然逆もあるわけで、なんでも自分の思い通りにならないと納得しない親というのは世間には沢山います。そういう私も、大学生になった一人息子からは、さしていい父とは思われていないことでしょうが。
ところで、並木拍子郎の新作、いつになりますか。もう1年近く、いつかいつかと待ちわびているのですが。書き下ろしのため、書店に並ぶ時期を予定でもいいですから、教えていただけるとありがたいのですが。

投稿者 kazarin : 2006年06月27日 18:15

本当にお待たせしてすみません。今年の秋くらいからようやく執筆できそうなので、来年にはなんとか上梓したいと考えております。

投稿者 今朝子 : 2006年07月03日 00:35



2006年06月24日

アンデルセン・プロジェクト

 世田谷パブリックシアターでルパージュの「アンデルセン・プロジェクト」をスラッシュの進藤さん、守部さんと見て、帰りに近所の「お好み焼き屋」で食事。
 世界的に不毛が叫ばれて久しい<演劇>にもまだ可能性があるのかもしれないと感じさせるのは英国のS・マックバーニーとこのカナダの奇才R・ルパージュだが、今回の作品は前回の「月の向こう側」よりもはるかにわかりやすく刺激的な舞台だったので、公演期間が短いのが難だが、現代演劇にご興味のある方は是非ともご覧になることをオススメしたい。
 とにかく幕開きから映像と特殊な照明を駆使したマジカルな演出が目を惹きつけ、ともすれば独り芝居であることを忘れるスピーディーな展開で2時間を全く飽きさせない舞台だが、前回よりも社会性を色濃く打ち出した戯曲もまた実にトリッキー且つコンテンポラリーで、この人の才気を存分に感じさせるものだといえる。
 ストーリーはまず欧州共同制作でアンデルセン原作の児童オペラを上演するプロジェクトに関わる男たちを軸に進行する。オペラの脚本を依頼されたカナダ人の作詞家は子作りを拒否したために恋人に逃げられてパリにやって来たという経緯があり、プロジェクト推進役を務めるオペラ座の支配人は子どもがいながら離婚していて、時に覗き部屋にこもって自慰行為にふけるという体たらくだ。この共に生殖と切り離された不毛な性に陥るた男たちが児童オペラを制作するという設定がまず皮肉である。
  彼らがオペラの原作にしようとする童話「ドリアーデ」はロマンチジズムの終焉とモダニズムの黎明の時代を生きたアンデルセンを象徴する作品として語られ、これが美しいシーンとして随時挟み込まれる一方で、舞台にはまた現代の移民問題を象徴するモロッコの青年が時折登場し、モダニズムが終焉して不穏な空気に包まれた世界の渾沌を物語ってみせるのだった。
  最後にはこれら一見何ら関わりがないと思われたシーンをすべて一つにつなげてみせる作者の力業に脱帽し、そして今、何故アンデルセンなのか?という大きなテーマの謎を解き明かすラストのセリフに私は完全に痺れてしまった。これからご覧になる方もおられるだろうから、ここには敢えて書かない。ただ恐ろしくシニカルな結末が私はなんだかとても小気味良くて、この作者とはきっと話が合うだろうなあという気がしたのであります(笑)。  




2006年06月25日

おでんの缶詰、鉄板焼き

おでんの缶詰はきのう守部さんに頂戴した静岡名物。おでん種がひと通りミニチュアで入っていて卵はウズラで代用してある(笑)。あとは冷蔵庫にあった茄子、アスパラガス、骨付きハムを炒めておろしポン酢で食す。とにかく日曜日は毎度乗馬帰りの簡単メニューになる。
 今日初めに乗った馬は24歳のオジジで、なかなか動いてくれないし、止まるとすぐにウトウト。乗り終わって厩舎の専用馬房に戻そうとしたら、おや、ここはワシ部屋だったかのう?という風にキョロキョロ。お前ボケとんのか!てな感じで笑えた。で、宝塚記念のディープインパクト圧勝をクラブハウスのTVで見て盛りあがったあと、次に乗った馬はなんとアトピー(馬にもある!)。本当に痒そうな姿をしていて気の毒だったが、乗り心地は抜群で、終わったあとはブラシでしっかり掻いてやりました。




