2025年10月17日
参鶏湯
韓国薬膳料理店「葉菜」でテイクアウト。
熱は出ない風邪だけど夜中に咳き込んで眠れず、今日は絶不調な感じで過ごしたから、この店がお隣にあるのは本当に助かったというべきか ヽ(^0^)ノ いつものリースナブルなお値段で、いつもの倍くらいの量を作って戴いた上に、咳き込む話をしたら「わたしはコレを舐めるんですよ」と朝鮮人参飴まで分けてくださったので大感謝 <(_ _)> 参鶏湯にもたっぷり人参が入っており、何だかもうそれだけで元気になるような気がするのは江戸の病気話にしょっちゅう出て来るアイテムだからなんでしょう(^^ゞ今日の夕方はまた村山元総理の訃報に接して、何だか絶妙なタイミングのような気がしてらっしゃる方も多いのではないかと思うのは、目下連立政権がらみでゴタついているからで、かつて自民党が社会党と連立を組むなんて想像も出来なかった時代を知る人間としては、自民党の吸引力ってまるでブラックホールだよな〜という気がするだけに、今度の政権の顛末も自ずと見える感じなのであります(-.-;)y-゜゜
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2025年10月16日
ミネストローネスープ、茶碗蒸し
両品とも近所のマルエツで市販品をゲット。
今日はベッドでもソファーでも体を横にすれば、いつの間にかトロトロ寝入ってしまうありさまで、夕方に美容院に行って、少し校正はしたものの、ほぼ半日寝て過ごしたおかげで咳はある程度治まった感じです(^^)/ そんなわけで食欲もさほど湧かず、ただ水分の多い温かいものをカラダが欲するので、こんな時こそお隣の韓国薬膳料理店「葉菜」に駆け込みたいのに、毎水木が定休日なのはザンネン(-。-;)
ところで寝そべりながら、大昔に購入した三島由紀夫の日記「裸体と衣裳」の文庫本を珍しく何十年かぶりで読んでいて、目覚めてすぐスマホでネット見たら三島の担当編集者だった小島千加子氏の訃報に接して驚いた。何だか三島さんに呼ばれちゃったのかしら?なんてヘンなことを考えたのは、先日有吉佐和子著「真砂屋お峰」の文庫解説を書いていて、有吉さんが初代吾妻徳穂に書き下ろした舞踊台本のことから、二代目徳穂にワタシが舞踊台本を頼まれた件に触れている最中に、これまた久々に徳穂さんからお祝いメールが来たのでビックリし、その件を返信したら向こうもさすがに驚かれた様子で「有吉先生、電波を出されたかな」という反応のメールを頂戴したからでした。今日の夕方校正していた中にはその文庫解説もあります(^^ゞ
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2025年10月15日
きつねうどん
近所のマルエツの総菜売り場でパック入りをゲット。
寒暖差に加えてこのところのバタバタで、ついに風邪を引いてしまい、料理するのも食べに行くのもかったるいのでこんなメニューに(^^ゞ咳と痰と鼻水に悩まされるも、発熱はなく、お腹も空くので、幸いインフルとかコロナではなさそうとみて、さして薬も飲まずに温かくして経過観察中です(^_-)
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2025年10月14日
フィリップ・ブーリン演出「リア王」
昨日新宿ミラノ座で上演された「リア王」は、何せタイトルロールが大竹しのぶ、老いたリア王を虐げる長女のゴネリルが宮沢りえという異色の配役で、当初は正直いささかコワイモノ見たさのような気分で行ったのだけれど、実際に観るとこの作品に対するイメージがだいぶ変わって、それなりに有意義な観劇体験だったといえるし、芝居は配役によって左右されるところが大きいのを改めて感じたものだ。
これまでのリア王というとやはり大柄な男優がイメージされて、かつては英雄だったはずの男が老耄によって判断を誤り、坂道を転がり落ちるようにして人格が損なわれ、ついには精神に異常を来して放浪するといった展開だったような気がするが、女優でも小柄な大竹の演じるリア王は最初から不機嫌で弱々しい男に見えるし、末娘コーディリアの正直なコトバに激怒するのも既に精神を病みかけている兆候と受け取れた。これはヴァイオリンとチェロとドラムによる洋楽の下座ともいえそうな生演奏のBGMが不穏な空気を漂わせたからで、このシーンに限らず洋楽下座は芝居全体に緊迫感や躍動感を与えるのに頗る有効だった。
今回リア王と並ぶ主人公に感じさせたのは宮沢りえのゴネリルで、現代劇のようにリアルなセリフ回しがこの役をお定まりの悪女ではなく、序幕からラストまで一貫して理が通った人物に見せ、妹リーガン役の安藤玉恵の好演と相俟って、同じ姉妹でも全く違ったキャラクターであるのを印象づけた。ラストでコーディリアと共に二人の死骸が並んだシーンでは、この作品は実は三人姉妹の芝居だったのか!という感慨を催したほどで、おまけにリアを演じたのも女優だから、全体に女性上位の舞台に仕上がっていたのも、近年ジェンダーレスや多様性を強調してきた英国演劇の演出家らしい試みだったのかもしれない。
これまでに観たリア王劇は、リア王の転落をまるでなぞるようにして破滅するグロスター伯が盲となり、彼によって追放された長子のエドガーとそれとは知らずに再会する件がまるで歌舞伎の愁嘆場のような見せどころだったはずが、今回はそれが案外サラリとかわされているのも配役のせいなのだろうか。もっともエドガーの役は仲谷昇や津坂匡章で観ても余り感心しなかったので、近代劇以降の演技術で表現するのは難しい役なのかもしれない。片やグロスター伯の妾腹の子エドマンドは王女二人を誑すほどの男の色気を感じさせる役で、蜷川初演時の林隆三がわたしには印象深く、今回の成田凌は心の屈折が色濃く滲み出て現代的な人物像を造形していたものの、色気の点でイマイチだったのは、女性上位芝居の煽りを喰った恰好なのだろうか。
男優の役で逆にフィーチャーされていたのは勝村政信の道化役だ。この芝居のまるでMCみたいに幕開きと幕切れはセンターに登場し、この芝居が人間の老いをリアルに描いて、それが今日の先進国における少子高齢化社会の最も重要且つ普遍的なテーマである旨を原作にはないセリフで言うなどして作品の現代性を強調したが、その分わかりやすくなったものの、原作の持つ不条理劇のような味わいは薄めたように思う。
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2025年10月13日
鶏肉の麹焼き、タコのトマト煮、小松菜とケールのサラダ、五目豆腐干絲ほか
新宿ミラノ座でフィリップ・ブリーン演出「リア王」を観た帰りにムジ・カフェで食事。芝居の感想は明日書きます!
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