2025年07月11日

ソーセージのトマトスパゲティ

今日は窓を開けたら半袖だと寒いくらいで、エアコンを一度も使わずに済んだ涼しさだから久々にお湯をしっかり沸かしてパスタ料理を(^^ゞニンニクの薄切りと鷹の爪をオリーブ油で炒めて粗挽きソーセージ、玉ネギスライスを炒め合わせ、アンチョビを加えて調味してから粗みじんに切ったトマトを入れて煮溶かし、茹で汁を少し加え茹でたパスタを投入してからめ、仕上げに粗挽き黒胡椒を振っただけ。ソーセージは翻訳家の松岡和子さんに頂戴した富澤精肉店製だから、こんなシンプルな料理でもめちゃ美味しく食べられました∈^0^∋
今日の涼しさは昨日の雨天のおかげで、わが家の周辺は久々にしっかり降ったという感じで済んだからホントに有り難かったのだけれど、ニュースを見たら同じ関東でも明らかな水害になった地域もあるようだから一概に恵みの雨とは言いがたいのだろう。とはいえ今朝のワールドニュースでフランス2を見たら、先日マルセイユで起きた山火事の傷痕が生々しく映しだされ、例年7/14のパリ祭では各地で必ず花火が打ち上げられるのに、今年はそれを中止した地域が続出とかで、異常気象による水攻めも困るけれど、火攻めはもっと深刻そうな気もしたのだった。フランス2は続けて国内におけるバターの急騰を報じて、それも乳牛が炎暑で弱って搾乳量が乏しくなっているせいらしいので、気候変動のもたらす世界的な食糧危機が改めて強く懸念されたのであります(-.-;)y-゜゜


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2025年07月10日

井上八千代の会

昨夜紀尾井小ホールで催された「井上八千代の会」は当代家元が五世八千代襲名後初の東京公演とあってキャパ250の同ホールだとチケット入手も困難な状況だっただけにいささか勿体なく、せめて国立小劇場ありせば…といった気持ちにまずならざるを得なかった。ともあれ座敷舞いには恰好の舞台空間といえるのかもしれず、お辞儀した姿勢で幕が開いて半身を起こした瞬間、当代の八千代が祖母の先代四世八千代そっくりに見えたのは驚いた。幕開きの演目は義太夫節による「萬歳」で、井上流はふつうこの演目を地唄で舞い、〽徳若に、御萬歳と…以下の件りはわたしが以前に習った地唄のそれとフリもそう変わらない気がした。つまりは、わたしが習えたくらいの初心者でも出来る易しいフリであるにもかかわらず、当代八千代の舞いぶりは、ああ、コレはこんなに面白い舞いだったのか!と感嘆させられ、改めて当代もまた名人の域に近づきつつあることを思わずにはいられなかった。当代は先代と違って弁が立つので、続く「対談」でもほとんど独りで話すかたちだったが、やはり井上流の見方というか、どこをどう鑑賞すればいいのかまでは本人の口から話せないのも無理はないけれど、現代の観客にはそこが巧く説明されないと井上流の凄味は伝わり難いだろうと思う。かつて武智鉄二師はいわゆるナンバの身ぶりが多い井上流を身体の裡に溜め込んだエネルギーの勁さといった点で高く評価したが、その揺るぎない身体の構築と切れ味の良さが当代の身上でもあって、少なくとも「萬歳」は座敷舞いというコトバでイメージされる情緒的で嫋嫋とした女性の舞踊とはおよそかけ離れているのは体感した者しか理解できないところかもしれない。最後に舞った「水鏡」はいかにも座敷舞いらしい静謐な演目ながら、これもまた情緒ひと筋ではいかないところが当代の真骨頂というべきか。水鏡に映しだされた自身の心情を纏綿と綴るかに見えながら時にハッとするような客観もして皮肉な味わいの舞いに仕上がっていた。ほかに当代の後を継いだ長女の井上安寿子が地唄で「鉄輪」を、長男で父の後を継いだ観世淳夫が同じく「鉄輪」を仕舞いで演じ分ける趣向があったのも面白かったし、安寿子の舞は網代笠を手にした前半の道行が素晴らしく、出だしの運歩はまるで中有の闇を踏むがごとくに見えたものの、後半の生霊となってからの件りでは執拗な情念のエスカレーションといった感じまでは見受けられなかったのがいささか残念だったとはいえ、今後に大きな期待を持たせた舞台でもあった。


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2025年07月09日

井上八千代の会

今夜は赤坂の紀尾井ホールで「井上八千代の会」を観て、久々に会場でお目にかかった松竹元専務の大沼さんとホテルニューオータニでお茶して帰宅が遅くなったので、この舞踊会の感想は明日書きます<(_ _)>


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2025年07月08日

泣くロミオと怒るジュリエット

新宿ミラノ座の鄭義信作・演出「泣くロミオとジュリエット2025」はオールメールキャストで一見ロミジュリをパロったコメディかと思いきや、存外しっかりと原作の穴を穿った戦後80年の今年に観るにふさわしい作品だった。ロミオもジュリエットも、マキューシオやティボルトやベンヴォーリオも原作通りの名前で登場してほぼ同様の行動を起こすのだが、その舞台となるベローナの街は戦後の大阪とおぼしき設定で、三国人の集まりと見られるモンタギュー愚連隊と、警察にも通じている日本のやくざキャピュレット組の抗争が背景となる展開はやはり鄭戯曲ならではというべきか。キャピュレット組がモンタギューのフェイク情報を撒き散らして異民族排斥しようとする展開も実に今日的な問題提起といえそうだ。マキューシオを殺して、ロミオに殺されるティボルトが戦場で負った心身の深い傷や、神父ならぬローレンス医師が戦時中に同胞民族を裏切っていたことなど、共に戦争と結びついた暗い過去を吐露するシーンがあるのもまた鄭戯曲ならではだろう。原作は不和な両家に生まれた男女の悲恋がストレートに描かれるが、この芝居は原作よりも「ウエストサイド・ストーリー」に拠った側面がありそうで、二人が結ばれようとすることによって二人の周囲がどれほど傷ついてしまうかをぐっと掘り下げて描き、誰からも決して祝福されない恋から逃れられない二人の悲劇的運命が粛々と進行する恰好で、主な登場人物それぞれに確たる人間ドラマが設定されているせいもあってか、出演者各位が熱演し好演して観る者を飽きさせない。意外なほど可愛らしく見せたジュリエット役の柄本時生と吃音症のロミオを真摯に切々と演じきった桐山照史には感心させられたし、ジュリエットの乳母とティボルトの内妻を兼ねたソフィア役の八嶋智人がハイテンションで舞台を盛りあげるパワーや役作りの器用さにも圧倒されたし、ほかにも舞台全体の重石となっているローレンス役の渡辺いっけいや原作にはないやくざの若頭ロベルトに扮した和田正人の怪演ぶり、原作より深みのある人物像を創りあげたベンヴォーリオ役の浅香航大などなどキャスティングの的確さが戯曲に相俟って好舞台を印象づけたといえそうだ。演出面では「ウエストサイド・ストーリー」や蜷川演出を敢えて剽窃しているように見えたのがご愛敬でもあった。


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2025年07月07日

ビーフハンバーグステーキ

新宿のミラノ座で鄭義信作・演出「泣くロミオと怒るジュリエット2025」を観る前に文春の内山さんと近所のカフェで食事。帰宅が遅くなったので芝居の感想は明日書きます!


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