2006年06月26日

豚の梅しそ炒め

 QPで見た料理。梅干しを叩いて作った練り梅とマヨネーズ蜂蜜、醤油を合わせたソースを千切りにした青じそと一緒に炒めた豚にからめる。豚ロースには粉を振って先に炒めておくのがポイント。食欲不振で夏バテしそうなときにオススメしたい炒め物である。




2006年06月27日

釜飯、焼き鳥ほか

 浅草公会堂で<たけのこ会>を観た帰りに三村さん、大島さんと<釜めし春>で食事。
 <たけのこ会>は大和屋一門の勉強会だが、私はこれにゲスト出演する中村京蔵の招待で拝見した次第。勉強会とはいっても今回は浅草公会堂改築柿葺落としも兼ねて総帥の坂東三津五郎も出演し、地方の長唄、常磐津も生演奏という贅沢さで、なかなか見応えのある舞踊会だった。
 中でも三津右衛門(昔の三平)が京蔵と組んだ「鬼次拍子舞」は最近本公演ではあまり上演されない演目だけに面白く拝見した。二人は以前京屋一門の勉強会<桜梅会>で「関の扉」を演ったときも名コンビだと思われたが、共に端正且つ古風でやや厚ぼったい芸風がこうした天明寛政期の舞踊劇には実にぴったりくるのである。今やいわゆる御曹司から幹部になる連中には古風な歌舞伎味のある役者がどんどん少なくなる一方だから、ふだん脇に徹するこうした人たちの精進をきちんと評価して、今後のために大切にしていくべきだろうと思う。
 もっともふだん主役を張る三津五郎の「三ツ面子守」はさすがの舞台で、それまでの三津右衛門や三津之助(昔のみの虫)の奮闘が霞んで見えるほどだが、まあ一門の総帥且つ舞踊の家元なのだから、そのくらいの差があって当然ともいえる。それにしても、この弟子のふたりにもう少し気の利いた名前が付けられなかったのだろうか。昔の三平、みの虫時代にはよくわかった二人が、改名して以来あまりにも似通った名前のために、どっちがどっちだかわかりにくくなったのは気の毒である。
 大切りの「笑門俄七福」は幇間と芸者に扮した七人による総踊りで、拳遊びを取り入れたりチャッパを使ったフリが面白く、坂東流だけに伝承が残る舞踊だというが、本公演で上演しても十分鑑賞に堪える演目だろう。


コメント(2)

今朝子さん、こんばんは。
ここのところサーバーの調子がイマイチのようで、なかなかコメントが入れられませんでしたが今日は良いようですね。

さて「たけのこ会」、普段は歌舞伎を側面から支える方たちにスポトライトが当たったような舞台でしたね。初っ端の「三人形」で丹前奴・大助を演じた坂東大和の足拍子は、上手さこそ無いものの彼の熱意がビンビン伝わってきて感動しました。
また今回の公演に来て下さった「大向こう」の方たち、歌舞伎座で聞き覚えのある声でした。素晴らしい舞台に華を添えてくださった事を感謝しました。

しかしまぁ・・・京蔵さんに手配をお願いした関係上、当たり前ではありますが・・・私の周りは皆さん京蔵ファンでした。休憩時間中は京蔵談義で大いに盛り上がりました。次回の「山月記」を期待する次第です。

投稿者 中村屋ダン之助 : 2006年07月02日 23:59

>サーバーの調子の悪さはどうもワールドカップに関係してたように思われます。周囲でメールが不調だという方もありました。混雑するとダメなのでしょうか、その間も早朝だと大丈夫でした。

