トップページ > やわらかい服を着て
2006年05月24日
やわらかい服を着て
新国立劇場で永井愛の新作「やわらかい服を着て」を文春の内山さんと見た帰りに近所で食事。
今や現代性のあるウエルメイド・プレイを書く劇作家として最も信頼を寄せる永井愛さんだが、今回の新作は正直言っていささか喰いたりなさを感じさせる舞台だった。
イラク戦争前後のNGOメンバーを主人公にした群像劇で、全世界1000万人の反戦デモも虚しく突入してしまった戦争とその後に起きた人質事件の自己責任問題を背景にした点は永井さんらしく実にヴィヴィッドな作劇である。にもかかわらず、こうした集団にありがちな理念派と現実路線派の対立や色恋沙汰のトラブルを軸にした展開は意外に型通りであり、ストレート過ぎて且つ突っ込みが浅いと思わざるを得ないのである。
「やわらかい服」というタイトル通り、その昔の反政府運動から見れば、ゆるやかな集団ではあるけれど、現代でもなお純粋な理想に燃えて世の中を少しでも明るい方向に変えようとする善良な若人たちの集いとして、永井さんは主人公らをひたすら暖かい目で見ており、いつものような軽快なアイロニーは影を潜めて、愚直な人びとをただ愚直に描くことに終始した。それはテーマが重すぎたせいもあるだろうけれど、ただそれだけではないのかもしれない。
先々週に野田&蜷川「白夜の女騎士」を見ても感じたのだが、ポスト全共闘の世代にとっては全共闘世代の集団のありかたに対してやはり批判的な思いが抜きがたくある。それよりは「やわらかい服」のほうがずっとましだという思いが永井さんには強すぎたのではないか。
だが一方には、政府に補助金を仰ぎながら果たして反政府運動が本当にできるのかというNGOの根本矛盾もあるはずなのに、その点は少しかすった程度で深くは攻め込まなかったドラマである。同行した若い内山さんがそこを鋭く衝いたことで、ああ、これは恐らく世代の問題も関係するにちがいないと、永井さん世代の私は思ってしまった。
実際に反政府運動をしてるNGOの若い人たちがどんな感じなのかはわからないけれど、永井さんが描いたNGOのリーダーは理想論をふりかざしてエリートサラリーマンから離脱し、バイトも首になって「難民支援」どころか自ら「難民」になってしまう大甘の青年で、今どきホントこんな人いるの?といいたいような、この時代からズレた感じの主人公を吉田栄作が意外に好演、というよりも妙にリアルな存在として立ち上げてみせた。リーダーがこういう人物だからこそ、現代の心優しき且つ心弱き若者たちがそこに集う様子もそれなりのリアリティがあったとはいえ、そんなにキレイゴトばっかりで描いていい問題なのかなあという気が私はちょっとしたのである。
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/48