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2006年05月08日
白夜の女騎士(ワルキューレ)
萩尾望都さんとマネージャーの城さん、ポプラ社と国立劇場の矢内ご夫妻、文春の内山さんとでシアター・コクーンの野田秀樹作・蜷川幸雄演出の「白夜の女騎士」を見た帰りに劇場近くの「春秋」で食事。ここは結構おいしいのでオススメする。
野田&蜷川だけでも取れなさそうなチケットなのに、ジャニーズの松本潤主演とあってはもう超プレミア必至で、劇場関係者を拝み倒してようやくゲットしたチケットだった。劇場前には立ち見希望の長蛇の列ができ、場内の90パーセントがジャニーズファンで埋め尽くされており、松潤が何かコミカルな演技をするたびに爆笑と黄色い悲鳴があがるというありさまで、なんのことはない、私はこの連休中に二度目の「歌手芝居」を見るはめになったのでした(笑)。したがっていわゆる演劇ファンにオススメするのはどうかと思われるが、蜷川さんがこの戯曲を手がけたかった気持ちは十分伝わる舞台だっただけに、ウーン惜しい……という気持ちもあって、徹底的にけなすことはできないのである。
初期のコトバのマジシャン状態だった当時の野田作品を蜷川演出は丁寧に読み解き、字幕スーパーで場面説明まで加えるという親切さで、その分テンポの出ないことが前半ではまず致命的な失敗のように思われた。が、後半ではこれがある種の時代意識を濃厚に反映した、意外に完成度の高い戯曲だとわからせてもくれた。
まずもって蜷川さんはかつてこの国にも「革命」をホンキで考えた人びとがいたことを知る世代である。そして野田秀樹は「革命」が失敗に帰したことを知る世代の人間だからこそ、こうした戯曲が書けたのだということを、恐らく野田本人以上に理解して、それを読み解いたようにも思えるのだった。人の「本能」を置き去りにした「革命」を志す「その後の信長」の破綻と、それを断ち切ることで飛翔しようとする「空とびサスケ」というイメージは、野田世代の人間には実に感覚的に理解できるのだが、今の若い世代にとっては出演者も観客もほとんどわかり得ないイメージであるかもしれない。蜷川さんはそれでも何とか今の時代にそのことを大人の責任として伝えるべきだと思ったのだろう。しかしながら今回の座組と客層ではいささか無理がありすぎて成功したとは言い難い。志は買いたいだけに、私はただただウーンと唸ってしまうのでした
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