投稿者 今朝子 : 2006年07月03日 06:01



2006年06月28日

中華総菜各種

 整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。今日は治療前に行うデトックスが実に心地よかった。雨は雨で嫌だけど、梅雨の晴れ間も鬱陶しいものである。なんて、ここに気の利いたことが書けないくらい私に余裕がないのは、昼間あまりにも蒸し暑くて予定した仕事が大幅に遅れてしまったせです(涙)。
 ところで最近このブログがとてもエントリーしづらくなっていたが、今日は珍しくわりあい簡単にアクセスできるみたいで、これってひょっとしたらワールドカップの放送と何か関係があるのではなかろうか。スラッシュの進藤さんと幻冬舎のヒメも最近メールのサーバーがパンクしやすいと言ってたのがどうも気にかかるところで、同一の現象のようにも思えるのである。




2006年06月29日

トムヤム冷麺、生春巻きほか

 夕方スラッシュの進藤さんが仕事関係の本を受け取りに三茶にあらわれ、何せ今日はエスニック日和だから、一度入ってみたいと思っていた近所のタイ料理屋「クルン・サイアム」に案内したところ、これが意外にアタリ!だったので、世田パブシアターを訪れた方々も是非どうぞ。茶沢通り沿いの地下にある小さな店だが、トムヤム冷麺は本当に美味しくて、この夏何度も食べてしまいそうである。食べるのに夢中になって料理写真を撮り忘れたので(笑)代わりに店内の写真を載せておく。
 進藤さんは一応マネージメントをしていて、今度ようやくこのサイトの中の作品紹介を完成させるべく、私の作品を何本かまとめて読み直した結果、「あれは惜しかったねえ、『辰巳屋疑獄』。今年こそあれが皆さんにちゃんとわかって読んでもらえる年だったのにねえ」とのこと。ホリエモン、村上ファンド、福井総裁問題に揺れた今年なればこそという意味ですが、このブログの読者でまだお読みでない方がおいでになったら、そんなわけでマネージャーに便乗して(笑)、著者からもご一読をお薦めします。




2006年06月30日

ザルそば

 新国立劇場で井上ひさしの新作「夢の痂(かさぶた)」を見て、家に帰ってからザルそばを食べたのは食欲がイマイチだったのと、劇中にザルそばという言葉が何度も出てきたから出あります(笑)。
 テーマとテーゼがはっきりしてて、シーンやセリフも少しずつ頭に浮かんでメモ用紙に書き込んであるのに、でも実際に書きだすと話が転がらないことってあるんですよねえ、と、ご同情申しあげるしかない今日の芝居である。近年の井上さんはこの手がよくあるが、お歳を考えたら責められない気もする。
 天皇の責任問題を追究した昭和3部作の最終編で、戦後の御巡幸を背景に、日本語の文法を用いて日本人論を展開しようとしたのは実に井上さんらしいアプローチだし、主語、述語、目的語の語順が問題になる西洋語や中国語に対して日本語は助詞「てにをは」が非常に重要な意味を持つという論の滑り出しでは少し期待したのだが、結局のところ日本語は主語が隠れてしまうというありきたりの論に展開して、天皇が戦争責任を明確にすれば日本人のその後が変わったはずだという、これまた古めかしくも楽天的な結末になってしまうのは世代の問題もあるのだろう。今や「卒業旅行」でプレスリーの生地を訪ねるのが何より嬉しいというバカ丸だしの国家元首を抱えてしまった国民のひとりとしては、天皇の戦争責任もさることながら、楽天的な世代がこの国に及ぼした責任を追及したい気分である。
  ともあれ三田和代、角野卓造をはじめ役者陣はいずれも好演だし、装置やクルトワイル風の音楽もいい感じで、そこそこ面白く見られた舞台だったから、公演失敗の責任は誰も追求されずに済むのであろう。